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ドラフト1位候補→育成4位指名 「這い上がる」野球人生歩む仙台大・渡邉一生が明かした“本心”

かつて「ドラフト1位候補」と目された左腕は、育成選手としてプロ野球の門を叩く。今秋ドラフトでオリックス・バファローズから育成4位指名を受けた仙台大の渡邉一生(4年=日本航空/BBCスカイホークス)。1年春から速球を武器に台頭すると、3年春はリーグ戦で個人三冠に輝き、大学日本代表入りも果たして一気にドラフト戦線に浮上した。そんな逸材の育成指名に野球ファンの間では驚きの声も上がったが、本人はどう捉えているのか。指名から約2週間後、渡邉の本心に迫った。

指名漏れも覚悟…育成指名を「プラスに捉えている」ワケ

「神様がくれたチャンスだと思っています。自分の性格的に、育成から這い上がる方が性に合っている。1位や2位で指名された場合、大金を目の前にして現状に満足してしまう可能性もなくはない。下積みを経験して徐々にステップアップするチャンスをもらえたという意味で、プラスに捉えています。これ以上下がることはなく、あとは上がるだけ。今までとやることは同じです」

小中時代は投手志望ながら身長などを理由に外野に回され、その悔しさを胸に投手としての技術を磨いた。その後進学した強豪高校から通信制高校に転校し、クラブチームを経て仙台大へ。「這い上がる」野球人生を歩み続けてきた渡邉だからこそできる捉え方だ。

オリックスから育成4位指名を受けた渡邉

昨年11月に手術をした影響もあり、大学ラストイヤーは不振にあえいだ。最後のアピールの機会となった今秋のリーグ戦でも制球が定まらない場面が散見された。「(ドラフトの)順位が落ちているのは分かっていました」と渡邉。ドラフトが近づくにつれ、指名漏れも覚悟した。指名がなければ、野球を辞めて興味のあるトレーナーの道に進もうとも考えていたという。

「なぜ育成まで残っていたのか」「育成で(オリックスに)来てくれるのか」といった世間の声は本人の耳にも入ってきた。だが、渡邉は「自分は現状、育成選手の実力だと思っています」ときっぱり。逃しかけた夢の舞台への切符を掴んだからには、這い上がるのみだ。

「振り返った時に正しかったと思えるような人生にしたい」

人生は「選択」の連続。渡邉はドラフト当日、涙を流しながら「指名されるまで、『あの時手術したのが間違いだったのかな。手術をせずに投げ続けていたらどうなっていたんだろう』と自分の選択を責めてしまっていました」と吐露した。その選択を今では「大学生のうちに悩めたので、間違っていなかった」と思い始めている。

高校卒業後、独立リーグや他の大学も候補に挙がる中、親元を離れて仙台大に進んだのも選択の一つ。「仙台大を選んで良かったか」と尋ねると、「一番良い選択でした。というより、一番良い選択にしました」と力強い答えが返ってきた。

大学では精神面も成長。今年は降板後にバット引きを買って出るなど、チームのために積極的に動いた

「選択をしたその時って、良い選択かどうか、自分が歩いてきた道が正解かどうかなんて分からないじゃないですか。だけど、成功して正解にしたら良いと思うんですよ。今回だって契約金はなく支度金だったけど、その経験があったからこそハングリー精神を忘れず、謙虚な気持ちで頑張れたと思える日がいつか来るはず。自分は自分の道を進んで、振り返った時に正しかったと思えるような人生にしたいんです」

すべての答えは渡邉の手の中にある。それが分かる日まで、腕を振り続ける。

「変化球ピッチャー」目指すきっかけは剛腕との出会い

そんな渡邉が「自分のことのように嬉しかった」と喜んだのが東北福祉大・堀越啓太(4年=花咲徳栄、埼玉西武ライオンズ4位)の指名だ。1年春からしのぎを削ってきた右腕はライバルであり仲間。渡邉は「敵チームだけど4年間、一緒に頑張ってきた。啓太のことは一人の選手として応援してもいました」と頬を緩める。

入学当初、左で150キロ近い速球を投げることから「ちやほやされ、天狗になりかけた」という渡邉は、直後のリーグ戦で堀越の火を噴くような剛速球を目の当たりにし、衝撃を受けた。「球速では絶対にかなわない。このままではダメだ」。慢心は一瞬にして消え、尻に火がついた。

堀越に刺激をもらいながら個性を磨いた

今や渡邉の代名詞となっている「150キロが出る変化球ピッチャー」というキーワードも、堀越と出会っていなければ生まれていなかった。チェンジアップをはじめとする変化球の強化を勧めてくれたのは坪井俊樹コーチと「師匠」である先輩の川和田悠太(現・三菱重工East)だが、渡邉は「変化球で勝負しようと踏ん切りがついたのは、啓太の存在があったからです。啓太がいなければ、変化球をここまで多投するピッチャーにはなっていなかった」と断言する。

一方の堀越もドラフト後、「自分自身、一生がいなければ成長できなかった。樫本(旺亮、仙台大4年=淡路三原)もそうですが、常に上を目指そうと思えたのは1年春から投げていた彼らのおかげです」と話していた。「啓太とはこれからも縁がありそう。野球を辞めるまで、啓太は自分の野球人生のどこかにいると思います」とは渡邉。互いを高め合える存在と出会えたのは大きな財産だ。

“即支配下”に自信「プロ野球界に名前を残したい」

プロ野球の舞台で堀越と投げ合うためにも、まずは支配下登録を勝ち取らなければならない。「すぐに(支配下に)上がりたい、ではなく、上がります」。言葉に熱がこもる。

「かっこいい左ピッチャーになって、今まで誰もやったことのないことを成し遂げてプロ野球界に名前を残したい。野球を辞めてもなお名前を語り継がれるような、インパクトのある選手になりたいです」

仙台大では仲間にも恵まれた

渡邉は常に、想像の遥か上をいく。何度も這い上がって進化する「渡邉一生」の名がプロ野球の歴史に刻まれる日は、そう遠くないだろう。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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