「舞洲に生まれ始めた伝統とは?」オリックス・バファローズを支える埋立地にできた球団施設
オリックス・バファローズ(以下バファローズ)の強さが際立ち始めている。パ・リーグ3連覇は目前で黄金期到来の雰囲気も漂う。投打の両方で柱となる選手ができたのに加え若手有望株も次々と頭角を表している。
確固たるビジョンに基づいた着実なチーム強化を支えるのが、2017年からフル稼働を始めた大阪・舞洲の球団施設だ。
~距離の近さとスペースの広さが最大のウリ(田口壮コーチ)
「一軍本拠地・京セラドーム大阪との物理的距離が近くなったのが1番大きい」と語るのは外野守備・走塁コーチの田口壮だ。
「調子を落としたり、ケガ人が出た場合の選手の入れ替えにクイックに対応できます。一軍練習をサポートしたり二軍戦に出てから夜の試合にも合流できる。そういった部分がかなり変わりました」
田口コーチは2016年から3年間、二軍監督も務めていた(一時、休養期間あり)。以前使用していた神戸から舞洲への移転を現場レベルでよく知る人物の1人だ。
「現場としてはトレーニングとメンテナンス部分が充実したのを痛感しました。神戸もトレーニング設備は充実していましたが、スペースが多少狭かったので制約もありました。広くなったことで効率化も進みました」
バファローズは2008年に大阪府へ本拠地移動した後も、二軍は神戸に拠点を置いていた。2016年に大阪市にある舞洲スポーツアイランド内に舞洲サブ球場(現:杉本商事バファローズスタジアム舞洲)を新設、翌年からは選手寮・青濤館と室内練習場なども同敷地内へ完全移転した。球界トップクラスの施設を得ただけでなく、一軍本拠地である京セラドーム大阪との現実的な距離も縮まった。
~外国人選手も活用しやすい場所(スタジアム運営グループ課長・吉田直喜氏)
「バファローズの施設は米国メジャー、マイナーの最新式のものにも引けを取らない」と胸を張るのは、事業運営部コミュニティグループ課長兼スタジアム運営グループ課長の吉田直喜氏。
「米国の施設を見る機会がありましたが、負けていない所もあると思います。神戸の時と比べ、京セラドーム大阪までの距離が近くなった事で、一・二軍のコミュニケーションが取りやすくなったという利点があります」
吉田氏は1989年ドラフト2位でオリックス(当時ブレーブス)入団。96年に現役引退後は広報やマネージャー、先乗りスコアラーを歴任。2019-20年は外国人担当スカウトとして全米中を飛び回り多くの球団を目にしてきた。
「外国人選手にとっても活用しやすい場所になっています。米国で実績ある選手でもNPBで即座に結果を残すのは難しい。日本野球に適応するため様々な調整ができる場所としても最適だと思います」
~春季キャンプやアカデミーに似た施設(マーウィン・ゴンザレス)
外国人選手からも好評を得ている。アストロズ等でメジャー在籍11年を誇り、今季から加入したマーウィン・ゴンザレス。夏場に下半身を故障した際には、舞洲でリハビリと調整を行っている。
「(舞洲では)故障からの素早い復帰を目指してリハビリを主に行いました。米国の設備と似ていて使いやすくスタッフの数も多くて充実していた。スムーズに進んで想像以上に早い復帰ができました」
「寮が隣接しているのは米国マイナー施設との大きな違いです。春季キャンプ地やドミニカ等のアカデミーに似ているという感じがします。球場、寮、打撃ケージ、ウエイト場の全てが揃っており上達を目指すための素晴らしい場所です」
~ケガやコンディション不良へ即座に対応できる(ジャレル・コットン)
同じく今季から加わったジャレル・コットンは、メジャー通算82試合登板17勝を挙げている経験豊富な右腕。ここへ来て舞洲で調整する時間も増えているが、一軍登板へ向けての準備に抜かりはない。
