無期限休部を経験しても、過酷な練習環境でも…野球ができることの「幸せ」は揺るがない~B-net/yamagataの船出(前編)
7月上旬、山形市の硬式野球クラブチーム「B-net/yamagata」が練習を行うきらやか銀行総合グラウンド(山形県中山町)に足を運んだ。
この日、グラウンドにいた選手は6人。選手は計21人在籍しているため、全体の3割にも満たない。午後7時前頃からアップがスタートし、20分程経ってノック練習が始まる頃には辺りは真っ暗に。ノックを受けていた主将の新井諒内野手(27)は「ボールはほとんど見えていないです」と苦笑いを浮かべていた。
B-net/yamagataは、きらやか銀行硬式野球部(山形市)でトレーナーだった齋藤亘さん(50)とコーチだった石川剛さん(41)が中心となって設立した。所属選手の約半数は昨年まで同部でプレーしていた選手だ。
きらやか銀行硬式野球部は前身である山形相互銀行時代の1952年に創部し、2016年には山形県勢として66年ぶりの都市対抗野球大会出場を達成。17、19年にも出場するなど躍進を続けてきた。しかし昨年9月、業績悪化を理由に突然の無期限休部を発表。他チームに移籍する選手、社業専念や競技引退を決断する選手がいる中、山形で野球を継続する道を選んだ者たちを中心にクラブチームが立ち上がった。
今年1月に発足したばかりでまだまだ発展途上のチームだが、6月の都市対抗野球第二次予選東北大会では3勝を挙げる快進撃を見せた。7月末時点でスポンサー35社、ファンクラブ会員187人。多くの企業、ファンに応援されるクラブチームの現状と選手たちの思いに迫った。
クラブ野球の難しさと、それでも野球を続ける理由
冒頭の練習光景は企業のバックアップを受けていないクラブチームにとっては当たり前の光景と言えるかもしれないが、新井や副主将の柿崎航外野手(25)ら、昨年まで企業チームのきらやか銀行でプレーしていた選手たちは大きなギャップを感じている。きらやか銀行時代は午前中に勤務し、午後2時頃から午後6時頃まで全員で練習するのが平日の流れ。練習や週末の大会は「出勤」と見なされていた。
現在は朝から夕方まで銀行で勤務しており、練習時間は夜の約2時間に限られる。全体練習の頻度は水、金、土の週3回で、選手全員が集まる機会はほとんどない。新井が「暗いので併殺プレーや外野のカットプレーの練習はできないし、打撃練習も夜は室内でしかできない。細かい部分を詰められず、企業チームと差が開いてしまう」ともらせば、柿崎も「練習時間と試合数が圧倒的に少ない。それを言い訳にしたくはないですけど、厳しい部分はかなりある」と明かす。
また道具代や交通費は全て自己負担。グラウンドを借りるにも、企業時代は必要のなかった使用料がかかる。遠征の際は宿泊施設や食事を各自で確保しなければならず、移動手段もバスから自家用車に変わった。練習や大会が「出勤扱い」となることももちろんない。第三者から見ると過酷とも思える環境でも、彼らは日常から野球を切り離すことをしなかった。
新井は宇都宮商高3年次にセンバツを経験し、法政大の4年間ときらやか銀行入行後の3年間は投手をしていた。しかし投手としては結果を残せず、「大学2年頃からは野球が楽しかったという記憶がない。約7年間、苦しい野球だった」と振り返る。社会人4年目の一昨年から野手に転向し、昨年芽が出始め野球を楽しめるようになってきた矢先、無期限休部という現実をたたきつけられた。
柿崎は鶴岡東高、東北福祉大と東北の名門校で主力選手として活躍したのち入行。高校3年次には夏の甲子園出場、大学3年次には全日本大学野球選手権優勝を経験している「野球エリート」だ。地元の企業チームであるきらやか銀行に対しては「正直に言うと強いイメージはなかった」と笑うが、「自分が強くしてやろう」との思いで社会人野球でも全国の舞台を踏もうと意気込んでいた。
