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存在価値のあるチームを、長く存続させる――「クラブ化の2年間」を知る二人の奮闘劇~B-net/yamagataの船出(後編)

「企業の業績悪化に伴う硬式野球部の無期限休部を決定した。本当に申し訳ない」。

 2022年9月2日、きらやか銀行の川越浩司頭取は、選手たちの前で涙ながらに言葉を絞り出した。社会人野球日本選手権東北最終予選の6日前の出来事。大会前には頭取はじめ役員らがグラウンドを訪れるのが通例となっていたため、選手たちはいつも通り、激励を受けるものだと思っていた。しかし実際に頭取の口から発せられたのは、あまりにも残酷な現実だった。

チーム始動から約半年が経過した

 選手たちがすぐには現実を受け止めきれないでいる中、「発表の一日後」には「若い選手のためになんとかしてやりたい。野球ができるチャンスをつくりたい」と考える人物がいた。当時コーチだった石川剛さん(41)だ。トレーナーの齋藤亘さん(50)とともにクラブチーム設立を計画し、マネージャー経験を生かして選手確保や資金集めに奔走。今年1月、B-net/yamagataを発足させた。

 そんな石川は、41歳にして10年ぶりの選手復帰も果たした。チームが3勝を挙げた都市対抗野球第二次予選東北大会では、全5試合に先発登板し特別賞を獲得。敏腕マネージャーにしてエース、B-net/yamagataになくてはならない存在だ。

前編はこちら

初の都市対抗出場までに歩んだ激動の日々

 山形中央高、城西大を経て当時の山形しあわせ銀行に入行。30歳まで選手としてプレーし、その後はきらやか銀行のマネージャーとコーチを歴任した。マネージャーに就任してからは資金調達や日程調整はもちろん、遠征時の宿泊施設、食事の手配や練習試合の申し込みなど、あらゆる業務を担ってきた。

40歳を超えてマウンドに戻ってきた石川

 チームを強くするための改革にも着手した。当初は関東の強豪社会人チームに練習試合を申し込むも、相手にされず断られ続ける日々。それでも何度も頼み込んで練習試合を実現させると、選手たちは目を輝かせて対戦を喜び、相手チームも実力を認めてくれるようになった。一方で選手の契約交渉にも携わり、「もう一年チャンスをもらえませんか」と涙する選手に戦力外通告を言い渡すこともあった。

 激務で、かつ肉体的にも精神的にも身を削る業務にも思えるが、石川は「全部好きで、楽しい仕事。大変なんて思ったことはない」と笑い飛ばす。改革の成果も徐々に現れ、2016年には都市対抗野球大会初出場を達成。石川が現役時代に「夢のまた夢」と感じていた全国の舞台を、その後も2度踏むこととなる。

選手復帰、それでも変わらない「選手ファースト」

 40歳を迎え、「引き際」も考え始めたタイミングで発表された無期限休部。行き場を失った選手たちのことを思うと、野球から離れる選択肢は浮かばなかった。現在は全体練習にできる限り参加してノッカーを務めるなど選手をサポートし、マネージャー業も寝る間を惜しんで継続している。

 そしてB-net/yamagataでは、新たな挑戦も。今年4月に行われたチームとして初のオープン戦。先発のマウンドに上がったのは石川だった。実戦の中でゲームメイク能力や体力に衰えがないことを証明し、公式戦でもエースの座を掴んだ。当初は冗談で「選手が足りなかったら投げるよ」と話していたが、ここ数年は選手とのキャッチボールや10キロのランニングをほぼ毎日こなしていたこともあり、自信は常に、胸に秘めていた。

練習でノッカーを務める石川

 とはいえ「40歳になってまたマウンドを踏めるなんて思ってもいなかった」といい、「神様がくれたチャンス。やり続けてきてよかった」と感慨ひとしおだった。ただ「選手ファースト」の姿勢は今でも変わらず、投手としての自主練習は選手が全員家路についたあとに行う。時には深夜からジムでトレーニングをすることもある。

 「僕は裏方のヒーローになれればいい。資金に困らないチームをつくったり、選手のモチベーションを保ったり、お膳立てをするのが裏方の仕事。選手たちがぎらぎらして、勝って喜んでいる姿って、やっぱり嬉しいんですよね」。それは紛れもない、石川の本音だ。

今につながる「クラブ化の2年間」で得た経験

 石川は過去に一度、今回と同じような経験をしている。2007年からの2年間、経費削減のため硬式野球部が一時クラブ化されたのだ。「話が違う」とチームを去る選手が続出し、21人いた部員は8人まで減った。

 入行して間もなかった石川は、この2年間もがむしゃらに野球と向き合った。支えになったのが、当時の監督で石川が「恩師」と崇める大向誠さんの言葉。「ぶち破れない壁はない」「できないじゃない。できるかたちを思い描くんだ」。マネージャーとして、コーチとして、そして選手として、恩師の信念を体現し続けてきた。

石川の背中を見て育つB-net/yamagataの選手たち

 クラブ化の際、辞めていくチームメイトの一部からは「お前らも辞めればいいのに。今のうちに辞めれば収入も上がるぞ」と声をかけられた。それでも己を信じ、あきらめずに逆境を乗り越え都市対抗出場を果たすと、「お前らいいな。頑張ったな」とねぎらいを受けた。この経験があったからこそ、昨年無期限休部が決まった時もすぐに、再起する未来を思い描くことができた。

「応援される」チームをつくる難しさと大切さ

 B-net/yamagataには、クラブ化の2年間を経験した人物がもう一人いる。監督の舟田友哉さん(39)。学法石川高、仙台大を経て入行し、内野手としてプレーしていた。石川と同じタイミングで選手を引退してからはコーチとしてチームに残り、近年の躍進を支えてきた。

 無期限休部の報を聞いた際には「常に覚悟はしていたし、ここまでやらせてもらえた感謝の方が大きかった」と考え社業に専念するつもりでいたが、1年先輩である石川らの思いに賛同し、監督という大役を引き受けた。監督業は初めてながら実戦の中で采配を学び、また「コミュニケーションをしっかり図る」ことを意識し、選手たちとともに汗を流しながら練習に参加している。

チームを率いる舟田

 都市対抗野球第二次予選東北大会での石川の全試合先発登板を決断したのも舟田。「野球バカという言葉が一番しっくりくる。野球のためなら自分の命を削ってでも、という人です」。石川のことは、敬意を込めてそう表現する。

 良い時も、悪い時も知る舟田だからこそ、並々ならぬ思いがある。「目標は当然、全国で優勝すること」とした上で、「一番大事なのは、存在価値のあるチームを長く存続させること。負けても『またグラウンドに足を運んで応援するよ』と言ってもらえるチームにしたい。勝っても応援されないチームだったら、やっている意味はない」と力を込める。「チームがなくなってしまったら、野球自体できなくなるので」。舟田の言葉は重かった。

(取材・文・一部写真 川浪康太郎/写真提供 B-net/yamagata)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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