車いすバスケットボールプレーヤー香西宏昭 歩み続けるプロとしての道(前編)

(出典:Sports Japan GATHER 2017年9月4日)

車いすバスケットボール選手、香西宏昭に「プロ」としての生き方を聞いた (撮影協力: 千葉県障害者スポーツ・レクリエーションセンター)

2020年東京パラリンピック開催が決定して以降、パラリンピック出場を目指す選手たちの「働く」環境は一変したといっても過言ではない。その多くが、競技に専念することのできる「アスリート契約」というかたちによる社員としての雇用だ。では、日本人のパラリンピック選手の中に「プロ」が存在しないのかといえば、そうではない。少ないながらも、競技を生業としている選手はいる。車いすテニスの国枝慎吾がその代表例だが、車いすバスケットボール界にも存在する。大学時代から海外を拠点とし、現在はドイツのブンデスリーガでプレーする香西宏昭だ。今回は、彼が歩んできた道のりを辿りながら、香西が考える「プロ」としての生き方について話を聞いた。

取材・文/斎藤寿子
 

4シーズン過ごしたチームを離れる決断

2017年7月、ドイツブンデスリーガ(車いすバスケットボールリーグ1部)の強豪チームRSV Lahn-Dill(以下、ランディル)の公式サイト上で、香西宏昭の新加入が発表された。

大学卒業後、4シーズンプレーしてきたBG Baskets Hamburg(以下、ハンブルク)を離れ、香西にとって初めてとなる移籍という道は、自らの意思によるもので、さらなる高みを目指す決意の表れでもある。昨シーズン(2016-17)のリーグ覇者でもあるランディルは、常に優勝候補の筆頭に挙げられる強豪。過去にはヨーロッパクラブチャンピオンに輝いた実績もある。

チームには、世界のトッププレーヤーたちが多く集い、当然ながら、チーム内競争は過酷だ。ハンブルクでスタメンを張ることの多かった香西も“まずは試合に出場できるように、チーム内での自分の位置を確立させること”からスタートすることが予想される。あえてそのような厳しい状況に自らを追い込む、その理由はただひとつ『プロ』だからだ。

ブンデスリーガ(1部)は通常10チームで、1チームにはおよそ10人のプレーヤーが所属している。しかし、全員がプロ契約を結んでいるわけではない。実力を買われた「選ばれし者」のみがプロとして認められている。香西は、その中のひとりで、現在では日本人唯一のプロ車いすバスケットボールプレーヤーだ。

香西は、チームのほか13年からDeNAとJAL、ヘインズブランズジャパン(Champion)の3社と、プロとしてスポンサーシップ契約を結んでいる。日本の企業と、こうした契約を結んで活動しているのは、日本の車いすバスケ界では後にも先にも彼ひとり。

しかし、チーム・企業との契約は、すべて単年契約。だからこそ1年1年が勝負で、常に結果を求められる。香西が「プロ」である所以は、こうしたシビアな環境にこそある。
 

米国留学で芽生えたプロという選択

ドイツブンデスリーガでプレーする香西。その原点は米国にあった (2017年3月撮影)

香西が、厳しい世界に身を置く道を選んだのはなぜなのか。そして、どのようにしてブンデスリーガへとたどり着いたのか。彼が歩んできた道のりを辿ってみたい。

香西は高校卒業後、世界のトッププレーヤーたちを数多く輩出している車いすバスケの名門、米・イリノイ大学進学を求めて単身渡米した。1年半、コミュニティカレッジで留学生用の英語プログラムを受け、その後1年間、編入のための単位取得に励んだ。

その間、練習生としてイリノイ大の練習にも参加。こうして渡米して3年目、ようやくイリノイ大への編入を果たし、バスケでは正規部員となった。3、4年時には2年連続でシーズンMVPになるなど、輝かしい活躍を見せた。

そんなふうに充実した大学生活を送る中で、香西に芽生えたのが「プロ」への道だった。

「大学卒業後、ヨーロッパのリーグでプロとして活躍していた先輩が、僕の大学にも、他のライバル校にもいたんです。『へぇ、そんな世界があるんだなぁ』と思っているうちに、自然と『自分もヨーロッパでプレーするんだ』という考えになっていきました。というのも、まだまだ自分は強くなりたいという思いがあって、そのためにはと考えた時、やはり日本に帰国するという選択肢は、僕にはなかったんです」(前編終わり)

(プロフィール)
香西宏昭(こうざい・ひろあき)
1988年7月14日生まれ、千葉県出身。12歳で車いすバスケと出会い「千葉ホークス」に入団。高校時代に2度の日本選手権MVPに輝く。高校卒業後、渡米。2010年にイリノイ大学に編入し、全米大学選手権優勝を果たす。13年よりプロ車いすバスケプレーヤーとしてドイツブンデスリーガ「BG Baskets Hamburg」で中心選手として活躍。今シーズン、強豪「RSV Lahn-Dill」に移籍した。日本では「NO EXCUSE」に所属。08年北京、12年ロンドン、16年リオパラリンピック日本代表。

※データは2017年9月4日時点

記事提供:アスリートのための、応援メディア Sport Japan GATHER
https://sjgather.com/

(記事元:https://sjgather.com/magazine/201709042000/

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