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アサヒ飲料クラブチャレンジャーズ、チームの軌跡を知り尽くす男が描く未来予想図とは

アメフトXリーグで今季からX1SUPER(1部)昇格を果たしたアサヒ飲料クラブチャレンジャーズ(以下チャレンジャーズ)。

チーム運営を担う事務局長・桂雄史郎氏は00、01年に社会人連覇した時のQBだ。現役時代の栄光、挫折、20代での引退、アメフトと距離を置いた日々、裏方として支えたチームの1部昇格…。チームとともにローラーコースターのような経験をしてきた桂氏だからこそ感じるチャレンジャーズの未来とは。

クラブチームには多くの使命、責任が求められる。

~企業チームに近い形態だがクラブチームとしての大きな責任がある

「チャレンジャーズのようなクラブチームは勝たないと注目されない。活動地域に何かを還元しないと存在価値すらわからない。多くの使命、責任があることを忘れないことが大事」

Xリーグには企業チーム(企業)とクラブチーム(クラブ)がある。社会人日本一になった富士通などは選手、スタッフの多くが社員として業務をしながらプレーする企業。練習時間確保などでも融通が効きやすく会社を挙げて応援動員されることもある。チャレンジャーズは個々それぞれが仕事を持ち週末に集まってプレーするクラブに該当する。その中で桂氏はアサヒ飲料社員の立場でアメフト事務局の業務にデイリーで専任する。

「チャレンジャーズは企業に近い形の歴史を持ったクラブです。選手、スタッフとしてアメフトと関わる社員(グループ企業も含む)が約15名ほどいた時もありました。事務局も以前は社員4人体制でしたが成績も下がり始めて今は自分1人でやっています」

~チーム合流1年目からQBで試合に出て日本一に

桂氏がアサヒ飲料社員として入社、チームの一員となった時期が黄金期と重なった。1年目の00年に社会人リーグ優勝、ライスボウルでも法政大を下し日本一に輝く。翌01年は最後に関西学院大に敗れはしたが社会人連覇を果たした。

「1本目(レギュラー)がケガをして代わりの2本目(準レギュラー)も調子が悪かった。3月にチーム合流した後の5月くらいに出場機会が回って来ました。右も左もわからない中、多少の結果を残せ最後まで試合に出られました。チームにエンジンがかかった状態だったので助けてもらえました」

日本アメフト界の名門・日大出身。レジェンド・篠竹幹夫監督のもと、勝つためのアメフトを徹底的に叩き込まれた。学生時代から多くの舞台を経験していた桂氏は1年目からの抜擢にも応えてみせた。

「チーム全体が強化に動いていた時期。勝つための人材が揃った良いタイミングで試合に出られたと思います。若さの特権というか勢いもあった。『社会人で1年目から控えで試合に出られたら良いかな』ぐらいで考えていた。すべてが良い方向に作用して結果を出すことができました」

「プレースタイルが関西のアメフトにハマった部分もありました。日大時代からパスよりも自らのランプレーを多用するタイプのQBでした。パスがダメなら走るしかないという感じ。当時のアメフト界では『関東はパス、関西はラン』というスタイルが主だったので、そこがうまく噛み合った感じでした」

桂氏は現役時代にQBとして日本一も経験した。

~わずか6年間の現役生活、ビジネスマンとしてアメフトと距離を置いた日々

1年目から結果を出したが社会人とアメフトの両立は想像以上に困難だった。結果、選手として円熟期を迎えつつある28歳でユニフォームを脱いだ。チャレンジャーズでの6年間は栄光を味わう一方でアメフトへのモチベーションを低下させることにもつながった。

「現役への未練はなかった。家族ができた事もありますが、一番はモチベーションを保てなくなった。飛び抜けたセンスがある選手ではないのでトータルのレベルを高く維持しないといけない。外国人選手が加入し始めていた頃でリーグ全体がレベルアップしていた。その環境でアメフトを続けるのが難しくなりました」

「優勝した頃との差も感じていました。負け始めると組織力が一気に下がりました。強い頃はコストや人員も投資していたが負けるとそれができない。個人スポーツなら1人でも何とかできたかもしれないですが団体スポーツはそうもいかない。人事関係を任されていた社業も多忙になり仕事とアメフトのバランスが取れなくなりました」

理想と現実のギャップ。一言で言えば簡単だが頂点を知った身からすると消化できる問題ではなかった。結論を出してからの動きは早かった。現役引退、広島転勤も重なりアメフトと接点を持たないビジネスマンとしての日々を過ごした。

