「日本一」のエースや佐々木麟太郎の同期も在籍 東北福祉大軟式野球部が目指す“2季連続優勝”
アマチュア野球界の名門・東北福祉大学の硬式野球部と軟式野球部が今年、“アベック優勝”を果たした。硬式野球部は6月の全日本大学野球選手権大会で、軟式野球部は8月の全日本大学軟式野球選抜大会(SUMMER CUP 2025)で日本一に。軟式野球部は11月16日に大阪府で開幕する全日本大学軟式野球選手権大会への出場も決めている。大会直前、「2季連続優勝」を目指す選手たちに話を聞いた。
現実味なかった「全国優勝」を達成、転機になった春の敗戦
「毎年『全国優勝』という目標を掲げていましたが、自分が入学してからは全国で1勝しかしていなかった。『全国優勝』と口では言っているけど現実味はありませんでした。今年は『まず2回勝とう』という最初の目標を立てて、その通り2回勝ってからは流れと勢いで優勝まで行けました」
優勝した当時の主将で最優秀選手賞に輝いた小原大知(4年=花巻南)は、大学ラストイヤーで達成した快挙をそう振り返る。1回戦から順調に白星を積み重ね、同リーグのライバル・仙台大学と激突した決勝は延長14回までもつれる死闘を6対5で制した。「全国出場」にとどまったここ数年の鬱憤を晴らすかのような快進撃だった。

硬式野球をプレーしていた高校時代は甲子園に届かず、「野球を続けるなら全国に行ける強いチームでやろう」と進んだ東北福祉大軟式野球部では、下級生の頃から主に三塁手として活躍。信頼を得て主将に就任した当初、個々のスキルが高い一方でまとまりのないチームの現状を目の当たりにし、「みんな本当に優勝を目指しているのかな…」と危機感を覚えた。
今年の春季リーグ初戦で山形大学に敗れると、その危機感が他の部員にも伝播。敗戦を機に練習の質が格段と向上したという。さらに、6月に硬式野球部が全国優勝を果たしたことも後押しになった。小原は「硬式の試合を見ると『やっぱりすごいな』と思います。ライバルとかではないんですけど、硬式が日本一になって『負けていられない。軟式もやってやろう』という気持ちにはなりました」と話す。

夏の大会後に引退した小原は大学卒業後も社会人チームで軟式野球を続ける予定だといい、「したくでもできない貴重な経験ができたので、野球にも仕事にも生かしたい」と声を弾ませた。
「もし硬式で投げたら…」高校軟式日本一の投手が突き進む道
小原から引き継いで主将に就任した福島綾人(3年=作新学院)は、「1、2年生の頃は全国に行っても勝てないというのが続いていたので、優勝できて喜びよりも驚きが大きかったです」と回顧する。夏の大会はリリーフとして優勝に貢献し、最優秀投手賞にも選出された。
福島は大学進学前から「日本一」を知る選手だ。軟式野球部に所属していた高校時代、2年時の全国高校軟式野球選手権大会と3年時の国体で日本一を経験。1年春からベンチ入りし、最終学年ではエースナンバーを背負った。

小、中と軟式野球をプレーし、高校では硬式野球部に入ろうと考えていたところ、作新学院高校軟式野球部の監督に声をかけられその存在を知った。硬式野球と軟式野球の大きな違いは使用球の違いで、同じ野球だが、高校以降は両者の知名度や注目度に差が出る。福島は「たしかに差はあるんですけど、軟式の世界に入ったからにはこの世界で一番上になりたい」との考えで軟式野球を追求し、「一番上」の景色を見た。
大学ではトレーニングに力を入れた上に体重も増加し、球速が大幅に伸びた。現在は高校時代よりも15キロほど速い最速145キロを誇る。被打率が低く空振りを取れるスプリットも魅力的だ。成長を遂げたがゆえに「もし硬式で投げたらどうなるんだろう」という想像が頭をよぎる瞬間もあるが、選んだ道を突き進む姿勢は変わらない。何度でも頂点に立ってみせる。
花巻東で甲子園出場、芽生えた「試合に出て活躍したい」
高校日本一経験者もいれば、元甲子園球児もいる。佐々木唯天(2年=花巻東)は高校3年夏の甲子園でメンバー入りし、仙台育英高校との準々決勝に代走で途中出場した。
「一瞬だったのであまり記憶がありません。緊張を通り越して頭が真っ白で、足が浮いているような感覚でした」と聖地の土を思い出す佐々木。強豪校でレギュラーの座はつかめなかったものの、内外野の守備固めや代走に徹しチームを陰で支えた。
同期には当時から超高校級スラッガーとして注目を浴び、今秋ドラフトで福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受けた佐々木麟太郎(スタンフォード大学)がいた。「麟太郎が凄すぎて浮かないよう、みんなでカバーし合っていました。自分は『麟太郎のために』という思いが強くて、裏方に回って気持ちよくプレーさせてあげたい一心でした」。身近に逸材がいたからこそ、「自分」は出さずに野球に打ち込んだ。

一方、高校野球を終えると「どんどん試合に出て活躍したい」との考えも浮かんできた。大学の硬式野球部からも声がかかる中、努力次第では日本代表入りも狙える軟式野球の道を選択することにした。外野手として入部するも、試しにブルペンで投げたのを機に今春から投手に転向。「ピッチャーは試合を大きく左右するポジション。一番高いところに立って野球をするのは楽しいし、かっこいい」と、「自分」が目立つ喜びを感じ始めている。
しかし、夏の大会は投手転向から間もないこともあり登板機会が巡ってこなかった。全試合に登板し優勝の立役者となった高校時代からの同期・及川諒也(2年=花巻東)ら投手陣が活躍する姿を見て悔しさを感じ、優勝の瞬間も実感が湧かなかったという。それでも、投球フォームが固まって球威が増し、新球種・カットボールも冴えた今秋は先発投手として信頼を高めた。次こそは「自分が投げてチームを勝たせたい」と意気込んでいる。
前主将期待「秋も日本一になってこそ、まぐれではなく実力」
他にも仙台育英高校硬式野球部、軟式野球部や鶴岡東高校硬式野球部など、硬式、軟式それぞれの強豪校で実績を積んできた選手が多く集まる東北福祉大。小原の言うように個々のレベルが高いだけに、いかにチーム力を高められるかが鍵を握る。

「2季連続優勝を選手全員が狙っていると思う。そこに向けて調整してきました」とは福島。佐々木も「軟式は『やらされる野球』ではない。その分、一人でもズレている人がいると勝てない」と全員で戦う野球を強調する。ユニホームを脱いだ小原は「秋も日本一になってこそ、まぐれではなく実力と言える。優勝できる力はある」と後輩たちに期待を込めた。
軟式野球を選び、その道を極める精鋭たちが再び、日本一を獲りにいく。
(取材・文・写真 川浪康太郎/一部写真 東北福祉大軟式野球部提供)
