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『茨城の誇りになりたい!』 “のびしろ日本一”の地で見据える大きな夢/サイバーダイン茨城ロボッツ社長 山谷拓志の歩んだ道筋 第1回

(C) Ibaraki Robots Sports Entertainment

茨城県――。それは、47都道府県別の魅力度ランキングで最下位の常連で、現在4年連続の47位となっている県だ。確かに他県在住の人間にとって、茨城のことをあまりよく知らないのも事実だといえるだろう。

だが実は、茨城には数多くの魅力が詰まっている。観光地では、日本三名園の偕楽園、日本三名瀑の袋田の滝、日本一の高さを誇る竜神バンジーなど、一度は訪れてみたい名所がそろっている。また、農林水産大臣賞を受賞するなど最高級の黒毛和牛ブランドの常陸牛、コラーゲンたっぷり・低カロリーで女性にも大人気のあんこう、「玄そば」最高峰との呼び声の高い常陸(ひたち)秋(あき)そばなど、グルメに関してもおいしいものが数多くある。

“知られていない”だけで、実は魅力に詰まった県、それが茨城県だ。県では今、「のびしろ日本一」として題してその魅力をPRしている。

そしてこの、「のびしろ日本一」の茨城県には、「のびしろ日本一」のプロスポーツチームも存在する。

サイバーダイン茨城ロボッツ――。

2016年9月に新たに開幕したプロバスケットボールリーグ「Bリーグ」、その2部リーグであるB2に所属しているチームだ。昨シーズンはNBL(旧リーグ)に所属し、成績は8勝47敗の断トツ最下位、観客動員数でも最下位。2014年には経営悪化により破綻寸前までいったこともある。まさに、「のびしろ日本一」だといえるだろう。

代表取締役社長を務める山谷拓志氏はこう言う。

「茨城には、大きな可能性があると考えています。人口は約300万人で全国11位(2016年現在)。高校にも大学にもバスケの強豪校(※)があり、実はバスケが盛んです。そして…」
(※土浦日大高校が2015年度ウィンターカップで準優勝、筑波大学が2016年度インカレで優勝を飾っている)

「これはあくまでも個人的な印象かもしれませんが」と前置きした上でこう続けた。

「茨城、その中でも特に水戸の人たちは、地元愛が強いように感じますね。このままではまずいぞという危機感から、もっともっと地元を盛り上げていこうという機運が強い。また起業家精神が旺盛で、東京で事業に成功している人も多く、そういう人たちも地元に対して投資しようとしています」

サイバーダイン茨城ロボッツも、バスケの力で茨城を盛り上げようとしている。部活動や体育の授業訪問をする「ロボッツキャラバン」や、選手・コーチによるバスケ教室「ロボッツ1Dayクリニック」を実施し、お祭りなどのイベントや商店街の販売促進イベントへの参加、県産品や観光のプロモーション活動への参加など、地域活性化への貢献として「地域密着活動」を続けている。そして何よりも、大事にしている夢があると山谷氏は言う。

「今は弱小かもしれません。でも、2020-21シーズンまでにBリーグのチャンピオンになるという目標を掲げ、私たちは活動しています。プロバスケチームとして、強い姿を県民に見せたい。私たちの夢は、『茨城の誇り』になることなんです」

「のびしろ日本一」の茨城県にある、「のびしろ日本一」のサイバーダイン茨城ロボッツ。掲げる目標を達成するのは決して容易ではない。いや、むしろ“ミッション・インポッシブル”ではないかとさえ思える。だが山谷氏はその目標に向けて、妥協することなく前進することを誓っている。

実は山谷氏は、茨城の出身ではない。いわば“外様”の人間にもかかわらず、なぜそこまでの情熱をサイバーダイン茨城ロボッツに注いでいるのだろうか。「人生、山あり谷あり。名前の通りですね(笑)」。山谷氏はそう言いながら笑う。

今回はその半生を振り返りつつ、山谷氏がサイバーダイン茨城ロボッツに懸ける思いをひも解いていきたい。

■アメフトとの出会い

東京都昭島市で生まれた山谷少年は、中学3年生の冬、その後の人生を大きく左右することになる、あるスポーツイベントを目にする。ラグビー日本一を決める日本ラグビーフットボール選手権大会。故・上田昭夫監督が率いる慶応義塾大学が社会人チームのトヨタ自動車を破り、初の優勝を飾ったのだった。それを見た山谷少年は素直な気持ちでラグビーを始めたいと思い、慶応義塾高校への入学を決意する。だが入学後、ラグビー部のグラウンドを見て山谷氏は愕然とした。

