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「野球を辞める時まで引退という言葉を使ってはダメ」関メディベースボール学院総監督・井戸伸年氏

野球専門校・関メディベースボール学院中等部(以下関メディ)3年生の公式戦が終わった。ポニーリーグ転籍2年目は夏の全国連覇という夢が叶わず、次のステージへ向けての準備が早々と始まった。同学院総監督・井戸伸年氏は「ここからの過ごし方が最も大事」と語り出してくれた。

8月の宮崎・夏季キャンプでは個々の技術を徹底的に高める練習を行なった。

~プロ仕様キャンプで技術を徹底的に底上げする

「夏季キャンプでは技術を徹底的に極めろと伝えています。これは3年生だけでなく下級生もそうです」

関メディは8月1日から6日まで宮崎市清武町のSOKKENスタジアムで夏季キャンプを行った。南国の炎天下、井戸氏をはじめスタッフ一同はTシャツと麦わら帽子姿で連日の指導を行っていた。

「オリックスが春季キャンプで使用する施設を使用します。メイン、第二球場、多目的グラウンド、室内練習場の全てです。メインは試合会場で第二がその他の練習、多目的と室内では内外野の守備と投内連携。それぞれ担当コーチがいて効率的にやっています」

「日程的には通常組は9時半から18時、早出組は朝8時からやる。全体練習終了後に宿舎へ戻って食事、その後にミーティング。6日間だけですがプロ選手同様の野球漬け。休日がない分だけキツいんちゃうかな(苦笑)」

「宮崎や関メディの関係者、そして保護者の方々の協力に感謝しかないです」と付け加える。

南国・宮崎の炎天下、関メディのスタッフはTシャツと麦わら帽子姿で指導を行なった。

~コミュニケーション能力の低さも選手の個性

「今年の3年生は実力者が多かったが不安要素もありました。苦労するかもしれない、というのは常に頭にありました」

関メディは昨年4月のポニーリーグ加盟以来、結果を残し続けてきた。7月の第49回全日本選手権大会(東京、以下選手権)での優勝(佐賀ビクトリーとの2チーム優勝)を皮切りに、12月の第11回育成会ドリームカップ(沖縄)も制す。今年に入って3月の第8回全日本選抜中学硬式野球大会(沖縄、以下選抜)も優勝するなど、向かうところ敵なしだった。

「中学硬式野球日本一を決める8月ジャイアンツカップ出場と勝利。そして、昨年に続いての選手権優勝を目指しました。しかし、ジャイアンツカップは予選で敗れ、選手権も優勝できませんでした。本当に悔しいです」

ジャイアンツカップは兵庫県予選準決勝で明石ボーイズに「2-5」で敗戦。2連覇を狙った選手権は決勝でポニー筑後リバースに「6-8」と競り負けた。

「成功体験を積み重ねることで選手の成長を期待しましたが、力が及ばなかった」と苦戦の原因を分析してくれた。

「コミュニケーション能力の低さが最後まで変わらなかった。チーム内の仲は本当に良いのですがコーチ等の大人との対話が苦手。話をしたり質問をする決断が苦手なので、野球に関する質問力が低く感じました。上達への障害になることを心配していました」

「もちろん、そういう部分も選手の個性なので無理に変えるわけにはいきません。個性を活かしつつ成長できることを目指しました。大人が意識的に雰囲気を作り、その中でチームが結果を出すことで自信に繋げる。勝利によってまとまって強くなっていく感じでした」

「その中で最後の選手権は、大人が雰囲気作りのサポートをしないようにしました。率先して声を出したりして盛り上げたりしなかった。成長した選手たち自身でやってみて欲しかった。必死にやったと思いますが土壇場のワンプレーで力が出なかった」

「なかなか1つになれなかった」という大会後のコメントに全てが集約されていた。負け惜しみではなく、3年生の現在位置を冷静に捉えた言葉だった。

選手の個性を活かしつつの成長を目指したが、夏の大会は勝ち切ることができなかった。

~野球への思いを素直に表現しよう

井戸氏は結果(=勝利)と共に育成を重視する。関メディ中等部は通過点で、選手が甲子園出場できる可能性を高めることが最大ミッションと捉えている。

「今夏、関メディOBでは7人が甲子園のベンチに入ります。甲子園出場は人生に大きなプラスとなります。大学や社会人、そしてプロなど次のカテゴリーでも野球を続けられる可能性が大きくなる。野球を辞めても大きなアドバンテージになるはずです」

