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「できっこないをやらなくちゃ」奔走する元独立リーガー社長〜独立L福井、33歳の男たちの挑戦(後編)

野球の独立リーグ・ルートインBCリーグから分離して2022年シーズンに新設された日本海オセアンリーグ(以下、NOL) が4月2日に開幕した。同時に福井県に本拠を置く新球団・福井ネクサスエレファンツの歴史も始まった。県民に愛された福井ミラクルエレファンツは2019年に消滅。その後、福井に生まれたワイルドラプターズもわずか2年で解散し、今季から福井ネクサスエレファンツ(以下、福井)として、新たに生まれ変わった。

若いチームのキーマンはいずれも33歳の2人の男たち。前編では、前日本ハムの秋吉亮投手に福井への思いやNPB復帰への覚悟を聞いた。後編となる今回の記事では、球団社長として挑戦を続ける篠田朗樹氏に迫る。

※前編はこちら

突然の社長オファー、即決

篠田朗樹氏が新球団・福井の球団社長の打診を受けたのは、2021年の9月中旬だった。当時、オセアン滋賀ブラックス(現滋賀GOブラックス)の代表だった黒田翔一氏(現NOL代表)から呼ばれ「篠田君、福井の球団社長をやらないか?」と突然、オファーされた。黒田氏とは5年ほど前から親交がある間柄。「いつも僕に冗談を言ってくる方なので、また冗談なのかなと思ったら、ずっと話が続いていて、ガチやなと。まさか社長のオファーがあるとは思わなかった」と笑う。

篠田氏はかねて独立リーグへ恩返ししたいという思いを持っていた。武蔵大学卒業後、2011年から5年間、独立リーグ信濃グランセローズなどでプレー。先発、中継ぎ、抑えをすべて経験し計182試合に登板したが、NPB(日本野球機構)球団からのドラフト指名はなかった。2015年に現役を引退し、2016年には楽天の打撃投手を務めた。その後、保険代理店の営業や広告営業を経て、ベンチャー企業の幹部採用に特化した人材会社に就職。成果を出し、仕事が軌道に乗ってきた矢先のオファーに、その場では「一晩考えさせてください」と言ったが、帰りの電車に乗った30分後には腹が決まった。

「選手時代から、ファンサービスなど独立リーグの課題を感じていた。正直、恩返しをするチャンスがこんなに早く回ってくるとは思っていなかったんですけど、人生で1回あるかどうかのチャンスだと思って、お引き受けしました」

2022年4月3日の本拠地開幕戦・石川戦の試合前挨拶を行う篠田朗樹球団社長(右)

一人何役の働きで「記憶喪失。1秒も余裕がない」

オファーから2カ月足らず、仕事をきっぱり辞めて2021年11月に球団社長に就任。信濃で4年間、ともにチームメートとして戦った杉山慎オーナーと二人三脚でチームをゼロから作ってきた。スポンサー営業をはじめとする現場の仕事は、ほぼすべて篠田氏がひとりで担当。就任後、丸一日休んだ日は一度もない。大みそかも元日も杉山オーナーとオンラインミーティングを行ったという。

独立リーグ新球団の最優先課題はスポンサー集めだ。スポンサーなくして、球団の経営は成り立たない。福井県内各地に足を運んで法人営業へ奔走するかたわら、ユニホームのデザインを考えたり、球団のSNS更新を行ったり、球団グッズを作ったり。次から次へと仕事をこなしてきた。

「正直言って、もう記憶喪失です。よくここまで来たなと。何をやったか全然覚えていないんですよ。毎朝8時半に球団事務所に来て、エアコンつけて、コーヒー入れて、気がついたらもう19時くらい。妻が作ってくれる弁当を昼に食ベるのを忘れてて、夕方食べるみたいな。本当にギャグじゃなくて、1分、1秒たりとも余裕がない感じです」

肩書きこそ社長だが、実際は雑用など含めてあらゆる業務を担当。2022年1月8日の球団設立会見では会場の予約に始まり、会場設営、メディアへのリリース、チラシ作成、消毒用アルコール等の準備、メディア受付、記者会見の進行などすべて篠田氏が行った。記者会見後には選手の顔合わせ、初のチーム全体会議、選手のユニホーム採寸、さらに選手30人全員との面談も実施。「朝からノンストップで話し続けて、喉やられましたね。超疲れました」と振り返った。

やるべきことは山積み。さらに、福井の球団が過去2度、消滅していることから新球団への風当たりは強い。「スタートから『スポンサーつくわけない』とか色んなことを言われました。めちゃくちゃ辛かったですし、この大変さを現場で誰とも共有できないのが一番辛い」。それでも「引き受けた時点で、もうやるしかないと腹をくくっているので。結論、楽しいですね。本当に楽しい」と言い切った。

同じ1988年世代の秋吉亮投手(左)と篠田朗樹球団社長(右)

