【全日本プロレス 青柳優馬】ベルトと一緒に成長できるチャンピオンに
青柳優馬(あおやぎ ゆうま)1995年11月2日生まれ。長野県松本市出身。27歳の若さで第70代三冠ヘビー級王座戴冠、世界タッグ王座と合わせ〝五冠王者〟として全日本プロレスを引っ張る。『陰湿ファイター』を売りにしている優馬が、プロレスとは真摯に向き合い、全日本プロレスとプロレス界の将来を見据える。
プロレスラーは仮面ライダーやウルトラマンに並ぶヒーロー的存在
青柳家は5人兄弟。長女、優馬、亮生、さらに弟が2人。両親、祖父母を合わせて9人の大家族だった。4歳年下の亮生は、兄と共に全日本プロレスに所属する。
「子どもの頃は、言うことを聞かない手のかかる子供でした」と幼少期を振り返る。優馬少年は中学まではサッカー、高校は陸上競技に励んだ。
プロレスに興味を抱いたキッカケは父親の影響。一緒にプロレスを観戦し、中学生の頃には、特定の団体にこだわらず、自ら全日本プロレス、新日本プロレス、ノア、ドラゴンゲートなど幅広く観戦。
中学卒業が近づくと、「プロレスラーに挑戦してみたい」という気持ちが強くなった。
「自分の中でプロレスラーが、仮面ライダーやウルトラマンに並ぶヒーロー的存在でした。いろんな試合を見て、『自分もこんなふうにできたらいいな』という、ちょっとした憧れからです」と優馬は語った。
家族との約束で高校を卒業してからプロレスラーを目指すことに。高校3年間は腕立て伏せやスクワットなど、レスラーが取り組んでいるトレーニングを真似て基礎体力作りに励んだ。高校時代は身長もグングン伸びて180㎝超え。今でこそ身長186㎝、体重100Kg のがっちりした体格だが、「肩幅も狭かったし筋肉もつかない。ほんとにガリガリ。正直、プロレスラーに向いていない体でしたね」と優馬は飄々と話す。
2014年4月、全日本プロレス入寮。厳しかった練習生時代。そしてデビュー戦
高校卒業後、2014年4月1日に全日本プロレスに入門。2013年、WRESTLE-1と分裂騒動があった時、プロレス専門雑誌「週刊プロレス」で、全日本プロレスの練習生募集記事を見つけた。「これは行ってみるしかないな」とたまたま見かけた募集広告がきっかけだ。
2014年3月、高校の卒業式の翌日に神奈川の道場で入門試験を受け合格。
「実は高校3年の2013年9月、試験に落ちたのでリベンジだったんです。当時の面接官は諏訪魔さん。面談で落ちた後、『もし、やる気があるなら今度また受けに来いよ』と言ってもらえて再チャレンジしました」
進路について、プロレスラー以外の道は考えていなかった。しかし、周囲からのアドバイスもあり陸上自衛隊松本駐屯地の試験を受けたが、採用通知は来なかった。
「自衛隊は公務員ですし、稼ぎながら体も鍛えることは可能だから、ありっちゃありなのかなと(苦笑)。でもやはり若さは何ものにも代え難い財産だなと考えて、早いうちにレスラーに挑戦したいという気持ちがありました」
2014年4月1日、青柳優馬は全日本プロレスに入門した。
「練習生として新卒の気持ちで入りましたが、そこはやっぱりプロレス界、厳しかった。高校時代の自己トレーニングなんて比にならなかったです。当時、全日本プロレス社長の秋山準さんや青木篤志さんがトレーナーとして毎日道場に来て教えてくださいました」
擦り傷や打撲は当たり前、色々な細かいケガを負いながら、「出来ない奴はやめてもいい」と厳しく叱責された。辛い状況でも必死にしがみつき苛烈な練習に耐え抜いた練習生時代。「当時は厳しかったけど、何だかんだ温かく優しく育ててもらいましたね。今思えば、手厚く育ててもらえたと感じています」と感謝を口にした。
