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スポーツ科学で障害者教育に新たな道筋を切り拓く 松山直輝さん(後編) ~ 「生徒が導いてくれた」特別支援教育の研究領域~

「スポーツとの出会いが自分の人生を変えた」

過去にスポーツに打ち込んだ経験を持つ人たちは、そう思っている人が多いのではないだろうか。

実際に中学・高校で部活動に限らずスポーツに真剣に打ち込んだ人たちからは「あの経験がなければ今の自分はない」という声が多く聞かれる。「情熱と時間をかけて打ち込んだことを否定したくない」という気持ちもあるだろうが、話を聞くと練習方法や戦術、チームのまとめ方で試行錯誤して手に入れた成功体験など具体的だ。    

松山直輝さんもその一人。スポーツと出会い、スポーツ科学の存在を知り、その研究者を志した。2022年4月に東京家政学院大学助教に就任、研究者としての第一歩を踏み出した。前編でスポーツ科学の世界に入るきっかけ、シーホース三河時代、そして特別支援学校※の教員に転身したきっかけを紹介した。後編では特別支援学校での経験、松山さんが関わったことで「人生が変わった」と思える経験をした生徒、そして松山さんの研究領域を広げるきっかけとなった生徒とのエピソードを紹介する。
※障害による学習や生活の困難を克服し自立を図るために必要な知識や技能を身に付けることを目的とする学校。(文部省ホームページを参考に筆者記述)

庄原特別支援学校への赴任 ~スポーツ科学が活かせる現場~

松山氏はスポーツ科学の博士号を取得した後、Bリーグクラブを経て庄原特別支援学校に教諭として赴任した。広島県庄原市は広島県の内陸部に位置し岡山・鳥取・島根の三県に接している。広島市からは鉄道を乗り継いで2時間程度、人口3万人超の都市だ。

松山さんは赴任後、どのようにアプローチしたらよいか様々な考えを巡らせ「生徒たちの学習活動にスポーツ科学が活かせる」と考えたという。その理由をこう語る。

「知的障害があると抽象的なことを理解しにくいのです。例えば『ペースが速いから遅くして』と言っても、どれくらい遅くしたらよいのかが伝わらない。センサーを使って数字にして具体的にして見せたり、音でリズムを示したりすることで理解してもらえるようになります」と言う。

ジョギングの距離が70mから4kmへ 大きな成長で「人生が変わった」

松山さんは庄原特別支援学校で知的障害と脳性麻痺を持つ生徒と出会った。この生徒は幼少期、スポーツが好きで様々なスポーツに自分の脚で挑戦してきたが脳性麻痺の影響で転倒を繰り返してきた。日常生活ではわずか2mmの段差につまずいて転倒することもあったという。

松山さんは「生徒が『転ばなければもっといろんなスポーツができるのに』と悲しそうに私に話した」という。これきっかけに保護者に希望を確認したうえ、この生徒がもっとスポーツに挑戦できるよう取り組むことを決めた。

生徒からは「自分の脚でジョギングをしたい」という希望があった。屋外を自分の脚で走り回った経験がなかったからだ。最初にジョギングできた距離はわずか70m。文献を調べると知的障害ではペース配分が難しく、脳性麻痺では安定したフォームの維持が難しいこと、生徒はこれらが原因で早く疲労してしまい長い距離が走れないということがわかった。走れる距離を伸ばすため、松山さんは眼鏡型ウェアラブル端末と心拍センサーを生徒の学習に使うことを考えた。フォームのバランスやペース配分に関する情報を計測し、生徒自身で改善点に気付かせようとしたのだ。

心拍センサーの計測結果を活用したことで生徒は4kmまで走れるようになった
 

もちろん計測した数値を生徒がそのまま見ても理解はしにくい。数字を生徒自身でグラフ化してわかりやすく現状を把握する工夫、走る前後のコミュニケーション方法の工夫も行った。そして効率よいフォームを維持するための筋力トレーニングを行った。メニュー作りにスポーツ科学の知識を活かしつつ、自宅でも筋力トレーニングができるよう生徒専用のホームページを作るなどメニューの伝え方にも工夫を行った。そしてその結果、4km走れるようになった。

