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それでも、ここに残る──池上丈二とレノファ山口、『百円シャワー』からワンクラブマンへの軌跡

そこは、まだクラブハウスではなかった。

公園の管理棟、小さな一室で掛けられた言葉。

 「これから、よろしく」

 それが、一つのクラブのバンディエラ(旗手)が生まれた、”始まりの日”だった──。

地域クラブのバンディエラは、こうして生まれる──池上丈二“残る理由”

消えゆくワンクラブマンと、ひとりの男の選択

移籍が日常になった時代、ひとつのクラブに居続けることは難しい。資金力で劣る地域クラブならなおさらだ。

それでもレノファ山口FC(以下レノファ)には、2017年から変わらずオレンジを纏い続ける選手がいる。10番を背負う、池上丈二だ。

右足から繰り出されるキックは正確無比。狭いスペースでも、相手を背負いながらでも、必ずボールを前に進める。そのプレースタイルこそが、レノファの攻撃的サッカーの象徴だった。2023シーズン岡山戦の後半ロスタイム、チームを救ったFKの一撃は今も語り草だ。

高いテクニックで、レノファスタイルを体現する男。

サポーターは彼を、愛情をこめて「俺たちのジョージ」と呼ぶ。

入団から9年。入れ替わりが激しいクラブで、なぜ彼は残り続けたのか。地域クラブの”バンディエラ”はどうやって生まれるのか──(敬称略)

ボールを前へ。”レノファスタイル”を担う男、池上丈二

手作りの環境、「やってやる」という思い

池上丈二、30歳。大阪体育大学からプロの門を叩いた。

常に環境を選び替えてきた男だった。熊本から長崎の国見高校へ、さらに青森山田高校へ。強豪高校間の主戦の転校は異例だが、成長のためなら、動くことを厭わない。その姿勢が、池上の原点にある。

2017年、レノファから練習参加の打診があった。設備の充実した青森山田高校などと比べれば、見劣りする部分もあった。だが、迷いはなかった。プロになることが、なによりも優先だった。

当時のレノファにクラブハウスはなく、練習場を転々としていた。

百円投入式のシャワーに「急げ」と声を掛け合う。ミーティングを行なう部屋は差し込む光でスクリーンが見えず、ポスターを貼って暗くして凌いだ。クーラーもなく、汗だくのまま語り合った。それでもよかった。ただただ、「ここでやってやる」という思いであふれていた。

管理棟で始まった“プロ生活”──池上丈二の原点

レノファがくれた練習参加の声──それは大学生の池上にとって、プロへの道筋を”鮮明な現実”として目の前に示してくれた。運命を変える機会だった。

山口県立小野田サッカー交流公園での練習後、当時の上野監督に掛けられた「これから、よろしく」という言葉。

「それ、ここ(管理棟の部屋)だったんですよね」


何もない場所だった。専用ロッカーも、最新設備も、華やかな看板もない。ただ地域に開かれた、公園の管理棟の一室。しかし、その素朴な場所にこそ、池上は自分の全てを賭ける覚悟を見出した。

何もない、だが、だからこそ全てが始まった場所。そこが池上丈二のプロ選手としての原点だった。

何もない、だが、だからこそ全てが始まった場所。池上丈二とレノファのスタート地点

百円シャワーからクラブハウスへ──9年間の進化

入団から9年。池上のプロ生活は、常にレノファの進歩とともにあった。

クラブハウスができたのは、転換点だった。ひとつの拠点になったこと。これは本当に大きな進歩だった。

選手生活の中心である練習場。拠点が定まらなければ、住む場所を選ぶことすら難しい。

池上は入団当初、湯田に住んでいた。練習場を転々とする日々。小野田での練習の日は約1時間かけて通った。車中で過ごす時間は、準備もケアもままならない。

クラブハウスができて、生活は一変した。

様々な練習場を行き来する日々は終わり、引っ越した家からは数分。浮いた1時間は、準備とケアに回せる。ロッカーに荷物を置けるだけで、心が軽くなった。

スポンサーの支援でトレーニング器具も増えていった。2023年には昼食の提供も始まった。もちろん、J1クラブと比べれば、まだ見劣りする部分もある。それでも、一つひとつがありがたかった。