「初めて来た時には立派な施設に感動すら覚えました。球場が素晴らしいだけでなく室内練習場やウエイトルームもかなり広い。通常のケアだけでなくリハビリを行えるだけの医療器具が揃っているのも素晴らしい」
「選手としては単発ではなく長期に渡ってチームに貢献し続けたい。そのためにはケガをせず、コンディション不良を感じたら即座に対応することが必要。舞洲はそういうケアがしっかりできる場所です。調子を上げて、ここから先の戦力になれるようにしたいです」
~言われなくても練習する選手が増えている(スタジアム運営グループ・丸毛謙一氏)
「最高の施設を最大限に活用して一軍の舞台を目指して欲しい」とは、事業本部スタジアム運営グループの丸毛謙一氏。
「時間をうまく使って効率を上げることができる環境です。特に育成選手は3年間という決められた時間内で支配下登録を勝ち取らないと自由契約になる規則です。短い時間の中で少しでも上達してアピールする必要があります」
丸毛氏は2010年育成8位で巨人入団するも3年が経過して自由契約となった。その後オリックスと支配下契約を結び、14年には開幕一軍入りするもプレー中の不慮の事故の影響で現役引退を余儀なくされた。
「育成選手に対しては、『必死にやるのは当然だから練習しろと言うまでもない』という雰囲気もあります。自分の立ち位置を見失ったり、言われない(怒られない)環境に甘えていたら時間だけが過ぎます。辞めてから後悔して欲しくないです。でもそういう部分でも意識が高い選手が増えていて安心しています」
~舞洲の伝統が少しずつできている(青濤館寮長・山田真実氏)
「選手自身の自己管理ができていて真摯に野球と向き合っている」と青濤館寮長・山田真実氏は温かい眼差しで語ってくれた。
「舞洲という良い環境を与えられたので結果を出すだけです。素晴らしい環境の中で選手たちはしっかりやっている。そういう先輩たちの姿を新入団選手が見て真似をする。舞洲の伝統が少しずつでき始めています。我々の現役時代とは環境も激変しています」
山田氏は1985年ドラフト2位で近鉄入団、91年にウエスタン・リーグ最優秀防御率賞を獲得するも二軍暮らしが続いた。95年に現役引退後は近鉄、オリックスで主に打撃投手を務め、20年から寮長を務める。
「現役当時は室内練習も狭かった。練習もノルマを課され疲れ切るまで必死にやる感じでした。いろいろ言われますが、今の若い選手は自分なりに考え、勉強しながらやっています。身体やコンディション調整等の知識も豊富です」
舞洲に移転して5年で日本一を達成。多くのことが重なっての結果とはいえ舞洲から一軍へ羽ばたいていった選手がチームを牽引したのも事実だ。
「結果が出るまで、もう少し時間がかかると思いました。選手たちの意識や姿が変わったのが早かったのではないでしょうか。そして結果を出している選手の姿勢が刺激や相乗効果になっています。この良い流れを途切れさすことなく、次の選手を出していきたいです」
舞洲で育った選手たちがバファローズの中心になっている。山本由伸、山岡泰輔、山﨑颯一郎の3投手は、舞洲1年目と言える2017年からプロ生活が始まった。宇田川優希や東晃平は育成契約から現在の場所を勝ち取り、山下舜平大は開幕投手を任されるまでになった。野手でも宗佑磨をはじめ、多くの選手が素晴らしい活躍を見せている。
「長年携わった神戸から移るのは少し寂しい部分もありましたが、今となっては素晴らしい英断だったと思います」(山田寮長)
単独球団が勝ち続けることが難しくなっている中で、バファローズのリーグ3連覇は偉業である。チーム方針に沿った選手の育成という柱がしっかりしていることが要因の1つなのは間違いない。
舞洲の存在は想像以上に大きなものになっている。新たな伝統も生まれつつある中、今後も次々と素晴らしい選手が出てくるはず。オリックス・バファローズの黄金期はすでに始まっているようだ。
(取材/文/写真:山岡則夫、取材協力:オリックス・バファローズ)