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超スローカーブで脚光を浴びた東海大四・西嶋亮太、野球人生の光と影【後編】

人懐っこくていたずら好き。それが西嶋亮太の印象だった。マウンド上でニヤッと笑う口元は、どこか少し余裕を感じさせる。周囲から批判的な言葉を受けたときも、冗談で切り返す利発さやハートの強さを感じた。

そんな西嶋が2018年、ユニフォームを脱いだ。
高卒で社会人野球へ進み、4年目の秋だった。

「今までこういう気持ちとかは、誰にも言わないできたから」

本当の西嶋は、常に余裕だったわけでもハートが強かったわけでもなかった。2014年、高校3年の夏に“超スローカーブ”で時の人となってから常に注目を浴びてきた西嶋の、光と影。現役を引退した今、その野球人生を語ってくれた。

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夢の舞台、甲子園で躍動

東海大四高校(現・東海大札幌)が夏の甲子園への出場切符を手にした翌日は休養日となり、その次の日から練習が再開された。グラウンドには多くのマスコミも訪れたが、西嶋は彼らに自身の投球を見せることはなかった。いや、見せることができなかった。「肩が痛くて投げられなかったんです。でも、それを言うわけにもいかないから『もう練習大丈夫なんで、甲子園に行くまで投げないです』って嘘をついていました(笑)」

夏の甲子園が始まるまで約2週間。投げられない日々が続いたが、全く投げずに当日を迎えるわけにもいかず、直前になってスタメン対他の部員との練習試合で投げることになった。3回を投げ7失点。「なんとかなるっしょ、と(笑)。そう思うところがいいところでもあり悪いところでもあると思うんですけど、ぶれないでやってきたので」と、気持ちだけは万全な状態で当日を迎えた。

初戦の相手は、福岡県の九州国際大付属高校。その年のドラフト会議で指名されることとなる古澤勝吾内野手(現・ソフトバンク)、清水優心捕手(現・日本ハム)、山本武白志内野手(元・DeNA)、社会人野球を経由して今年プロ入りした富山凌雅投手(現・オリックス)などを擁した、優勝候補の一角である強打のチームだった。

「僕は打ってくる人の方が好きなんですよ。3番・古澤、4番・清水、6番・武白志、とにかくみんなホームランを打つし古澤なんかずば抜けて打っていて。でも、相手も高校生だから、甘い球さえ投げなければ絶対に打たれない。1番の立正大に行った中尾(勇斗・3年)だけが唯一、コツコツ打ってくるタイプだったんですよ。僕は、中尾さえ抑えれば勝てると思った。1,2番を抑えれば、3,4番にはホームランさえ打たれなければ点を取られないですし。記者にもやっぱり『3,4番はかなり注目されていますけど、どう抑えていきたいですか?』と聞かれたけれど、そのときは『やったことないからわからないのでその人たちに打たれても仕方ないし、中尾くんと武白志を抑えれば絶対僕らが勝てると思います』と言いました」

実際、西嶋は古澤と清水に連打を許し1点を失うも、中尾と武白志には1本も打たれることはなかった(中尾には1死球)。どんな試合にも必ずキーマンがいる。そんなキーマンを見極め、締めるところは締めて得点は許さないのが西嶋の野球だった。

そして、自身のチームについてはこのように話した。「高校生で安定して打つ人なんていないじゃないですか。だから、東海大四は波をよんでいました。この回は別にいいかなというときは投げさせてボールを見たり、よし、この回だ!というときは初球からガッといったり、その波を理解していた。試合の流れで点を取るときはしっかりとって、それ以外は休んでいいよって」

そんな東海大四と九州国際大付属の試合は、強力打線の九州国際大付属が有利と見た世間の予想を裏切り、6-1で東海大四が勝利した。西嶋は、当時話題となったTV中継の画面から消えるほどの超スローカーブ4球を含む153球を投げ、1失点完投。

「3回に4点を取った時点で勝てると思いました。先制して楽になった。逆に九国は、福岡大会で西日本短大付属から150㌔の球を打って7,8点とっていたのに、なんで130㌔しかないピッチャーから1点しかとれないんだろうって思ったでしょうね」

50㌔台とも言われる超スローカーブを投げたことで注目を浴びた西嶋だが、注目すべきはその球だけではなく、バッテリーを組んだ上野純輝(現・TRANSYS)と、頭を使い、体を使い、日々積み重ねてきたこと全てである。

2回戦の相手は山形中央高校だった。0-0で迎えた延長10回、4失策が響き2点を失った東海大四は0-2で惜敗してしまったが、西嶋は132球を投げ6安打、自責0と好投した。「2回戦で(石川)直也に負けて。初戦は清水」とおもむろにふたりの名前を挙げた西嶋に「あ、ふたりとも日本ハムで活躍しているんですね」と言うと「そう、悔しいですよね」と笑う。この夏、三人の中で一番高校野球ファンの記憶に残ったのは、ともすると西嶋かもしれない。しかし図らずも、西嶋の生まれ育った北海道の球団でプロ野球選手としての道を歩み始めたのは石川と清水で、西嶋はJR北海道硬式野球部(現・JR北海道硬式野球クラブ)で社会人野球に挑戦することとなった。