「甲子園出場の可能性がある高校を選手に紹介、推薦します。先方から求められるのはリーダーや柱になりうる選手で、主将候補や各学年のリーダータイプです。今年の3年生は野球の実力はありますが、今のままではコミュニケーション力が少し厳しいと感じます」

「高校へ進み監督やコーチとの対話ができることで、成長できて戦力にもなれる。可能にする方法はいくつもある」と確信している。

「会話や対話が苦手なら野球への思いを素直に表現すれば良い。だから選手権前に、『周囲に気持ちが見える形のプレーをしよう』と伝えました。賛否両論が多いヘッドスライディングを選手が多用したのもそのためです」

東海大相模高には関メディOBの主将・才田和空がいるので、後輩を安心して進学させられた。

良い例として挙げてくれたのは、2年生ながら神奈川・東海大相模の四番として甲子園出場するOB金本貫汰のことだった。

「中学時代から打てなかった時によく泣きました。野球への純粋な思いが強いので感情が溢れてしまう。1学年上の主将は関メディ卒の才田和空(わく)です。才田や相模関係者の皆さんが、金本の実力と純粋な人間性を理解して受け入れてくれているから伸びているのだと思います」

井戸氏が選手の進路を考える際には個々の性格を最重視するという。最終的には選手自身の意思を尊重するが、その前段階では環境に適応できるかを吟味して選手たちに伝える。

「1人でもやっていけるか。知っている先輩や同級生がいれば環境に適応できるのか。それぞれのタイプがあるので、ここを見間違えば失敗します。金本は相模に行って本当に良かったと思います」

金本貫汰は周囲に支えられて、2年生ながら強豪校の四番打者を任されるまでになった。

~「引退」という言葉を軽々しく使うな

「選手権後には、『悔やみなさい』と言いました。『決勝戦のプレーは君たちの積み重ねの結果。ここからの1日一瞬を大事にして高校へ突き進め』と伝えました」

関メディ3年生にとっては中学での野球生活が終了したことになる。しかし、そのことに関して「引退」の2文字は使わせない。

「選手たちの中では引退という言葉も出ていました。インスタ等に書いていた子もいた。でもそれは言葉が間違っています。『引退なら野球を辞めるということか?』と。中学の夏大会は終わったけど野球選手としては引退していない。『引退という言葉は野球人生が全て終わった時に使え』と強く言いました」

「関メディのスタッフはプロ野球OBも多いのですが、プロの引退は野球人生の本当の最後。でも中学生にとってはここから先がある。この先、高校野球の3年夏が終わっても大学から先を目指すなら引退ではない。極端な話、軟式ボールで草野球をやるにしても引退ではない。だからこそ今を大事にして成長し続けないといけない」

「野球を辞める本当の引退時まで成長を続けないといけない」と井戸伸年氏は語る。

~高校までの数ヶ月で大きく成長できるはず

「もちろん勝ちたかった」と本音も滲ませていた。選手権を迎えるにあたり現在の実力を最大限に発揮できるよう、できること全てを実行した。

「選手権1週間前に主将と副主将を交代した。チーム状態が最悪に近いくらいに落ち込んでいた中の荒療治でした。私自身の独断で下級生に選挙権を与え選出してもらいました。また、大会直前にメンタルトレーナーに講義をしてもらったのも即効性を期待したからでした」

「試合中もサインを出してゲームを動かすことを考えました。序盤から中軸にスクイズのサインを出したのもそうです。試合を有利に進めて選手に気持ちの余裕を持たせられれば、気持ちが前に出てくると思ったからです」

結果を重視する姿勢も普段と変わらなかったが、今回は勝てなかった。それでも選手たちの頑張りは痛いほど感じている。

「選手権前の練習試合で敗れたチームの監督さんからは、『よくここまで立て直せましたね』と感心された。選手たちがよくやってくれたのは周囲に伝わっています。短期間でここまでできたのだから、高校入学までの間でもっと成長できるはずです」

関メディ選手たちが、ここから大きな成長曲線を描くことを信じている。

「来年、夏の甲子園には7人以上のOB選手が出場していると良いですね」

目指す場所はもっと先にある。そこへ向けての旅は始まったばかりであり、立ち止まるわけにはいかない。

(取材/文・山岡則夫、取材/写真/協力・関メディベースボール学院)

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