約8か月間の練習生期間を経て2014年12月14日の後楽園ホール大会「和田京平レフェリー40周年&還暦記念大会」にて、現在の世界タッグ王座のパートナー宮原健斗とのシングルマッチが優馬のデビュー戦となった。「昨年、安齊勇馬がデビューした時は『超大型新人』と話題になりましたが、僕のデビューは話題にもならなかった。僕がデビューした時期は分裂騒動があり、お客さんも 少なかった。練習生として後楽園ホールでセコンドにつきながら、寂しい思いで空席の多い観客席を見ていました。ただ僕のデビュー戦は京平さんの40周年記念大会で、7~8割観客席が埋まっていてたくさんのお客さんに観てもらえたという奇跡が起きました。あの頃は、新人がデビューしても『おめでとう』という温かい雰囲気ではなかったですね」
大量離脱、与えられたチャンスを掴めない若手時代
毎年、全日本プロレスはタッグマッチの総当たりリーグ戦「世界最強タッグ決定リーグ戦」を年末に開催。これは1978年から続く全日本プロレスの看板シリーズだ。
2015年、この大会を前に主力選手であった潮﨑 豪、曙、鈴木 鼓太郎、そして金丸 義信が次々と退団。キャリア1年8か月の野村直矢とデビュー1年未満の青柳優馬が抜擢され、若手タッグ「ノムヤギ」として世界最強タッグ決定リーグ戦に初出場を果たした。
「一気に選手がいなくなりました。それを乗り越えたから今があるのかなって。なんとしてでも自分の居場所を守りたい思いと、『これから先、大丈夫かな』っていう不安との闘いでした。でも、そういう経験によって無意識にハングリー精神が育まれ、おのずと自覚が芽生えました」
2016年4月、ヘビー級選手によるシングルマッチのリーグ戦「チャンピオン・カーニバル」に2015年5月に再入団したジェイク・リーと野村直矢は出場したが、優馬は出場できなかった。同年7月、新日本プロレスとプロレスリング・ノア共催の「スーパーJカップ(ジュニアヘビー級レスラーがプロレス団体の枠を超えて参戦する勝ち抜き形式のトーナメント式大会)」に出場を果たした。だが1回戦のタイチに敗退、残念な結果に終わった。
「チャンピオン・カーニバルは、『春の祭典』と言われ、ファンの頃から憧れの大会です。出場できたら名誉なこと、でも僕は出場できず悔しい気持ちがありました。野村さんやジェイクさんと同じ土俵に立てないのならば、自分に与えてもらった土俵で頑張ろうという気持ちでした。でも、それが空回りというか、自分の実力が全く伴ってなくて大恥をかいて帰ってきた記憶があります」
そのころは自分のことしか考えられず、「視野が狭かった」と優馬は感じていた。後輩ができたころから、周りにも気を配れるようになった。
プロレス大賞・新人賞獲得、突然のケガ、タッグベルト返上
2017年9月、野村とのタッグでアジアタッグ王座を獲得。優馬はヘビー級転向への意思を固めた。
「身長は186㎝ですが、体も細く体重も100キロにも満たなかったので、ジュニアに区分けされていました。でもジャンボ鶴田さんや天龍源一郎さんら大型レスラーが活躍したのが全日本プロレス。当時、諏訪魔さんや宮原健斗さん、ジェイクさんら大型のファイターがヘビー級でバチバチ戦っていました。その戦いを近くで感じて、『やはりヘビー級に身を投じたい』と思い、転向しました」
優馬は2017年度東京スポーツプロレス大賞・新人賞を受賞。さらなる活躍が期待された矢先の2018年1月末、試合中に右足首を負傷し欠場。初めて獲得したアジアタッグ王座を返上した。優馬は「欠場期間中、自分がいなくても試合が行われるんだっていう恐怖を感じた」という。
約4か月間の休養を経て、2018年6月5日東京・ディファ有明大会で復帰。
2018年7月に野村とのタッグで再びアジアタッグ王座を奪還。そんな思い入れのあるベルトだが、2019年2月に野村のNEXTREAM(宮原健斗と優馬、野村が活動するユニット)脱退に伴い、アジアタッグ王座を返上。
「当時は、野村さんがユニットを脱退。パートナーの僕に相談せず勝手にベルトを返上しました。会見の際、野村さんは会見場に姿を現さなかった。『当の本人が会見に来ないのか?』と怒りが込み上げた記憶があります。先輩とはいえ筋が通ってないだろうと感じました」
全日本プロレス最高峰ベルト・三冠ヘビー級王座挑戦!
