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1試合3本塁打でも「全然満足できない」 プロ入りを目指す仙台大・三原力亞は志を高く持ち続ける

 今年の仙台大硬式野球部は新4年生が精鋭揃いだ。ドラフト候補・辻本倫太郎内野手(3年=北海)に注目が集まりがちだが、昨秋のリーグ戦では川和田悠太投手(3年=八千代松蔭)、坂口雅哉捕手(3年=八王子学園八王子)、三原力亞外野手(3年=聖光学院)の同学年3選手がベストナインに輝き、川島優外野手(3年=山村学園)は最多盗塁賞のタイトルを獲得した。  

 そのうちの一人である三原は強いプロ志望を抱いており、「自分の名前をアピールし、仙台大には辻本だけじゃないというところを見せたい」と豪語する。東北の地で生まれ育った、長打力と強肩を武器に持つ右の強打者。高校、大学での挫折経験や今オフの手応えについて語ってもらった。

聖光学院で甲子園出場、その裏で直面した母の病

 福島市出身の三原は、福島県内屈指の強豪校・聖光学院で高校時代を過ごした。中学時代は投手として名を馳せたが、高校入学後はイップス気味になり、1年冬に野手に転向。野球人生で初めての挫折を味わった。

 「高校野球の厳しさや、生きていく上での考え方の甘さを痛感させられた。中学生の頃の自信は過信だったと気づいた」  

 周りのレベルの高さに圧倒されながらも実力を伸ばし、3年夏にはチームの主力選手へと成長し、甲子園では4番に座った。「技術面以上に、どのように野球と向き合わなければいけないか、どのように人として生きなければいけないか、といった『生き方』を学んだ」と聖光学院での3年間を振り返る。

2月中旬、仙台大の室内練習場でバットを振る三原(手前)

 高校卒業後の進路はすんなりとは決められなかった。3年夏の県大会準々決勝、三原が本塁打を放ったその日、スタンドで応援していた母・ふみ恵さんが脳出血で倒れたのだ。  

 ふみ恵さんの闘病生活は長引き、金銭的な問題もあったことから、一時は野球を辞め消防士になることも考えた。それでも熟考の末、隣県の仙台大への進学を決意。両親や学校関係者の言葉はもちろん、「プロ野球選手になりたい」という強い意思が三原を動かした。

パワーの源は母の手料理、ブレイクの時を待った大学前半

 大学入学当初、寮には入らず、福島市内の自宅から電車と自転車で片道約1時間半かけてグラウンドに通った。しかしハードな練習との両立は容易ではなく、すぐに通学を断念。その後、家族が大学近辺に引っ越してきてくれた。  

 現在の体重は93キロ。高校時代と比べて20キロ近く増え、パワーも増した。増量を後押ししたのは、ふみ恵さんが毎日作ってくれる手料理だ。ふみ恵さんの病気は快方に向かっており、三原も家族と生活を共にしながら野球に打ち込む日々を送っている。「母がいなかったら、今の自分はない」と感謝を忘れない。

守備では主に右翼で強肩を披露する三原(仙台大硬式野球部提供)

 ただ大学1、2年次はオープン戦などで出場機会を得ながらも、チャンスを掴むことはできずにいた。1試合で複数エラーを犯してリーグ戦のメンバーを外れることもあれば、サインミスをして二軍に落とされることもあった。  

 「何をしているんだろう…」と落ち込みつつ、プロへの思いは保ち続けた。最も重視したのは私生活。「ユニホームを着ていない時間をどう過ごすかが大事」と考え、部屋の掃除や身の回りの整理整頓は怠らなかった。技術面でも、練習では重さ1キロのバットを使ってタイミングを意識したスイングを徹底するなどし、打撃の確実性と長打力を並行して強化した。

タイトル獲得、最終盤の怪我…激動の大学3年目

 大学3年目を迎えた昨春、努力が実を結び始めた。リーグ戦初打席で3ランを放ち鮮烈デビューを飾ると、東北学院大2回戦では1試合3本塁打をマーク。全試合にスタメン出場し、東北福祉大・杉澤龍外野手(現・オリックス)と並んで最多本塁打賞のタイトルを獲得した。  

 打率も3割を超え、見事ブレイクを果たしたが、三原はこのシーズンを「全然満足できなかった」と振り返る。杉澤が4本のうち2本を優勝が決まる仙台大戦で記録した一方、三原は東北福祉大戦では不発で8打数1安打と沈黙した。「良い相手、良い投手から、コンスタントにホームランの打てる打者になりたい」。そんな思いがふつふつと沸いてきた。

昨春の宮城教育大1回戦、リーグ戦初打席で本塁打を放ち、ベンチ前で祝福される三原(仙台大硬式野球部提供)

 秋は下位打線を打つことの多かった春から一転、4番や5番など中軸を任されることが多くなった。打率は春に続き3割超えで、初のベストナインにも選出されたものの、求めていた本塁打は0に終わった。そして何より悔しかったのが、終盤の離脱だ。東北福祉大1回戦の守備中に、膝の靱帯を損傷する全治約3ヵ月の怪我を負ったのだ。  

 東北福祉大2回戦と、明治神宮大会の出場権を争う東北地区大学野球代表決定戦は代打のみの出場で、いずれも凡退。神宮では打席に立つことさえできなかった。「なんで俺なんだろう。なんでこのタイミングなんだろう」。怪我をした日以降、毎日のように涙で目を腫らした。数字だけ見れば順調な1年に見えるが、三原にとっては悔いの残る1年だった。

ドラフト見据え過ごす、大学最後の冬

 昨年の悔しさが、この冬の原動力となっている。武器である長打力を磨くため、練習ではロングティーを重点的に行ってきた。小野寺和也コーチと二人三脚でスイングの軌道やインパクトのタイミングを見直し、力の入れどころ、抜きどころを意識した打撃を身につけたことで、徐々に打球の変化を感じている。怪我も完治が近いという。

バットを構える三原

 新チームでは副将に就任。幹部間でチームの春の目標を決める話し合いをした際、主将の辻本が「全国1勝」を提案する中、「日本一」を掲げるべきだと主張した。「キャプテンがチームの顔。倫太郎の言ったことに反対するわけではなく、倫太郎について行く前提で自分の意見を出した」と話すように、チームメイトに不満を抱いたわけではない。現状に満足せず、高い目標を設定し、少しでも近づくために努力を重ねるのが三原のスタイルだ。

 個人の目標も、4年春のリーグ戦は本塁打、打点の「二冠」を掲げる。そしてその先には、「支配下でプロ」という大きな目標がある。

 大学でプロを目指すと決めた時から、一度たりとも見失うことのなかった目標。成し遂げるその日まで、バットを振り続ける。

(取材・文・一部写真 川浪康太郎/写真提供 仙台大硬式野球部)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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