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ミュージシャン・HARTYが力説「音楽はアスリートにとってプラスでしかない」

ミュージシャン・HARTYの楽曲には、スポーツに特化したものも多い。聴くものの心を鷲掴みにしてくれるストレートな表現のベースには、「音楽を味方にすれば選手のパフォーマンスは上がる」と言う思いがある。日本ハム・新庄剛志監督も共感した一人であり、公認応援ソング作成の依頼を受けたほどだ。

HARTYは「スポーツと音楽は親和性があり、味方にすれば大きな武器になる」と語る。

「野球、アメフト、サッカー…。『一致団結して勝利を目指す』チームスポーツへの思いは強いです。選手たちが戦っている姿を考えると、曲や詞が湧き出るように生まれてきます。心から応援したいです」

6月15日、HARTYは兵庫県尼崎市にいた。アメフト・SEKISUIチャレンジャーズ主催『第10回尼崎ボウル』でのパフォーマンスを任されたからだ。

「『アメフトを通じて尼崎市を少しでも豊かにしたい』という、チャレンジャーズの理念に惹かれました。選手たちが、少しでも気分高揚してくれれば嬉しいです。また観客の皆さんにも楽しんで欲しいので、僕も全力のパフォーマンスをします」

香川西高で2003年夏の甲子園出場を果たすなど、「野球」のイメージが強い。だが、競技を問わずアスリートへのリスペクトを持ち続け、応援している。

2023年5月14日には、エスコンフィールド北海道で日本ハム公認応援ソング『We are FIGHTERS』を披露した。

~新庄剛志になりたいから野球をやる

「8ビートを自分の中で刻みながら捕手をやっていたことがあります」

HARTYは小学生から野球を始め、並行して音楽にも触れてきた。捕手を任された時には、リズムを刻みながら投手をリードすることもあった。

「指導者の方から『リズムを大事にしろ』と常に言われました。その時に身体の奥底から自然と8ビートが湧き上がってきた。投球間に8ビートを刻むとスムースに投手をリードできた感じがありました」

「小学生からドラムを叩いていました。ドラムは両手、両足にそれぞれ異なった動きが求められる楽器です。フォーメーション等、グラウンド全体を見渡す視野の広さにも繋がっていた感じがします」

「いとこのお姉さんにX JAPANの映像を見せられカッコいいと思った」のが音楽への入り口だった。音楽と野球の両立をした時期もあったが、結果的には野球に軸足を置くことになる。

「その後もリズムを刻みながら野球をプレーすることは普通のことでした。ドラムに触れていたことが大きく活きたと思います。リズムは自然と体から湧き出てくるものでした」

そして、野球を始めた理由は“新庄剛志”だった。「背番号63」を背負った、後にタッグを組んで楽曲制作をする男の本塁打を目の当たりにしたことがきっかけとなった。

「父親が帰宅して何気なく連れて行かれたのが甲子園球場だった。一塁側アルプス席に到着した瞬間、新庄さんが本塁打を放ち大歓声を浴びていた。『あの人(=新庄)になりたい』と思って野球を始めた」

1992年5月26日の横浜大洋(現DeNA)戦、2回裏に左翼席へ放ったプロ初本塁打。小学生のHARTYにとってスポーツの原体験となる事件だった。

日本ハム・新庄剛志監督とは、トレーニングを一緒に行ったこともある。

~“慣れる”ことで応援や音楽を味方にすることができる

子供の頃から「音楽は味方(=プラス)」を感じながら野球をプレーをしてきたが、「音楽が敵(=マイナス)になった」経験もある。高校2年の夏、甲子園出場を目指した香川県大会だった。

「音楽は野球をするために必要なものでした。練習の行き来にもヘッドホンステレオを着用するのが日常だった。でも甲子園がかかった県大会、グラウンドでブラスバンドの応援音楽を聞いた時に足が震えてしまいました」

「音楽によって緊張感が最大限に上げられてしまった。地に足がつかない状態で、自分自身のパフォーマンスができなかった。自分にとって必要不可欠だった音楽を敵に感じてしまった瞬間でした」

「正捕手として期待されていたのに、3年生に本当に申し訳ないと思いました」と猛省。「練習中から音楽がある状況を想定することが大事」という結論に達した。

「音楽をもっと味方にしようと思いました。練習中は音楽を流せないので頭の中でイメージした。音楽は選手の士気を上げることも下げることもできる。それは“慣れ”によって左右されると思います」

中学硬式野球協会・ポニーリーグの公式テーマソング『夢中になり描こう夢』や同リーグ所属・関メディベースボール学院(以下関メディ)の応援ソング『夢追いかけて』を手掛けた。「引き受けた理由の1つは僕自身の経験もあります」と語る。

「関メディ・井戸伸年代表とお会いした際、『中学生年代から応援や音楽に慣れさせたい』言われました。僕自身の高校時代の記憶も蘇った感じで、即座に同意できた。将来ある選手たちに何かお手伝いしたいと思いました」

