元J2得点王 長谷川太郎さんインタビュー第2回:引退の地で見たインドサッカーの実態とは
サッカー選手のセカンドキャリアとして、元J2日本人得点王である長谷川太郎さんに、現役生活の話や現在の取り組みを伺う
連載コラム。初回は、元日本代表FW 玉田圭司選手や元日本代表監督 西野朗氏といった、現役時代、キャリアの転換点となった
ライバルや指導者との出会いについて語ってもらった。第2回のテーマは、サッカー選手生活での最後の挑戦。
インドでの日々と、そこで得たものについて振り返ってもらう。
前回のコラム(元J2日本人得点王!一般社団法人TRE代表の長谷川太郎さんを直撃)を読んでいない方はコチラから
2014年、インドスーパーリーグ(ISL)が発足し、国内でサッカーブームが巻き起こったインド。ジーコ、ロベルト・カルロス、デル・ピエロ、ネスタといったビックネームも監督や選手といった立場で参戦し、世界からも注目を集めた。しかし、その一方で、インドサッカーの実態はなかなか日本の中で目にすることはない。
引退の地として選んだインドでのプロサッカー生活の実態はどのようなものだったのか。そこで長谷川さんが目にしたもの、学んだものとは?
インドサッカーに飛び込むきっかけ
―長谷川さんは現役最後、インドのIリーグに飛び込まれ、引退されました。インドに向かうきっかけはどの様なものだったのですか?
元々、タイでチームを探していました。そんな中、名古屋グランパスがちょうどタイにキャンプに来たんですね。そこで、西野さんや玉田、そして自分がプロになるきっかけをくれた久米GMと再会したんです。そこで、グランパスの練習試合相手だったタイのチームに紹介されて、そこへの入団が決まりそうになっていました。ただ、そのタイミングで、インドのチームからオファーが届いたんです。昔のチームメイトの代理人だったエージェントが、インドで売り込みをかけてくれていたみたいで。
—同時にオファーが来たのですね?その中で、なぜインドを選ばれたのですか?
非常に迷いました。チームの場所的に、どちらも家族を連れていける場所ではない。タイは1年契約、インドは3ヶ月契約だけれど、(環境がわからないので)長い方が良い訳ではない。最後の決め手は食事でした。
—食事?
インドカレーが大好きだったんです。だから本場に行ってみたかった。
—インドカレーですか!最後の決め手、結構単純な理由ですね。
結果は正解でした。インドのサッカーは、スペースは広く、フォローは薄めで、基本1対1、というやり方が多いんですね。そのお陰で、昔の自分、あの頃のドリブラーだった自分を思い出すことができました。プレーしたのは短い期間でしたが、もう少し続けていたら、もっともっとその辺を出せたかもな、とも感じていました。インドカレーは日本でのものの方がおいしかったように感じましたが(笑)
インドサッカーの洗礼を受けた初日
—実際にインドのサッカークラブに参加されて、何か違いを感じられた部分はありましたか?
サッカーという競技の部分については、スペースやプレッシャー、フォローの考え方という部分で少し違いはありましたが、サッカー自体はしっかりしていました。練習場も12万人入るスタジアム(ソルトレイクスタジアム)でできていましたし。大きく違いを感じたのはそれ以外の環境の部分です。
—それ以外の環境、というと?
一番分かりやすいのは給与の未払いですが、それ以外にも色々あります。よく覚えているのはインドについた初日のことです。現地についたのが向こうの時間で夜中の2時頃。チームの関係者らしき人が迎えに来てくれて、ホテルに向かいました。そこで、「明日は練習ないから休め」と。そこで、慣れない環境に不安になりながら寝ていたのですが、朝方、漸く寝入れたところで、「ドンドン」っとドアを叩かれ、開けると先程のチームの方で、「練習行くぞ」と。
—言っていたことが変わったのですか?聞き間違い、とかではなく?
そうです。食事もとらないまま、慌てて練習場のスタジアムに向かいました。バイクに二人乗りで向かったのですが、道中に聞くと「練習がある。とりあえず見学に行くぞ」とのことでした。現地について、「見学だけするから」と言われ、言われるがまま練習着を着て、スパイクを借りてスタジアムに出たら、そこで試合をやっていたんですね。で、「試合に出ろ」と。
—いきなりですか?公式の試合?
試合自体は紅白戦のようなものでした。でも、アップもしていないし、食事もしていない。なにより前日夜中に移動してきて、疲れていました。そんな状態で試合に出て、戻って言われたのが、「お前、コンディション悪いな。それならこれ位の契約になる」という、契約金額のダウン提示でした。今思うとチーム側の罠なんですが、丁度移籍期限がその日でクローズする、というタイミングだったこともあり、十分な交渉もできないまま、下がった金額のまま契約となりました。
—それは過酷ですね。いきなりの洗礼。
今考えると、短期契約(3ヶ月)だったこともあり、チームとしても、怪我とかでもし何もできない状態だったらお金を払うだけになるし、「怪我していないか、どのくらい動けるのか」というのを確認したい、というのもあったんだと思います。でもやはり、「言っていたのと違う」という思いはありました。
給与、部屋…。選手を翻弄する「インドサッカー生活」
—大変な初日でしたね。契約後、そういった環境は変わったのでしょうか?