“ゆっくり”ではある。だが着実に、前には進んでいた。過去を知る池上には、それがはっきりと見えていた。だからこそ、不満ではなく、感謝が先に来た。

制約の中の葛藤──「行ってこい」と言う背中、「残ってくれ」と叫ぶ心

環境は少しずつ整った。だが、結果がついてこない。

J2、10年目。池上の胸には、ある種の焦燥感が渦巻いていた。本来であれば、J1昇格、少なくともプレーオフに常に絡める位置にいるべきではないか。しかし現実は、安定しない順位。特にここ数年は下位に沈み、苦しい時期が続いた。

クラブの進化を肌で感じてきた人間だからこそ、余計に苦しい。設備は整い、地域の支援も厚くなった。それでも結果が伴わない現実に、池上は自分たち選手の責任を痛感していた。

「クラブにも、ファンにも、申し訳ない」

その想いは、日に日に重くなっていた。

輝きと挫折のサイクル

チームとして輝きをみせた時期は何回もあった。攻撃的なサッカーで魅せた2018年シーズン、躍進を見せた2024年前半戦……しかし、続かない。その背景には、地域クラブが抱える構造的な問題がある。

レノファ山口の2024年度の売上高は12.5億円。J2平均19.4億円の約3分の2に過ぎない。人件費4.5億円も、J2平均6.7億円を大きく下回る。

都市圏のクラブとは、戦う土俵が根本的に違う。

選手が輝けば、より条件の良いクラブから声がかかる。しかし、引き止めるための金額には限界がある。人件費を積み上げれば、環境整備にしわ寄せが行く。優秀な選手が抜ければ、結果が続かない。結果が揺れれば、収入も不安定になる。

地域クラブが成長を続けるうえで、避けて通れないジレンマだ。

一時は首位を走った2018シーズンの仲間たち。1年後、同じピッチに立ったのはわずか3名だった

「行ってこい」と言う背中。「残ってくれ」と叫ぶ心

「池上さん、実は相談が…」

後輩から移籍の相談を受けたことは、一度や二度ではない。

毎回、池上の本心は同じだった。「ここでまだ、一緒に戦いたい」。その想いを、必死に飲み込む。口から出る言葉は、いつも同じエールだった。

「頑張って。行ってこい」

プロとしての判断基準からすれば、当然の言葉だった。大きなクラブの条件には勝てない。レノファが抱える制約も理解している。チーム編成は選手が口を出す範疇ではない。フロントもスタッフも、皆が最善を尽くしているのもわかっている。置かれた条件で戦い、結果を出すのがプロだ。

「自分が他のチームに移籍したのか」と思う位、入れ替わった年もあった。

それでも、”これだけ変わってしまうと、難しい”――そんな言葉を口に出す気はない。自分にできることは、レノファに残った選手、今年来た選手と一丸となって戦うだけだ。

責任と制約のはざま

池上はクラブの成長、クラブの努力を肌で感じてきた人間だ。だからこそレノファへの、結果への責任と制約のはざまにあった。そして、けがで十分な貢献ができないもどかしさが、拍車をかける。

