【DDTプロレス 小嶋斗偉】The37KAMIINAの強い絆を胸にベルト奪取へ挑む

穏やかな口調で物腰が柔らかくおっとりとした印象。しかし、プロレスへの情熱、The37KAMIINA(サウナカミーナ)への愛情は人一倍である。The37KAMIINAとは、DDTプロレスの未来を背負って立つ次世代レスラー、竹下幸之介、勝俣瞬馬、上野勇希、MAO、小嶋斗偉の5人で構成される人気No.1ユニット。デビューして3周年を迎え、将来を嘱望される若手レスラー小嶋斗偉にスポットをあて、これまでのあゆみを辿り、6.25後楽園でおこなわれる第77代KO-Dタッグ王座決定戦に向けての決意を聞いた。

DDTプロレスの虜になったサッカー少年

1999年12月8日生まれ、埼玉県出身の23歳。両親と女子サッカー選手の姉、そして斗偉の4人家族。斗偉(とうい)という名前は、漫画家・上條淳士の代表作『TO-Y』のファンである父が命名した。

地元がサッカーの盛んな環境ということもあり、姉弟ともに幼稚園の頃からサッカースクールに通っていた。子供の頃の性格はやや内向的であったが、運動神経は抜群。幼少期から学生時代にかけては「サッカーしかやっていなかった」というほどサッカー漬けの日々を送っていた。

そんなサッカー少年だった小嶋は、いつ、どういうきっかけでプロレスに興味を抱いたのか?
「父親がプロレス好きで、小学生のころから毎月興行を観に行くようになりました。初めて観に行ったのが新日本プロレス、それからドラゴンゲートをよく観に行きました」

当時、小学生の小嶋はDDTプロレスの存在を知らなかった。DDTは他のプロレス団体と違いは、路上プロレス的な要素を取り入れたり、コミカルでユーモア溢れる試合が多い団体。

ある時、父親に連れて行ってもらったDDTプロレスの興行が、それまで観てきたプロレスとは違い、小嶋はDDTの虜になってしまった。

「DDTを毎月観るようになって、それで、『DDTでプロレスラーになりたい』と思うようになりました」

しかし、継続していたサッカーを簡単には辞めることができず、中学、高校でもサッカーを続けていた。部活で忙しく一時はプロレスから離れる時期もあったが、高校3年の部活引退を機に再度プロレスを観るようになった。

高校の先生に勧められた大学にサッカー推薦で合格したが、プロレスに熱中するあまり完全にサッカーの熱が冷めてしまい、大学を1週間でやめてしまった。

コロナ禍でのデビュー。そして左肘脱臼で5ヶ月の欠場

小嶋は大学をやめてプロレスラーになると決意し、1年間お金を貯めるために働いた。そして2019年5月DDT入門。デビュー戦を控えた練習生時代には、秋山準の指導も受けた。

秋山準は、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、全日本プロレス再入団を経て、2020年5月よりDDTプロレスのゲストコーチに就任。三冠ヘビー、世界タッグ、KO-D無差別級など数々のタイトルを戴冠した経歴を持つ。現在はDDT所属選手と並行してヘッドコーチとしても活動している。

その後、2020年12月27日後楽園ホールにて、念願のDDTプロレスデビュー戦が開催された。対戦相手は約9ヶ月先にデビューした岡谷英樹。多くのレスラーが自分のデビュー戦を覚えていないというが、小嶋は「入場した時は覚えていますが、試合が始まった瞬間からふわふわしてきて 、そこからあんまり記憶がなかったけど、最後の『逆エビ固め(プロレス技名)』がエグすぎて、それで一気に目が覚めた感じに。今まで腰を痛めたことがなかったのにエゲツなかった」とフォール技をかけられ強烈な激痛で我に返った当時を振り返った。

デビュー戦の半年後、2021年6月さいたま大会の試合中に左肘を脱臼。左腕が全く動かない状態にもかかわらず最後までやり遂げた小嶋に対して、秋山準が「よく頑張った。その状態でよく戦った」と労いの言葉をかけてくれたという。

けがの治療のため、デビューから半年足らずで欠場となった小嶋。復帰までの5ヶ月、病院のリハビリに加え、左腕の血流を良くするために曲げ伸ばしをしたり、サウナに行って温冷交代浴で血行を良くしたり。早期復帰を願って自己流でもリハビリに専念した。

The37KAMIINAのメンバー、左から勝俣、竹下、小嶋、上野、MAO

待望のThe37KAMIINAに仲間入り

復帰するや、かねてよりユニット入りを希望していたThe37KAMIINAへの加入を直訴。

2021年11月3日の復帰戦で石田有輝を破り、自力初勝利を挙げた結果と熱意が認められ、晴れてメンバー入り。

「練習生の時に勝俣瞬馬さんから手厚く面倒を見てもらったし、一緒にサウナに行くようになって。もっと強くなりたいから『The37KAMIINAに入りたい』としつこく言ったけど、ずっと断られて。で、『初勝利あげたら許可する』って言われてチャンス到来と思ったら、けがで欠場とコロナ禍で興行中止。実際、11月3日の初勝利の結果でメンバー入りしたわけではなく、その3日後の横浜大会でThe37KAMIINAの先輩たちと戦い、ようやく認められて正式加入できました」

