震災と共に誕生した岩手ビッグブルズを支えるスタッフの想いとは?

2011年3月11日午後2時46分。これまで体験したことの無い観測史上最大の激しい揺れと高さ10mを超える大津波が東北、そして岩手を襲った。
震災による死者・行方不明者は1万8429人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4890戸。あれから8年以上が経った令和元年の今でも避難者の数は約5万人、プレハブの仮設住宅での生活を余儀なくされている被災者もまだ約5,000人もいる。
震災のあった2011年。岩手県初のプロバスケットボールチーム『岩手ビッグブルズ』は誕生した。そのブルズが今、債務超過の経営難にあえいでいる。現在、B3に所属しているが、このままの財務状況ではB2ライセンスを失効してしまい、もしも今シーズン勝ち抜いてもB2昇格できない恐れがある危機的状況にあるのだ。

そのような危機的状況の中、ブルズの財務健全化のために昼夜問わず東奔西走しながら様々な手立てを講じている三浦取締役と、ブルズ立ち上げ時からずっと選手やブースターや地元の人々に寄り添い続ける球団スタッフの菊池美緒さんにブルズへの想いを伺った。

「家族5人を亡くした震災の悲しみからブルズと出会って私の人生が変わりました」ーー 三浦崇取締役

※三浦取締役は現在33歳。株式会社カネマンの代表取締役社長を務める傍ら、岩手ビッグブルズの取締役も兼任している 

Q.あなたにとって、岩手ビッグブルズとはどういう存在ですか? カネマンという自社がある中で、休日や昼夜問わずブルズのためにそこまで尽力されるのはどうしてでしょうか?

2011年3月11日。あの東日本大震災で、私(三浦崇)は父親以外の母・祖母・姉・妹・甥の家族5人を亡くしました。震災当時、私は千葉県で仕事をしていましたが、1か月間休みを頂き、父と義兄と共に、行方不明となった家族を探しに避難所と遺体安置所に何度何度も足を運びました。

あの暗闇と絶望の中、遺体安置所を探し回った日のことは、今でも昨日のことのように思い出します。結局、家族1名は見つかりましたが、残りの4名は未だ行方不明のままです。

2014年の夏、私は千葉から岩手に帰省しました。震災以降、体調を崩した父親の仕事を手伝う為です。震災から3年が経った当時の私は、2人の子どもにも恵まれ、震災の悲しみからも徐々に立ち直っていました。しかし、岩手に帰ってきてからは、亡くした家族を思い出し、気持ちが落ちることも多くなっていきました。

そんな時、運命的な出会いがありました。それが、与那嶺翼選手(現 岩手ビッグブルズ アシスタントコーチ)との出会いです。これが、岩手ビッグブルズとの出会いでもあります。恐らく、あのとき彼と出会わなければ、今の私は無かったかもしれません。

当時、彼は私と同じアパートの隣の部屋に住んでいました。第一印象は、体格が良く、挨拶が素敵なさわやかな好青年。しかし、普通は仕事をしていそうな平日の昼間にアパートで見かけることもあったり、時にはベランダには氷嚢が干してあったりと、最初の頃は本当に謎めいた存在でもありました。

そんな彼から「岩手ビッグブルズの選手なんですよ~」と打ち明けられたとき、私は初めて『岩手ビッグブルズ』の存在を知りました。

そうした縁もあり、その後初めて岩手ビッグブルズの試合を見に行くことになりました。私、妻、子供2人の家族4人で与那嶺選手の応援です。プロのバスケットボールの試合を見るのは、私も含め家族全員とも生涯初めてでした。

しかし、あの時の衝撃は今でも忘れられません。選手のスピード、鬼気迫るぶつかり合い、ダンクシュート、盛り上がる会場。そして、私や家族は一瞬にして岩手ビッグブルズの虜になってしました。

これを機に、週末は家族で岩手ビッグブルズの試合に足を運ぶようになりました。
プレーオフには、会場の有明アリーナにも応援をするため岩手から足を運びました。そのシーズンが変わっても、ほぼ週末は試合を見に行くようになりました。