筋力トレーニングとバランスの計測によりフォームが改善された

「卒業時に生徒が『僕の人生が変わったよ』と言ってくれました。すごく嬉しかったですね。それと同時に、障害によるスポーツの困難はスポーツ科学や競技で培った知識・経験で乗り越えられると思ったんです」と言う。

この取り組みは特別支援教育の専門誌に掲載され、特別支援教育に携わる教員に共有されている。

「ジョギングをしたい」という希望を叶えるため松山さんは様々な工夫を凝らした

住田さんとの出会い 健常者の大会で入賞

赴任後、砲丸投をやりたいと話す生徒が入学することを聞いた。その生徒が住田さんだった。中学時代に県大会で入賞していたことも聞いていたが、住田さんが投げる姿を初めて見たとき、「あれ?初心者?」と感じたという。そして「砲丸投の選手にしては体が細い」とも。それは逆に改善すれば大きな可能性を秘めていることを示していた。

松山さんは「今思えば自分と重なる部分があった」という。「中学時代の都大会で一度だけ入賞しましたが、記録が安定しませんでした。高1のときもまだ技能が洗練されていなかった」と続けた。

そして松山さんは他の先生たちと特別支援学校での陸上競技の指導を開始し、住田さんと歩む日々が始まった。

松山さんと出会った当初の住田さんの練習風景

学校にあるミニバレーの支柱をバーベルの代わりにした筋力トレーニング、自分の体重を負荷にしたトレーニングなど工夫しながら練習をこなした。練習の成果によって高等部2年だった2021年9月に行われた県高校新人競技会で6位入賞。

1・2年生が出場するこの大会で入賞できたことで、翌年のインターハイ県予選6位入賞が現実的な目標となった。県大会で6位入賞すると中国大会に進むことができる。さらに中国大会で6位入賞すればインターハイ出場だ。

「住田君は障害による認知的困難から技術を習得する事が苦手で、健常者と同じ様に練習していても記録を伸ばすことが難しい状況でした。でも、ちょっとした何かの工夫で変わる予感があったんです。そこでタブレット端末を使って練習日誌を作成し、活用してみました。その後1ヶ月余りで自己記録を1m以上更新する11m57を県大会で投げたんですよ。6位入賞した時は、やっぱそうだよね、そのくらいの力を秘めてたよねって、やっと彼の力が引き出せて自分が入賞したかの様に嬉しかったですね」と振り返る。

     他の先生の協力も得て、住田さん(左から2番目)は県大会6位入賞を達成した
 

インターハイへの挑戦

住田さんと松山さんは3年時の目標をインターハイ出場とした。この高い目標を達成するには自己記録を2m程度伸ばす必要がある。砲丸投はパワーが必要な種目。目標を達成するため専用の器具を使ったウエイトトレーニングが必要不可欠だった。

器具を揃えるためには資金が必要となる。そのため、資金を募る活動を始めた。活動の責任者は住田さんのご家族だが、松山さんは応援者の立場で関係者に了承を得ながらSNSや動画を使って情報発信し、目標金額を集め器具を購入。Bリーグ シーホース三河時代にスポーツ指導だけでなくビジネスに関わった経験が活きたのかもしれない。

そして集まったのは資金だけでない。多くの応援の声も集め、住田さんと松山さんに力を与えた。

購入した器具でトレーニングする住田さん(左)とサポートする松山さん(右)

翌2022年に行われた県大会では惜しくも7位。6位とは4cm差で中国大会には進めなかった。7月には12m41まで記録を伸ばした。目標は達成できなかったが、無謀な挑戦ではなかったことが証明できた。