「引退後1年間は本業をしながらコーチとしてチーム帯同しました。秋口に広島転勤となりアメフトと一切関わることなく仕事に没頭しました。家族も広島に来てくれました。約3年半くらい経った頃、当時の人事部長から直々に連絡があり『アメフト事務局専任になってくれ』と頼まれ考えた末に引き受けました」

事務局長としてチーム運営の多くを任されている(左:桂氏、右:正重高志ヘッドコーチ)。

~事務局専任でチームへ帰還、改革へ着手

関西へ戻りアメフトと関わる日々が再び始まったがチームはアメフト界で取り残されそうになっていた。強力なサポート体勢を整え外国人選手補強などの強化に動くチームが現れていた。危機感を募らせた桂氏は可能なことから1つずつ手を付け始めた。

「上位チームと差が開きつつありました。選手層、施設、プレー環境など全てです。当時のチームはお金、時間など労力がかかることに二の足を踏んでいた部分がありました。できることから始めないと何も変わらないし取り返しがつかなくなると思いました」

「まずは外国人選手の獲得でした。1-2人でも良いので獲得しようとチーム代表を説得しました。他の予算を削ってでもやるつもりで手探り状態で動きました。外国人選手のルートを持っていたコーチがリクルート、ビザ取得や住宅手配など事務的手続きは事務局でやりました。ビザ取得などは本来、行政書士に依頼するものですが予算が限られている。法律知識など全くない中、1つずつ調べながらやりました。入国管理局にも何度も足を運びました」

「並行して年1回の『尼崎ボウル』開催にも取り組みました。尼崎のベイコム陸上競技場を使用、招待試合などを開催する無料で楽しめるアメフトイベントです。地域に何か還元しなければクラブの存在価値はない。利益など明確なリターンがなくてもやらないといけないことです。またスポンサードしてくれるアサヒ飲料社にとってもイメージ向上などにつながる試みです」

初年度は2人の外国人選手からスタート、今ではリーグ上限4人が在籍し活躍している。小規模な形で始めた『尼崎ボウル』はコロナ禍で2年間開催中止となったがそれまでは6年連続で継続開催できていた。その他にもプロコーチを採用しチーム強化、リクルートを任すなど役割分担の明確化も図っている。それらが少しずつ実を結び始めたこともX1SUPER昇格の要因だ。

「スタッフになって11年目。才能溢れる外国人選手を獲得できるようになり戦力アップにつながるようにもなってきました。この流れを維持しながら更なるステップアップを目指します。チームとしてX1SUPERで常に中位を確保できるようにしたい。そうすればプレーオフ進出など、その先も見え始めます。結果が出ないと以前のような状態に後退してしまいますから」

試行錯誤を重ねた末、今季からX1SUPER昇格を果たした。

~チャレンジャーズでプレーして勝ちたいと思えるチーム作りが仕事

「チャレンジャースが好きでプレーしたい。このチームで勝ちたい、強くなりたいという意志を強く持った集団を作りたい。本気でそう思わないと何かあったらチームから離れてしまいます。クラブの場合は究極の趣味とも言えますから。選手、スタッフ、チアリーダーなど関わっている誰もがそうです。ファンの人にも同じ気持ちを感じてもらえるチームにしたいです。このチームに関わりたいという人を多く作ることが僕のミッション、事務局の仕事です」

プロは勝利と収益を目指さないといけない。企業は親会社に利益が出るような活動が優先となる。クラブはその中間的立ち位置、中途半端でありながらもバランス良く両方をできないといけない。事務局に携わって10年、桂氏には運営として譲れないものが生まれつつある。チームへの愛、忠誠、献身だ。

「X1SUPERは厳しい戦いになりますが目先の短期目標は勝ち越しです。6チーム中3勝2敗ならばレギュラーシーズン後のトーナメントに出場できます。時間はかかるかもしれないですが最終的な目標としてライスボウルで勝ちたいです。尼崎市民をはじめ関わる人みんなが好きになれるようなチームを目指します」

関わる人すべてが好きになれるクラブを目指す。

感染の再拡大が進みコロナ禍収束が不透明な状態、国中がスポーツや娯楽どころではない状況が続く。アメフト界も最高峰NFLのNHK-BS放送が打ち切りになるなどマイナー化に歯止めが効かない。しかし少しでも明るい光が見えるのなら我慢して前進することも可能だ。チャレンジャーズはクラブという難しい立場でできることをやろうと動き出した。携わる者の思いが本物になればより大きなパワーを発揮できる。X1SUPER1年目の戦い、挑戦に注目していきたい。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・アサヒ飲料クラブチャレンジャーズ)

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