「選手たちは競技に全てを賭け、その後の人生すら左右することもある。プレー環境のせいで結果が出せないのは残念過ぎる。“慣れ”で解決できることなので、普段から対応できる環境にあった方が良いに決まっています」

多くの音がある「騒がしさ」の中でのプレー経験が“慣れ”に繋がる。指導者がそこを理解できれば、選手レベルを今以上に高めることもできるはずだ。

小さい頃から野球に熱中、香川西高3年夏に甲子園の土を踏んだ。

~新庄との楽曲制作で再認識した「アスリートにとっての音楽の重要性」

HARTYの楽曲は、「ストレートでズバズバ刺さる表現が多い」ことでも知られる。「選手たちにしっかり受け止めてもらえるよう、わかりやすく真っ直ぐな表現になっているのかも…」と笑う。

「『この人たちへ向けて…』と選手やチームのことを思うと、詩や曲がブワーッと出てくる。だから真っ直ぐな楽曲に感じてもらえるのかもしれない。聴いている方からしても、わかりやすいと思います(笑)」

アスリートとしての挫折を味わっているからこそ、真っ直ぐな思いを表現できるのかもしれない。高校3年時には捕手から二塁手となり甲子園出場を決めるも、県大会後に負った足の肉離れでレギュラーを外れてしまう。

「重症でプレーできる状態ではなかった。甲子園を前にして背番号も“4”から“15”になり、伝令役としてマウンドへ2度行ったことが僕の公式記録。試合後の挨拶でアルプス席を見た時、涙が止まらなくなりました」

「試合に負けたことより、スタンドの人々を見て何とも言えない思いになった。今から考えれば、一番大きな挫折を感じた瞬間でした。一塁側アルプス席は新庄さんの本塁打を見た場所だった、というのもあります」

大学でも野球を続けたが、足の負傷が治りきることはなかった。2年時に現役引退を決意、音楽へフィールドを移すことを決めた。

本気で野球と向き合ってきた中での成功と挫折を味わった。だからこそ、現在進行形で戦い続けるアスリートたちへの思いは誰よりも強い。

「2019年からSNSを通じて新庄さんと関係性ができました。ご一緒に楽曲を制作した際には、細部にまで徹底的にこだわられる姿に感銘を受けた。『アスリートに音楽は絶対的に必要なもの』ということを再認識させられました」

2020年に新庄プロデュースで『%1』をリリース。22年にBIGBOSSのテーマソング『BIG4 BIGBOSS』、そして23年には日本ハム公認応援ソング『We are FIGHTERS』を制作、歌唱も受け持っている。

日本ハム・新庄剛志監督と楽曲制作を行ったことで、「音楽はアスリートにとって欠かせないもの」であることを再認識した。

~指導者や大人たちに音楽のプラス面を理解して欲しい

「多くのスポーツに携わり、選手が素晴らしいパフォーマンスを発揮できるお手伝いがしたい」と明言する。

「スタンドからの応援や音楽をプラスにして欲しい。緊張するためにあるのではなく、自分のプレーを良くするためにあるものと捉えてもらいたい。パフォーマンスや表現力を高めるための1つのツールだと思います」

「指導者や大人たちにも同様に理解していただき、活用して楽しんで欲しい。そうでないと選手や子供たちはいつまで経っても変わらない。『ガンガンうるさいな…』と思う人もいるかもしれないですが、柔軟に捉えてもらいたいです」

海外で活躍する日本人アスリートも増え、新しい情報も次々と入ってくるようになった。選手マネジメント方法も多様性の時代になっているが、旧態依然の部分も残っている。HARTY音楽の分野から、改革に挑んでいるようにも見える。

「会場でライブをやって盛り上げるとか、エンタメ部分でも選手をサポートできれば良いですね。お客さんが楽しめて場内の熱気が高まれば、チームや選手を鼓舞することにも繋がります」とも付け加える。

「『音楽はプラスにしかならない』のは僕の実体験で間違いない。甲子園にも出場、新庄監督ともご一緒している人間が言うので、多少の説得力はあると思うのですが(笑)」

HARTYは自身のフィールドである音楽を通じて、アスリートへ力を送り続ける。

新しいことをやろうとすると逆風が吹くのは世の常だ。新庄監督も選手、監督を通じて多くの批判に晒されてきた。しかし多くの変化、改革を行なってきた結果、日本ハムは頂点を狙えるところまで来た。

「1%でも可能性があれば何だってできる。99%の不可能、苦悩を楽しめれば現実になる」(新庄監督)

「新庄さんの言葉を忘れたことは一度もないです」と言う。かつて「新庄剛志になる」と思った男は、音楽を通じてこれからもアスリートを応援し続けてくれるはずだ。音楽が選手の周囲に日常的にある風景が増えていって欲しいものだ。

(取材/文・山岡則夫、取材協力/写真・HARTY、SEKISUIチャレンジャーズ)

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