社会人野球で葛藤の日々、そして引退

高校を卒業し、社会人野球の世界に足を踏み入れた西嶋に、思わぬ試練が訪れた。

「キャッチャーを気にするタイプで、東海大四のときも上野と組むといいのに他のキャッチャーと組むとボコボコ打たれていたんですけど、ノーサインでやっても完璧に合う上野のような人じゃないと投げられない、ということに社会人になって最初に気づいたんです。腰痛があった上に先輩のキャッチャーと合わなくて、同い年や年下ならなんでも言えるんですけど先輩にはうまく言えなくて。で、ピッチングがうまくできなくて申し訳ないと思うようになっちゃって、投げたくないなと思うようになったんです」

コントロールは絶対に負けないという自信があり、高校時代もボール半個分までこだわっていた西嶋は社会人でもそれを生かそうと思っていた。しかし、そんな自分のコントロールも社会人レベルになると少し物足りないということに気づく。「気持ちがおかしくなっちゃって……。元々スピードがないのにコントロールも弱い、となって本当に行き詰っちゃったときに、ワンバンしちゃってボールがキャッチャーに届かなかったんです。それからは10球に1回届けばいい方で。ヤバいな、もう終わりだなって」

5歳以上も年上の先輩たちに対し高校のときと同じように自分の思ったことを自由に言うことができなかったこともあり、西嶋はどんどん追い詰められていった。遠投やネットスロー、「打者と対戦している気分を味わっています」などと、よく思いつくなという西嶋らしい嘘をついてバッティングピッチャーをやってみたりと、マウンドに上がることから2カ月も逃げ続けた。

そんな精神状態の中、コーチから「ネットスローではなくマウンドに上がって直さなきゃダメだ」と怒られマウンドに上がるも、その間自分が何をしたか記憶がなかった。明らかに精神的におかしな状況で、もう野球をやりたくないと思う日々だったが、周りには虚勢を張り続けていた。「友達とかに会っても『チームが強くて都市対抗行って楽しいわ。ちゃんと下積みして絶対エースになるから焦る必要ない。待ってて』と言っていました。まあ実際、都市対抗は楽しかったですけど(笑)」

なかなか思うようにいかない毎日だったが、社会人3年目に再び転機が訪れた。JR北海道硬式野球部がクラブチームになったことにより、退部してしまった選手の代わりに内野手へとコンバートされることになったのだ。


Ⓒ2019 中村啓佑

「ピッチングは難しくても、守備だから結構試合に出させてくれたりして。ピッチャーの気持ちを考えながら野手ともコミュニケーションとってうまくやって、それでピッチャーに戻れたらと思いました。1年やって、ピッチャーも野手もやったことでチーム全員と馴染んで。そこでキャッチャーが入ってきてくれたんです。駒大苫小牧から関東学院大の高橋一真っていう。1個上だけど立場は後輩だし同級生みたいなもので、言いたいこと言える人がやっと入ってきて」

やっと今の自分の状況を素直に話せる相手ができたことで、西嶋の精神は安定した。ボールもワンバウンドせずにミットに届くようになり、ピッチング練習の相手を気軽にお願いすることもできるようになった。


Ⓒ2019 中村啓佑

調子が良いと、事前に言われていた登板日でない日に突然投げることになったりもして調整の仕方に戸惑いもあったが、4年目にして試合で投げることも多くなり、少しずつ手ごたえを感じるようになってきた。しかし、この年のシーズンが終わると西嶋には非情な通告がなされた。

もう、ここでは野球を続けられない。

「だよな、と思いました。ま、これが野球人生。他人のせいにしちゃいけないけど、大学行っていたらどうなっていたのかな、なんて思うこともあります。逆に失敗していたのかなとも思うし、それはわからないですけど。今のところ、もう野球をするつもりはありません」

西嶋は今、高校の大先輩の会社、株式会社東日本ハウジングで営業として働いている。夏の甲子園で一躍脚光を浴び、その後どん底を味わう。甲子園での印象そのままにスター街道を突き進む選手もいる陰で、西嶋のような人生を歩む者も少なくないだろう。しかし、小さな体で打者を翻弄して甲子園に名を刻み、一握りの人間しか進めない社会人野球という環境で苦しみながら過ごした経験は、きっと新しい場所でも活きてくるに違いない。

その舞台はもうグラウンドではないかもしれないが、人懐っこい笑顔と、次から次へと冗談を繰り出していく明朗さと利発さで、この先も関わる人たちの記憶に残る西嶋亮太でいて欲しい。

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好きな時に好きなだけ神宮球場で野球観戦ができる環境に身を置きたいと思い、OLを辞め北海道から上京。 「三度の飯より野球が大好き」というキャッチフレーズと共にタレント活動をしながら、プロ野球・アマチュア野球を年間200試合以上観戦する生活を経て、気になるリーグや選手を取材し独自の視点で伝えるライターに。 大学野球、社会人野球を中心に、記者が少なく情報を手に入れづらい大会などに自ら赴き、情報を必要とする人に発信することを目標とする。

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