いえ、大変なままでした。まずは先程も挙げましたが給料の未払いですね。3ヶ月契約で、まず最初のひと月分は貰えたのですが、残りの2ヶ月分はひと月毎に受け取る契約になっていました。でも結果を出さないと、払ってもらえない。受け取る為に1日に何回も事務所に通いました。最後は、根競べになりました。宿舎として、クラブのGMが所有するホテルの部屋を割り当てられていたので、そこに、未払い分をクラブが払うまで居続けて。結果、向こうが根負けしました。
―給与を貰う、という当たり前のことに、それだけエネルギーがいるのですね。
今出た、部屋、というところでも印象的な話があります。アウェーに行って、戻ってきたら、自分の部屋がなくなっていたことが
あったんです。
—部屋がなくなっていた?長谷川さんのだけですか?
丁度、最初に割り当てられた部屋の環境があまり良くなかったので、部屋を変えてくれ、とお願いしたところだったんですね。そして、前よりいい部屋を割り当ててもらったのですが、アウェーの試合に行って、帰ってきたら、荷物が出されていて、「今日はお前の部屋にはもう、お客が入っている」「もう他に空いている部屋はない」と言われて。その日はしょうがなく、友人のところに泊めて貰いました。
—ホテルに来た一般のお客に割り当ててしまったのですね!
そうです。その方がお金になるので。その後、もう一度同じことがありました。その時は流石にカチンときて、「じゃあお前らと一緒に寝る。ロビーに寝るから」と言ったら、「分かった、なんとかする」と言われて、部屋が用意されました。満室だった訳ではなく、部屋あるのに泊めたくなかったんですね。混んでいるときは、その方がお金になりますから。
—自分のチームの選手なのに、そういう扱いなんですね。
「部屋用意してくれないって、ウソでしょう??」って私も思いました。もはや敵なのか味方なのか分からない状態でしたね。でも、インド生活でも後半になると、そんな環境にも慣れてきたのと、結果を出していたので、こっちも強気になれる様になって、その辺も上手く立ち回れるようになっていました。給料の未払いの時も、「今は払えない」って言われたら、「じゃあ俺はもうお金もないし、手元にあるのはコーンフレークだけだから、払ってくれるまでこれしか食べない」って言って。すると向こうは「それは困る。試合で活躍してほしいから。それなら俺が奢るから」「いや、それなら給料を払ってくれ」、そんなやりとりをしていました。
仲間、マインド…。異国の地での挑戦で得たもの
色んなことがありましたけど、最高だったな、と思います。サッカーや施設にも恵まれていましたし、チームメイトにも凄く恵まれていました。とてもいい人が多く、インドの代表選手なんかとよく食事なども行きました。現役最後のチームでしたが、話したようなごたごた以外の部分はプロらしい生活ができていました。朝練に行き、練習終わり、食事に行き、という毎日です。サッカーに集中して向かい合え、本当に幸せでした。
それに、お話したような経験から得たものも色々あります。例えば、事態に関する向き合い方。給与未払で、事務所に通っていた時、よく居留守をつかわれて、2時間とか待たされた挙句、「何しにきたんだ」ってしらを切られたりしていたんです。長時間待たされて、最初は怒ったりしていました。これは、インドの前に所属していた他国のチームでの生活の時も同じで、スムーズに物事がいかないと、「なんだよ」って思ってしまう自分がいました。でも、インドでの日々の途中からは、例えば居留守使われて待たされても、「ああ、これは英語を勉強する時間ができた」って思うようになったんですね。それから、英語の本を持ち歩くようにもなりました。「なにか(想定外のことが)あったときに、なんかできる(学べる)」そういうマインドが身についたことも、大きな学びだったと思います。
次回、これらの学びを得て、引退後に始めた挑戦とは?現在代表を務める一般社団法人TREの活動についてお伺いします。
▼インタビューイープロフィール
<長谷川太郎さん>
柏レイソルユースから1998年にトップチームに昇格。2005年に17得点を挙げ、甲府のJ1昇格の立役者となった。その後、数々のチームを渡り歩き2014年に引退。すぐにセカンドキャリアを歩むつもりが、中々1歩目を踏み出せず「夢を見つけることの難しさ」を感じていたが、翌年の引退試合をきっかけに「サッカー選手をやりきった」という気持ちを実感。現在は、一般社団法人TREを設立してアスリートのセカンドキャリア支援や少年向けにサッカースクールを運営。(出典:http://tre2030.com/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E7%B4%B9%E4%BB%8B/)
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(続く)