2022年6月25日横浜大会。勝俣瞬馬、上野勇希、MAO、青木真也をパートナーに、KO-D10人タッグ王座選手権試合において王者タノムサク鳥羽より直接勝利、小嶋自身初の王座戴冠となった。

「めちゃくちゃ嬉しかったです。常に『ベルト獲りたい』っていう気持ちがあったけど、ずっとそのチャンスがなかったので。しかもThe37KAMIINAで獲れたのが本当に嬉しかった」

前哨戦でMJポー(左)と佐々木大輔(右)の凶器攻撃にあう小嶋斗偉(中)

The37KAMIINAへの思いを胸に折れない心で挑む決定戦

今年に入り、1月29日開幕の若手選手によるリーグ戦「D GENERATION CUP」出場。優勝者には3月30日、31日DDTハリウッド大会へ参戦する権利が与えられる。連勝していた小嶋だが、最後の最後で、デビュー半年の後輩、正田壮史に敗れた。「正田は入門して3ヶ月でデビュー。悔しさもある。正田のデビュー戦は大先輩のHARASHIMAさんで特別待遇されているところに嫉妬する。今年3月のハリウッド大会もThe37KAMIINAで僕だけ行けなかった」と悔しい思いを吐露した。

唇を噛むような悔しさをバネに、小嶋にはやらなければならないことがある。いよいよ6月25日、後楽園ホールで行われるKO-Dタッグ王座決定戦。上野とともに名乗りを挙げ、ダムネーションT.Aの佐々木大輔&MJポーとのタイトル戦が迫っている。このタッグ王座はしゅんまお(勝俣瞬馬&MAO)が保持していたが、勝俣が5月21日の後楽園大会で右足を負傷したためしばらく欠場となり王座返上。その勝俣の無念の思いと熱意を受け取った小嶋が奮起し、上野とのタッグで王座決定戦出場を決意した。

「僕は、ずっと勝俣さんのセコンドについて、しゅんまおの試合の凄さをたくさん見てきた。勝俣さんはけがを負いながらも、最後までやりきった。かなりの激痛で立っているのもままならないはずなのに。勝俣さんのプロレスラーとしての立ち振る舞いが素晴らしく心を打たれました。間近で見ていたからこそ、勝俣さんの悔しい気持ちを汲み取って、勝俣さんの分まで僕が頑張らないと」と、覚悟を決めた。

「『小嶋斗偉』として何も残せていないことに、じくじたる思いがあり、自分に対しての悔しさを払拭したい。そして、The37KAMIINA以外の他の人にベルトを渡したくない。この二つの思いがKO-Dタッグ王座に挑もうと思ったキッカケです」その思いを上野にぶつけ、上野勇希&小嶋斗偉のペアが誕生した。

「The37KAMIINAの5人で築き上げた強い絆と情熱、それを対戦相手の佐々木&MJポーにぶつけて打ち倒し、僕達がベルトを獲ります。『熱波WER!!』(The37KAMIINAの合言葉、熱波+POWERの造語)」と小嶋は気合を入れて勝利を誓った。

佐々木大輔(左)に強烈なドロップキックを見舞う小嶋(右)

面白くて奥が深いプロレス、もっともっと強くなりたい

今年12月、間もなくデビューして3周年を迎える。「3年経験すると一通りプロレスを知る」というレスラーがいるが、小嶋はデビュー当時に思い描いたレスラー人生を歩んでいるのだろうか?

「実際、入門前に想像していたプロレスとは全く違いました。練習生の時からプロレスの難しさを思い知り、デビューしたら別の難しさがあった。イメージしていたものとはまるっきりかけ離れていました。しかも、サッカーをやっていた時にほぼけがを負ったことが無かったので、けがをして欠場すると思わなかった。サッカーの体力とプロレスの体力は全く違うもの。ダメージの受け方も違う。プロレスがこんなにも難しいものだと思わなかった。でもやればやるほど面白くて奥が深い。プロレスの面白さも然ることながら、もっともっと精進して強くなりたいと思っています」

そこには、プロレス歴3年を経て、プロレスの厳しさ難しさを理解し何かをつかみ取ろうと、走り続け努力を惜しまない小嶋斗偉がいた。6.25KO-Dタッグ王座決定戦に挑む小嶋。デビュー3周年を前にDDTの中心に行けるかどうか…小嶋斗偉の真価が試される。

(おわり)

(取材・文/黒澤浩美 写真提供/DDTプロレス)

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