チアリーダー部「JETS」と運命の出会い

篠田社長が、胸に刻んでいる言葉がある。自身が考案したチームスローガン「絆〜できっこないをやらなくちゃ〜」。メインタイトル「絆」は地域球団として、福井県民との絆を大切にしたいとの思いから、すぐに決まった。

一方、サブタイトルをどうしようかと頭を悩ませていた頃、運命的な出会いがあった。福井商業高校チアリーダー部「JETS」のOGと顧問の五十嵐裕子先生が立ち上げた一般社団法人「チアドリームプロジェクト」の公演を鑑賞。知人を通じて知り合った五十嵐先生から誘われたのだ。「もうやばかったですね。もし、1歳の娘が将来ここでダンスを踊ったらと考えたら、すごく感動しちゃって。たかがダンスと思っていたんですけど、彼女たちの演技を見たら、ダンスで日本を元気にできると本気で思いました」。涙が止まらなかった。

顧問の五十嵐先生は2004年、神奈川県立厚木高校の全米チアダンス選手権優勝のシーンをテレビで目にし、チアダンスの指導を決意。福井商業に赴任後、伝統あるバトン部をチアリーダー部に変えようとするも、保護者や同僚から猛反発を受けた。それでも思いは変わらず、赴任から2年後にチアリーダー部を設立した。全くのダンス未経験から熱い思いだけで突っ走り、創部わずか3年で全米選手権優勝を達成。2013年からは全米選手権5連覇を果たした。この挑戦はのちに広瀬すず主演で映画化(『チア☆ダン』)されている。

公演後、篠田氏がお礼を伝えにいくと、五十嵐先生は言った。

「私はどんな時も『できっこないをやらなくちゃ』という言葉を大事にして頑張ってきました。顧問になって、私が熱すぎて部員が半分以上減ってしまった時は本当に辛かった。みんなから『できっこない』と言われたけど、やり抜いた。できっこないをやらなくちゃだよ、篠田さん」

「JETS」は10年以上、サンボマスターの『できっこないをやらなくちゃ』の楽曲で踊り続けてきた。彼女たちの存在は、篠田氏とも新球団・福井とも重なった。

「五十嵐さんの話を聞いて、すごくエレファンツに重なると思ったんですよ。(福井を本拠地とする球団は)2回潰れてるじゃないですか。営業するなかでも『もう無理だよ』という声が聞こえてきて。『できっこない』と言われてるけど、それでもやらなくちゃいけない。僕もどこかでそういう思いを持ってやってきていたので」

公演後、すぐにチームスローガンを「絆〜できっこないをやらなくちゃ〜」に決定。社長自ら、先頭に立って体現している。

福井ネクサスエレファンツの選手たちと球団スタッフ

夢はメジャーリーガーの輩出

篠田社長は、野球人口の減少に強い危機感を抱いている。自身がイチロー、松井秀喜、松坂大輔らスター選手に憧れを抱いて野球を始めたからこそ、野球を始めるきっかけとなる憧れの存在が必要だという。

「福井ネクサスエレファンツは、野球少年だけでなく、福井の子どもたち全員の憧れの球団を目指します。野球をやっていない人たちにもかっこいいと思ってもらえるようなチームにします。うちの球団は技術や体力だけじゃないよというところを見せたい。『人から愛される野球人、人間になるんだよ』と教育して、見た目も中身もすべてにおいて、憧れられる球団にしたいんです」

地元の少年少女から愛されるために、すべてに全力を尽くす。ユニホームのデザインも細部までこだわり抜き、SNSで発信する写真やメッセージ一つひとつにも手を抜かない。そして、強い選手を育てること。

「自分たちが応援した選手がNPBに行って活躍しているというのも、福井の子たちのステータスになるのかなと思って。いつか福井からメジャーリーガーを出したい。福井のみんなに『昔、メジャーリーガーを1メートルの距離で応援していたんだよ』と言ってもらえるようにしたい」

2022年4月3日の本拠地開幕戦・石川戦で7回無失点と好投した松永忠投手

2022年4月2日。ついにNOLが開幕し、福井の1年が始まった。

「ここまで本当にたくさんの方々に支えていただきました。地元のスポンサーの方、いつも横にいて色んなアドバイスをくれる杉山オーナーのおかげで、何とか開幕を迎えることができました。チーム名に入っている『ネクサス』、つながりを、この球団、そして僕の人生の1つのテーマにしたいと思います。選手たちにもそれを伝えたい。感謝の気持ちを持ったプレーを福井のみなさんへ届けます」

篠田社長は最後に、こう約束した。

「選手たちが次の人生に進んだ後も、また福井に戻ってきたいと思えるアットホームな球団にしたいです。そして、地域の方々に愛され、応援されるチームを作ります」

(取材・文/岡村幸治、写真提供/ 福井ネクサスエレファンツ)

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