2020年1月後楽園大会、宮原が三冠ヘビー級王座を防衛した直後、優馬がタイトル挑戦を表明。三冠ヘビー級王座は、全日本プロレスを象徴する最も権威のあるタイトルで、PWFヘビー級王座とインターナショナル・ヘビー級王座とUNヘビー級王座の統一王座である。
「ずっとジェイクさんや野村さんの三冠戦をセコンドで見ていて悔しい思いがあった。だから『そろそろ動きたい』っていう気持ちはありましたね」
2020年2月11日の後楽園大会で、自身初の三冠ヘビー級王座に挑戦するもの、王者・宮原健斗の壁は厚く試合に敗れた。
デビュー6年目で最高峰のベルトに挑戦できるのは上出来だと思うが、優馬はそう思ってはいなかった。「当時の野村さんとジェイクさんも早い時期に三冠ベルトに挑戦していましたし、なんだったらあの2人はすでに2、3回挑戦しているわけです。それを考えたら僕自身遅いと思っていました。今年はデビュー9か月の安齊勇馬が三冠ヘビーに挑戦しています。そう考えると、『自分のペースでゆっくりやってしまったのかな』って焦りを感じる時はたまにあります」と謙遜した。
2020年10月、宮原と再結託、優馬の提案でNEXTREAMが復活。宮原と世界最強タッグに出場し初優勝。2021年と二連覇。優馬は勢いづいていく。
史上最年少記録を更新しチャンピオン・カーニバル優勝!野村との邂逅
2022年4月、優馬は4度目のチャンピオン・カーニバル、決勝戦でジェイク・リーに勝利し初優勝。ジャンボ鶴田が打ち立てていた最年少優勝記録を26歳6か月で更新した。
この快挙達成に優馬は「自分の中ではコツコツと積み重ねてきたつもりだったんですよ。ようやく、少し結果が出て良かったっていう気持ちはありました 。しかも最年少記録も同時についてきたので、ラッキーでした」と謙虚な姿勢だが、日ごろの努力が結果を引き寄せたに違いない。
2022年12月、外敵となって全日本プロレスに殴り込みをかけた野村直矢と一夜限りの「ノムヤギタッグ」を復活させた。
「どうしても、野村さんの2021年の退団が僕の中でずっと引っかかっていたんですよ。正直あの人は理解できないし全然掴めない。長いこと一緒にいましたけど、未だに分からない(苦笑)。どうしても僕の中では引っかかるというか、やるせない気持ちでした。だから呼び戻そうと動きました」
野村直矢は2013年10月入門で優馬の6ヶ月先輩だ。同時期に全日本プロレスでデビュー(野村は2014年3月デビュー)し、一緒に団体を背負っていくという気持ちで切磋琢磨してきたパートナーである。
「今でこそ『ゼンニチ新時代』っていう言葉に表していますけど、当時はそんな言葉はなかった。今の全日本プロレスがある礎は僕と野村さんだと思っています。もちろん再入団したジェイクさんも含めて。『ゼンニチ新時代』以前、本当に一番厳しかった時代、僕たちは全日本の中で生き残った3人です。僕の中では、野村さんと僕が今の礎になっていると自負しています」
その後、2018年に青柳亮生、大森北斗、田村男児、2020年に井上凌が入門。2021年に他団体から本田 竜輝(2018年デビュー)が入団。そして2022年に超大型新人である安齊勇馬が全日本の練習生になり、選手層が厚くなった。
「ゼンニチ新時代」、大激動の全日本プロレス
2023年1月22日、後楽園のメインイベントで青柳優馬&野村直矢の「ノムヤギ」が宮原健斗&野村卓矢の持つ世界タッグ王座に挑戦。見事、勝利し世界タッグ王座を戴冠。「この世界タッグのベルトをノムヤギが獲ったからには、世界タッグ戦線、責任を持って盛り上げていきます!」と優馬は力強く宣言。
かつてアジアタッグを獲得した「ノムヤギ」の二人が、全日本プロレスの至宝ともいうべき世界タッグ王座を戴冠。優馬はベルトを巻いた喜び以上に野村への想いが強かったという。
「ベルトが『アジアタッグ』から『世界タッグ』に変わったことで、また1つグレードアップできたなっていう気持ちでした。 ただ、そんな僕の喜びとは裏腹に野村さんは戴冠当時からすでにケガをしていた。そんな状態で、僕にずっと付き合ってくれていたので、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです」
3月21日大田区大会で世界タッグ王座防衛戦に挑むも拳王・征矢組に敗れ陥落。翌22日から長期欠場に入った野村。左ヒザ前十字靭帯断裂は復帰するまで8か月以上必要になり、年内の復帰は無理だと言われている。
2023年2月4日八王子で三冠ヘビー級選手権試合が行われ、優馬は王者・宮原に挑んだ。惜しくもベルト戴冠はならなかったが、試合後「もうNEXTREAMとか小さい枠なんか今の全日に必要ない。一緒に全日本プロレスを盛り上げるためだけに、その小さい枠を捨ててやっていこうぜ」と優馬は選手に呼びかけ、「ゼンニチ新時代」へ向けて一致団結した。
