「野球ノート」に綴った気づき、学び~大学軟式野球日本代表選考会レポート(後編)
6月10、11日に宮崎県西都市で行われた大学軟式野球日本代表の実技選考会。前編では、代表歴のある実力者たちにそれぞれの思いを聞いた。選考会では、代表OBが決して多くない大学の選手や、下級生ながら初選出を狙う選手も猛アピール。後編では、様々な背景を持つ参加者たちを取材した。
前編はこちら
転換期を迎えた北海道地区の軟式野球
大学軟式野球は、大人の指導者が不在で学生主体の運営を行っている大学が大多数を占める。北海道地区大学軟式野球連盟は4部制を敷く規模でありながら、指導者はほとんどおらず発展途上の地区。近年は選考会に参加する選手さえいない状況が続いていたが、今年は4人が名を連ねた。
中でも、昨年から川森功偉監督が就任した北翔大は3人が参加した。以前は学生しかいなかったこともあり、川森監督は「草野球チームのような雰囲気だった」と就任当初を振り返る。それでも、監督就任が転機となって硬式野球部のグラウンドを使用できるようになったり、外部の大学と交流する機会が増えたりしたことで、徐々に部員の目の色が変わってきたという。
特に大きかったのが、今年3月に実施した東北遠征。遠征の一環で、強豪・東北福祉大軟式野球部との練習試合を実施した。主将の中西倖己投手(3年=北海道岩内)は「これまでは基本的に道内での活動のみで、道外のチームと試合をする機会がなかった。刺激を受けたことや参考になることがたくさんあった」と話す。
部員の少ない北翔大がレギュラーをほぼ固定した状態でシーズンを迎えるのに対し、東北福祉大はリーグ戦開幕直前にも関わらず、どのポジションも熾烈なレギュラー争いを繰り広げていた。そのため、練習態度や声の出し方には自ずと差が出る。「真剣にやりたい人とのんびりやりたい人がいて、主将としてチームを一つにまとめるのが難しかった」と悩んでいた中西だが、東北遠征を経て部員の士気が高まってきたことを感じている。
日本代表の選考会は昨年までは応募の仕方さえ把握できておらず、今年が初参加。「代表のレベルを経験してみたい」と考えた中西がチームメイトにも声をかけ、ほかに二人が手を挙げた。全国の選手と接して得た学びを連盟全体に還元することで、北海道地区のレベル、盛り上がりはさらに増していくはずだ。
楽しみ尽くし、学び尽くした2日間
杏林大の岡田駿内野手(3年=豊多摩)も、自身が1年の頃は「サークルのような」環境に身を置いていた。部には学生しかいない上、先輩たちは公式戦で勝った経験がなく、全体練習は月に1回。「こんな環境なら、頑張ってでも硬式野球を続けるべきだったかな」と考えることもあった。
1年秋から主力選手としてリーグ戦に出場するも勝てない日々が続き、もどかしさを感じていた。また連盟委員を務め他大学の選手と交流する中で、練習の必要性を再認識した。他の部員に練習量を増やすことを提案し、現在の全体練習は週に2、3回の頻度に。チームメイトと対立することもあったものの、何度も話し合い、今ではリーグ戦で優勝を争えるほどのチームにまで成長した。
選考会は昨年までは「憧れが強すぎて、自分が行っていい場所ではないと思っていた」と消極的になり参加していなかったが、今年は代表入りを目標に掲げ練習に取り組んできた。そして選考会では、普段からチームで心がけている通り、誰よりも大きな声を出し、常に笑顔で楽しみながらプレーした。
小学3年の頃から毎日、「野球ノート」を書いている。1日目の夜、これまでの最長となる2ページ半にぎっしりと気づきを綴った。2日目の終了間際には、「まだ終わってほしくない」と名残惜しそうに口にしていた。それだけ充実した2日間だった。「弱いチームにいたからこそ、初めての経験や初めての学びがあった。盗めるものはすべて盗んで帰ろう」。意欲に満ちた姿は、選考委員の心にも響いたはずだ。
開成→東大の秀才が野球を続ける理由
丸澤勇介外野手(4年=開成)は、東京大から唯一選考会に参加した。春で引退する4年生が多い中、「まだまだ野球が上手くなりたい」との思いで初めて応募した。全国屈指の進学校・開成の硬式野球部で野球に打ち込みつつ勉学にも励み、東大に現役合格。大学では弁護士を目指して法律を学ぶ傍ら、3、4年次に選手兼任監督を務めるほど軟式野球にのめり込んだ。
「軟式球は捉えたと思った打球がファールになる。点で捉えて強く当てる感覚の硬式野球とは違って、面で捉える感覚」。軟式野球の「難しさ」を「面白さ」に変換し、体の使い方やバットの出し方を高校時代以上に緻密に考えながら少しずつ順応してきた。
「野球と勉強、どっちが好きか」との問いには、「勉強させてもらえるのは贅沢なこと」と前置きした上で、「勉強は面白いけど、必要性に迫られてやることが多い。どちらかというと、心から楽しめる野球の方が好き」と答えた。選考会後は将来のため勉強に本腰を入れるが、大好きな野球も目一杯やり切るつもりだ。
「日本代表」が選手のモチベーションに
下級生もそれぞれが個性を光らせた。同志社大の柳瀬泰成外野手(2年=中京)は、野球を始めた小学1年の頃から軟式野球一筋の選手。「叩き」と呼ばれる軟式野球特有の打法を繰り返し披露していた。
「叩き」とは跳ねやすい軟式球の特性を生かし、打球を高く弾ませる打ち方のことで、高校軟式野球の名門・中京の神髄とも言える戦術だ。硬式野球出身者の技術力の高さに驚きながらも、「叩きは練習しないと身につかない。叩きには自信がある」と磨いてきた武器をいかんなくアピールしていた。
城西国際大の照屋心海内野手(1年=松山学院)は、今回の参加者で唯一の1年生。硬式野球出身ながら、昨年城西国際大軟式野球部の合宿に参加した際に先輩たちから実力を見込まれ、1年目からの代表入りを目指してきた。ノックを受けた後にブルペンで投球するなど動き回り、投打で存在感を放っていた。
今回取材した選手のほとんどが、日本代表の存在を野球に打ち込む原動力にしていた。注目度では硬式野球にまだまだ劣るとはいえ、代表の活動が競技普及に寄与していることは間違いない。そしてなにより、日本発祥とされる軟式野球を世界に広める貴重な機会となっている。大学軟式野球界は今後どんな発展を遂げていくのか、注目し続けたい。
(取材・文・写真 川浪康太郎)