「こいつら、いったい何なんだ…」

慶応高のラグビー部には、付属の小学校・中学校のころからラグビーをやってきた選手が数多く在籍しており、新入生でいきなり試合に出る者も少なくなかった。自分が今からラグビーを始めたとしても、試合には出られないかもしれない。そう途方に暮れた山谷氏の目に映ったのは、ラグビー部の部室の隣にあった、アメリカンフットボール部の看板だった。当時、アメフト部のある高校は非常に限られており、そういった意味では皆、横一線からのスタートになる。また勧誘の謳い文句にも、「高校にはアメフト部が少ないから、頑張ればすぐ日本一になれる!」とあった。

「人生でなかなか日本一になれるようなことってないよなぁと。アメフトだったら日本一になれるかもしれないと思って入部しました。それに、ラグビーとアメフト、何だかよく似ているよなって思ったのもありましたね(笑)」

こうして高校からアメフトを始めた山谷氏は、必死に練習に取り組み、頭角を表していく。進学した慶応大では4年生時にバイスキャプテンを務め、学生日本代表にも選出されたのだ。だが結局、目標としていた大学日本一を達成することができなかった。就職活動している際には、社会人になってからもアメフトを続けようとは考えていなかった。だが、悔しい思いを残していたのは確かだった。

そうして続けた就職活動の末、山谷氏はリクルートへの入社を決める。当時のリクルートには、リクルートシーガルズ(現・オービックシーガルズ)という名の実業団チームがあった。まだ1部リーグに昇格したばかりで強豪とは言い難かったが、日本一を目指すことを目標に掲げていた。

「高校も大学も、ずっと日本一を目指して頑張ってきましたが、あと一歩というところで逃してきました。決して、社会人になってもアメフトを続けたいと考えて、就職する会社を決めたわけではありません。面接の時にも『アメフトはやりません』と伝えていましたし、あくまでも純粋に仕事への魅力を感じて選んだ会社でした。でも、せっかくこれまで本気で日本一を目指してやってきたアメフトを自分の会社でもできるのであれば…。もう一度、“そこ”を目指してみようと思ったんです」

入社したリクルートでは、ビジネスマンと選手という二足のわらじを履いた。ビジネスマンとしては、人材総合サービス事業部門で営業に携わった後、マーケティング企画、組織人事コンサルタントに従事した。

そして、選手としてはレギュラーを獲得。1996年にはついに、念願だったライスボウルを制覇し日本一に! 高校のころからの夢だった日本一を果たした瞬間だった。この時の感動は「今でも忘れられない」と言う。

だが翌年、山谷氏は大けがしてしまう。前十字靭帯損傷だった。手術して以降、自分でも満足のいくパフォーマンスを上げることはできず、控えになることもたびたびあった。それでも1998年には、2度目のライスボウル優勝に貢献してみせた。だがチームには、思わぬ報せが届けられた。

「それまでのリクルートは、有森裕子さんや高橋尚子さんも所属したランニングクラブや野球部など、スポーツに力を入れていました。ですが、バブル崩壊以降の厳しい経済状況の中で、リクルートもかなりの負債を抱えていた。そのためスポーツはやめていこうという流れの中で、ライスボウルを優勝した数日後に、支援を打ち切るという通知が来たんです」

日本一になった直後に訪れた、“支援打ち切り決定”という現実。支援が継続される残り3年の間に、シーガルズは実業団チームから独立運営のクラブチーム化しなければならなくなった。

「ちょうど自分が30歳になった時でした。大けが以来、プレーのパフォーマンスも上がってこない中で、チームがこういう状況になった。だったら現役を引退し、会社も辞めて、自分がチームの運営に携わろうと決意したのです」

こうして山谷氏はアシスタントGMとして、シーガルズの再出発に尽力することになったのだった。

(第2回へと続く)
 

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スポチュニティコラム編集部より:
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https://www.spportunity.com/ibaraki/team/151/detail/
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野口学
約10年にわたり経営コンサルティング業界に従事した後、スポーツの世界へ。月刊『サッカーマガジンZONE』編集者を経て、現在は主にスポーツビジネスについて取材・執筆を続ける。「スポーツの持つチカラでより多くの人がより幸せになれる世の中に」を理念として、スポーツの“価値”を高めるため、ライター/編集者の枠にとらわれずに活動中。書籍『プロスポーツビジネス 私たちの成功事例』(東邦出版)構成(http://amzn.asia/j0dFA8O)。Webメディア『VICTORY』編集者(https://victorysportsnews.com/)。

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