3月21日大田区大会で、世界タッグ王座はプロレスリング・ノアの拳王&征矢学組に流出。当時は世界ジュニア王座がフリーの土井成樹。三冠ヘビー級王座は新日本プロレスの永田裕志。GAORA TV王座はGLEATの田中稔。アジアタッグは大仁田厚(フリー)とヨシタツ(全日本)。全日本プロレスTV認定6人タッグはATM(フリー)&大森隆男(全日本)&ブラックめんそーれ(全日本)が保持。全日本プロレスの所属選手でベルトを保有していたのは3選手のみだった。
「3月21日から全日本プロレスは未だに激動が続いていると思います。常になにかしらの波乱はあったんですけど、毎度毎度それを上塗りする大激動がやってくるんですよね。まさか主要タイトルがほぼ外へ流出するとは思わなかったですね」
激動の最中、優馬は東京ドームでの武藤敬司引退興行や両国国技館のALL TOGETHER(新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによるチャリティー興行)などビッグマッチに参戦し、「青柳優馬」を世間にアピールした。
「全日本プロレスのポテンシャルや自分自身のポテンシャルも、ちゃんと発揮できたんじゃないかと思います。少なからず結果につながったと今では思うんです。最近、「初めて○○の大会で優馬さんを見て、今日来ました」という人が全日本の試合会場やイベントに足を運んでくれるようになったんです。 それを実感したのは東京ドームやALL TOGETHERからですね。そこから自分自身が掴んだ勢いを実感するようになりました」
27歳8ヶ月、史上最年少五冠王者。王道マットを世間に発信
4月8日、チャンピオン・カーニバル 2023の開幕戦。入場式の際、欠場中の野村直矢のタスキをかけた優馬の姿が。野村の想いを背負いリングに立つという決意の表れだ。この日の優馬はメインイベントで、シングル直接対決9戦して勝ち星のない宮原と対決。その宮原から10戦目にして初のフォール勝ちを奪った。「素直に嬉しいですよ。何回もやっても1回も勝てなかったんですから。ようやくですよ」と試合を振り返り笑みがこぼれた。
その宮原とタッグを結成し6月15日後楽園で、流出している世界タッグ選手権が行われた。「宮原&優馬は最後の砦のつもりで挑みました」、その言葉通り、王者の拳王&征矢学を徹底的に攻め、最後は宮原が征矢から勝利を奪い全日本に世界タッグベルトを取り戻した。
約2週間後の7月2日、同じ後楽園ホールで優馬は新日本プロレスの永田裕志が持つ三冠ヘビー級王座に挑戦。熾烈な激闘を制し、悲願の三冠ヘビー級王座初戴冠を果たした。
「背水の陣でした。6回目の三冠ヘビー級王座への挑戦ですかね。『これでダメだったら、青柳優馬というプロレスラーは芽が出ることなく終わるんだろうな』と思っていたので。ようやく、芽を出させたのかなと思います」
世界タッグ王座と合わせ「五冠王者」となった優馬。それまで五冠王者の最年少記録はテリー・ゴディの持つ28歳2ヶ月。優馬は27歳8ヶ月とゴディの記録を更新した。「最年少五冠王座」について優馬は「ようやく全日本プロレスにベルトを取り戻せた。今年9年目、これまで8年間培ってきたものが、ようやく形になって現われたのかなっていう気持ちでした」と肩の荷が下りたようにコメントした。
最近はYouTuberとして、YouTubeチャンネル「AOYAGI-FM」を開設し、2か月目に突入した。五冠王者となり、自ら“広報部長”を名乗り全日本プロレス活性化を目指す青柳優馬。王道マットを世間に広げるべく情報発信も欠かさない。
9月3日の新潟・アオーレ長岡大会で三冠ヘビー級王座戦が行われる。挑戦者は王道トーナメント覇者・小島聡(新日本)だ。
「王道トーナメントを優勝した小島さんは素晴らしい選手です。新日本のIWGPヘビー級王座、ノアのGHCヘビー級王座、そして全日本プロレスの三冠ヘビー級王座と各団体の最高峰のベルトを戴冠し、『グランドスラム』を達成したレスラーです。でも小島さんには申し訳ないけど、長岡では僕が勝ちます!そして僕が、今以上に全日本プロレスを素晴らしく、みんながもっと大好きになる団体にしていきます!」
最後にファンへ向けて。
「ベルトと一緒に成長できるようなチャンピオンになりたいので、ぜひとも温かくも厳しい目で見守っていただけたらなと思います。今後とも応援よろしくお願いします」
創業者・ジャイアント馬場によって1972年に設立された全日本プロレス。歴史が古く、ベルトの歴代王者にはジャンボ鶴田、天龍源一郎、スタン・ハンセンなど名だたる選手が。その選手たちと共に歴史に名前を刻んだ青柳優馬。選手が少ない時期に入門し、厳しい時代を耐え抜いた男は心も身体を進化した。全日本プロレスの至高ベルトを獲得した優馬、次に目指すはプロレス界のど真ん中だ!
(おわり)
取材:文/大楽聡詞
写真提供/全日本プロレス