「残ってくれれば……でも止められない」
「自分たちがもっともっと結果を出していれば。この環境すらも変わっていたかもしれない」

移籍した仲間たちが活躍するニュースを複雑な気持ちで見つめた日もあった。

池上は深い葛藤の中にいた。

それでも残る理由──レノファへの愛着が生まれた瞬間

レノファを離れる道も当然あった。それでも、池上は動かなかった。

「(レノファが、山口が)好きなんでしょうね……なんでだろう。言葉にならない」

その愛着は、いくつかの瞬間から生まれていた。


プロとしての挑戦の場を与えてくれた「これから、よろしく」という言葉。

坪井慶介や山瀬功治のような国際舞台で活躍してきた選手が見せた、置かれた環境で自分のベストをつくす姿勢。

今よりももっと過酷な環境だった時代を知る島屋八徳、岸田和人らが、再びレノファに戻り、クラブを支える姿。

地元山口の為、選手として、そして監督として、幾度もの厳しい局面で立ち上がった中山元気の矜持。


レノファが与えてくれた、すべての機会。


経済的制約は現実だ。J1基準には、もう一歩の覚悟が必要だという佐藤謙介コーチの言葉もわかる。

だからこそ、思う。一歩進んで行く中で、「百円シャワー」の頃を知る自分だからこそ、果たせる役割はないか。佐藤が、外のクラブとの違いを示してくれるなら、自分は過去のレノファとの違いを語ることができる。

レノファが進んできたこと。置かれた環境での戦い方。皆の努力。
伝えるべきこと、見せるべき姿。

自分にできることはなにか。

こんなに入れ替わってほしくない、という思い。自分が残る意味。結果への責任。──色々な感情が、池上の胸を渦巻いていた。

地域の声が背中を押す時

苦悩の渦中にあったこの夏。
クラブの環境を良くしようと、スマートフォンに届く地域の人たちの声に、池上は驚いた。

「…すごいよ。みんな、めちゃくちゃ応援してくれてる」


思わずクラブのメンバーにつぶやいた。


「レノファのために」
「選手に、少しでも良い環境を」
遠方に住む元山口県民からは「故郷のクラブを支えたい」という声。


自分になにができるか。


「御礼に、スパイク出しましょうか。5足でも。僕のでサポーターの皆さんが喜ぶなら。プラスアルファでも」

そんな言葉が、飛び出す。


山口という地域は、自分の背中をいつも押してくれる。

山々に響く、地域の声援の連なり。迷いながら歩む背中を、いつも押してくれていた

“残る”とは物語をつなぐこと──バンディエラの種が芽吹いた時

「僕が本当にこんなことを語っていいのか……」

池上の言葉には、ある種の躊躇いがにじむ。

自分より長くクラブを支えてきた先達がいる。創設時からの苦労を知る人たちがいる。自分はその域ではない──そう思う瞬間もある。昨季の成績を思えば、「自分がここにいていいのか」と迷いもした。でも、伝えたい。

それでも残りたい。ここにいて、みんなと上を目指したい。それだけだった。

先のことはわからない。でも、自分の気持ちとして、たしかに言えることがある。

“ワンクラブマンとして、ここでずっと戦い抜きたい”

その想いが、池上の中で確固たるものになっていく。

残るという行為は、物語をつなぐこと――。

10年積み重ねてきたクラブの努力、先輩たちの背中、サポーターの支え──それらすべてが、一人のバンディエラを育てつつあった。

多くの先人から受け継いだパス。池上の背中に、バンディエラの矜持が宿る

夜明け前。光は、もう見えている

1万人プロジェクト、食事改善プロジェクト。小さく見える活動が、確かに選手の心を温めている。


クラブが変わるには時間がかかる。佐藤謙介は、横浜FCでの変革に10年を要したと振り返る。レノファも、もがきながら、少しずつ、確実に前へ進んでいる。


池上のようにクラブへの愛を持つ選手が増えていくことは、“J1基準”に近づくうえで欠かせないピースなのかもしれない。ワンクラブマンの存在は、語り部として、クラブの連続性や“物語”を生み、地域の誇りや一体感の核にもなる。

レノファという名に込められた「維新」。長州で時代を動かしたのは、吉田松陰という一人の語り部と、地域に根ざした一人ひとりの覚悟だった。

池上もまた、レノファで、若い選手たちに何かを伝えようとしている。

百円シャワーの記憶を。地域の支えを。そして、それでも諦めない覚悟を。

「1つ勝って、一丸となって。みんなでまたいい方向に向かっていきたい」

池上の言葉に、迷いはない。


維新の夜明け前。空は、もう白み始めている――。

夜明けとともに始まる、新たな維新。レノファの第2幕が開く

(取材・文/沖サトシ)

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