この挑戦の間、二人の関係には大きな変化があった。かねてから「研究者になりたい」と思っていた松山さんに大学教員就任のチャンスが舞い込む。大学教員のポストは少なく、博士号を持っていても簡単には就けない。もちろん心は揺れたが、最終的には転身を決断。2022年4月から大学教員に転身した。そして大学教員就任後も指導を継続。オンラインによる指導、庄原市や広島県内の大会会場まで出向いての指導を継続して高校最後の大会まで住田さんとともに歩んだ。

また、2022年11月からは特別支援学校・オンライン部活指導として、庄原特別支援学校陸上競技部を指導している。この取り組みは国内初だという。

オンライン指導が公式に認められた背景は指導実績と部員の要望だ。

実績面では2019年4月から2年間共同顧問として指導に尽力、その中で健常者も出場する県大会での入賞という異例の実績が認められた。

そして部員からは松山さんが東京で働くことになっても指導を受けたいという要望があった。松山さんはその2年間で部員にとってなくてはならない存在になっていたのだ。

このオンライン指導は特別支援学校の生徒に対する外部指導者としての位置付けとともに、研究の一環として行われた。AIで選手を自動で追いかけて撮影するカメラで撮影した映像をWeb会議アプリで共有、選手は周りの音も聞き取れる骨伝導型ワイヤレスイヤホンを使って指導者からアドバイスを受ける。現地での指導と変わらない環境が実現できたという。

この成果は「ICT機器※を活用した特別支援学校での遠隔部活指導」としてプレスリリースされ、それをきっかけに複数の企業から共同研究の声がかかっているという。
※Information Communication Technology 情報通信技術

プレスリリースで発表された研究の紹介(一部抜粋)

現場経験から研究者の道へ

2022年4月に研究者としての第一歩を踏み出した松山さん。大学院修了後から研究者になる選択肢もあったが、自分のやりたいことを実現するにはいったん現場を経験した方がよいと考え、Bリーグクラブや特別支援学校で現場を経験することを選んだ。

そして特別支援学校の現場を経験したことで大きな変化があったという。

「スポーツ科学と特別支援教育を組み合わせる発想に導いてくれたのが生徒たちです。そして生徒たちに出会えたから知的障害と肢体不自由のある生徒や選手のスポーツの可能性に気付く事ができた。これからも障害を持つ方々が情熱を持ってスポーツに取り組む事のできる環境を作っていきたい。その一つとして遠隔部活指導の研究を続けていきたいと思っています」

そして松山さんが体育やスポーツを通じて関わった生徒たちはその経験を通じて自信を得て前向きな発言が増えたという。松山さんは科学で生徒の成長を後押しした。

研究を通じて障害を持つ児童や生徒、パラアスリートに貢献すること。これが松山さんの現在の志だ。

スポーツ科学と特別支援教育、これまで交わることがなかった2つの領域を融合し、もっとスポーツをしたい・楽しみたい、もっと高い目標を達成したい、そんな思いに応えた。おそらく誰も挑戦してこなかった領域だが、新しい理論や新技術を使ったものではない。だからこそ全国の特別支援学校に普及する可能性がある。そういう意味で画期的であり、社会的な価値が高いと言ってよいだろう。

スポーツを楽しむことを忘れない

松山さんは現在でも公認大会で走高跳に出場している。

「人に教えると刺激になりますし、自分がやっても刺激になります。この年になっても新しい気付きがあって楽しいですね。記録を出したいという思いもありますが、考えること自体が楽しいです。生涯スポーツとしてはもちろん、競技スポーツとしてもやっていきたいです」

住田さんを指導する際には一緒に練習もしていた。

「知的障害がある選手の指導には具体的に示すことが必要です。目の前でやって見せることが最も効果があるため、一緒に練習していました。練習で競争すると住田君は楽しそうでしたし、私も楽しかった」と笑顔で語った。

住田さん(右)とともに練習する松山さん(左)

スポーツが好き、研究が好き。好きなことだからこそ情熱を注ぎ、志を貫くことができる。身近になったICT機器やウェアラブル端末を活用し現場に貢献しようとする松山さんの研究に今後も注目したい。

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