岩手ビッグブルズと出会って、私の人生が変わりました。

岩手ビッグブルズは、暗闇の中を彷徨っていた私に日々の活力を与えてくれました。岩手ビッグブルズは、私に震災から立ち上がる勇気を与えてくれました。
そして今、勇気を与えてくれた岩手ビッグブルズに少しでも恩返しをするため、私は岩手ビッグブルズの役員として、岩手ビッグブルズの再建に尽力しています。

「恩師から子どもたちが笑顔になる素敵な仕事だねって言われて、『この仕事を選んで本当に良かった』と思いました」 ーー スタッフ菊池美緒

※菊池美緒さんは、岩手ビッグブルズの立ち上げ当時からのスタッフで、現在はアカデミー事業と広報を務める 

Q.あなたにとって、岩手ビッグブルズとはどういう存在ですか?

「スポーツは感動を与える」という言葉をよく耳にしますが、私は岩手ビッグブルズもそういった存在だと思っています。ブルズは、人の心を動かせる存在です。そのことは私自身が震災と共に生まれたブルズを通じて身をもって体験してきました。

Q.震災後にバスケを通じて、周りの方々を勇気づけることが出来たと感じられたエピソードはありますか?

震災のあった2011年の8月。盛岡タカヤアリーナ(当時はアイスアリーナ)で参入して初めてのプレシーズンマッチが開催されました。私はその1週間前に入社したため、右も左も何も分からないまま、とにかく与えられた仕事をこなすので精一杯でした。

試合当日は被災した沿岸各地へシャトルバスを8台近く出して入場無料で行いました。その結果、試合会場には4,000人近くの方が来場してくださったのです。今思い出しても本当に盛り上がって、ものすごい雰囲気でした。

試合後、来場いただいたお客様の中に沿岸地区で高校の先生をしている恩師に偶然出会いました。その時、恩師からこんな言葉をかけていただきました。

「子どもたちがこんなに笑顔になっている姿を久しぶりに見たよ。本当にありがとう。素敵な仕事だね。」

当時の私は、入社1週間で目の前のことだけでいっぱいいっぱいになっていて、正直、辛くて大変で根をあげそうになっていました。でも、恩師の言葉を聞いて、そんな想いは一気に吹き飛んでいきました。そして、この仕事を選んで本当に良かったという想いで胸が熱くなったのを覚えています。

今でも辛い時や苦しい時は、当時の4,000人の会場の熱気や、その恩師の言葉を思い出します。私は会場にいろんな思いを持って来てくださった皆さまに心から楽しんでもらいたい!子どもたちが笑顔になってもらいたい!と思いながら毎日頑張っています。

Q.今回のクラウドファンディングを通じて支援をくださる皆さまへメッセージをどうぞ

以前所属していた、とあるスタッフが話していました。

「岩手BIGBULLS」の「S」は選手、チームスタッフ、フロント、チア、スポンサー、ブースターも含めての「S」だから、どれか1つでも欠けてしまったらそれは「BIGBULLS」じゃない。

まさにその通りだと思います。今改めて思うのは、岩手ビッグブルズは選手のものでも、球団のものでもありません。

皆さまと一緒に作り上げていくチームであり、沢山の方に感動を与えられるチームです。

これからもずっと岩手県に「岩手ビッグブルズ」が存続することで、大人を勇気付け、子どもたちを笑顔にするため、そして、さらなる飛躍を遂げるために、ぜひ皆様からのクラウドファンディングのご支援・ご協力をお願い出来ればと思っています。

取材を終えて・・・

今回、岩手ビッグブルズの三浦取締役と球団スタッフの菊池美緒さんにブルズへの想いを伺った。平成から令和の時代に入り、東日本大震災は時と共に風化しつつある。しかし、あの時の悲しみや怒りもや喜びが次第に人々の記憶から薄れていくなか、震災から立ち上がった人々と共に歩む岩手ビッグブルズというチームの存在を、少なくとも岩手県民や東北の人々には知ってもらいたいと強く感じる取材だった。

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