やる気も体力も有り余っていたが、ともに家庭を持って間もないこともあり一時は現役引退を決意。「不完全燃焼」な二人だったからこそ、B-net/yamagataが設立されると知ってすぐに加入を決めた。そして二人は、「自分には野球しかない」と口をそろえる。
今年の都市対抗野球第二次予選東北大会期間中、選手の多くは出費を抑えるため素泊まりの格安宿泊施設に泊まり、3人部屋で集団生活を送った。新井はこの期間を、「毎日野球ができて、楽しくて、幸せな1週間だった」と回顧する。また柿崎は「野球が好きで、楽しみつつ本気でやりたいと思える人が集まるチームにしたい」と願う。「野球が好きで楽しい」。それが、野球を続ける一番の理由だ。
野球でつながる、未来へつながる人の輪
チーム名は「Baseball-network」を縮めたもの。実際に野球を通じてつながった、多種多様な経歴を持つ選手たちが集まってきている。
社会人7年目の木村達哉内野手(29)はきらやか銀行時代を知る一人だが、肘の故障の影響もあって4年前に事実上の戦力外通告を受け、直近3年間はデータ分析を行うアナライザーとして在籍していた。選手でなくなってからは裏方に徹しており、「きらやか銀行のままだったら選手をするつもりはなかった」と断言する。
B-net/yamagata加入後、練習に参加して体を動かしたのがきっかけで野球をプレーする楽しさを思い出し、選手復帰を決めた。ブランクがある上、投手から内野手への転向だったこともあり、人一倍努力を重ねている。都市対抗野球第二次予選東北大会では全5試合に遊撃でスタメン出場し、3割近い打率をマーク。「個人の成績よりも、みんなで勝って喜べたことがうれしかった」と、選手の醍醐味を肌で感じていた。
きらやか銀行以外の企業などに勤める選手も次々と加入している。長岡耕大内野手(23)はその一人。山形中央高で硬式野球部に所属し、東北学院大では軟式野球部に入部するも1年で辞め、その後は月2回程の草野球を楽しむ大学生活だった。大学在学中、週末は地元の中学生を指導する機会があり、その中学生チームの代表に勧められてB-net/yamagataに加入した。
大きな体を生かした打撃を武器に、早くも打線の中軸を任されている。「ブランクのある自分を温かく迎えてくれた」というチームにもすぐに溶け込むことができた。長岡は試合で活躍する中で「初めて大きな大会に出て野球ができたことはいい経験になった」と手応えを感じる一方、「全体練習以外の日も練習して自分自身がレベルアップしていかないといけない」と気を引き締め、野球と真剣に向き合う日々を過ごしている。
柿崎とともに副主将を務める稲毛真人内野手(30)はクラブ野球経験者。敬愛大卒業後、エフコムBC(福島県伊達市)の前進である富士通アイソテックベースボールクラブに入り6年間プレーしていた。転職で地元に戻り、昨年はチームには所属せず。「一山形の人間としてショックだった」ときらやか銀行休部のニュースを受け止めていた折、誘いを受けB-net/yamagataに加入することとなった。
「クラブチームは個人で動く時間の方が多いとはいえ、野球はチームスポーツ。一人一人が目標だけはぶれずに持ち続けることが大事」。クラブ野球の難しさを知っているからこそ、チームメイトにはモチベーションの保ち方などを積極的に伝えている。その一方、「趣味とは言いたくないですけど、クラブチームの選手はみんな好きで野球をやっている。そういう人たちが集まると、自然と勝つために必要な明るさが出てくる」と話すように、クラブ野球の魅力も十分すぎるほど知っている。
稲毛の言葉通り、チーム内に無期限休部という社会人野球にとっての「悲劇」の名残はなく、練習中は選手たちの笑顔と明るい雰囲気が溢れていた。これからB-net/yamagataの、長い歴史が紡がれていく。そんな予感がした。
(取材・文・一部写真 川浪康太郎/写真提供 B-net/yamagata)