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身体障がい者野球大会”小笠原ミニ大杯”開催 「存分に野球を楽しみ、エネルギーあふれる大会に」

11月8日、野球界ではプロアマ共に熾烈な戦いが行われていた。

プロ野球はクライマックスシリーズを争っていた千葉ロッテマリーンズと埼玉西武ライオンズが直接対決。ロッテが勝利し、4年ぶりパ・リーグのクライマックスシリーズに進出した。

一方で東京六大学野球は、早慶戦が優勝をかけた直接対決に。早稲田大学が勝利し、10シーズンぶりの優勝を決めた。

同時期に千葉県市川市で、とある野球の熱戦が繰り広げられていた。

それは「身体障がい者野球」の大会である。

義足や腕の欠損など、身体にハンデを持った選手たちがプレーする野球で、この日は東京・千葉・埼玉から4チームが集まり交流大会が行われた。

約40年の歴史を持つ身体障がい者野球

身体障がい者野球は、1980年代前半から現在まで約40年の歴史がある。

1981年、岩崎廣司氏(故人)が身体障がい者野球チーム「神戸コスモス」を創設したのがルーツ。以前、病院へ慰問に訪れた福本豊選手(当時:阪急ブレーブス)と交流したことがきっかけで有志を募り、チームを結成。

1993年に岩崎氏を初代理事長とした日本身体障害者野球連盟が創設され、活動は全国に広がる。

2020年現在、連盟に加盟しているチームは29都道府県・37チーム。競技人口は950人を超えた。

身体障がい者野球には一部独自のルールが存在する。

バント・盗塁・振り逃げは禁止。加えて、打者が打ったら代わりに打者走者として走る「打者代走制度」がある。

主に下肢障がいの選手が適用しており、お互いの障がいを補い合えることが身体障がい者野球の魅力の1つである。

連盟主催の大会は、5月にほっともっとフィールド神戸で開催される「選抜全国身体障害者野球大会」を始め、11月に兵庫県で行われる日本選手権大会、その予選を兼ねた公式戦が各地域で9月に開催される。

しかし、2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、連盟主催の大会は全て中止となった。

1年間公式戦がなくなった各チームは、地元エリアの状況に合わせて練習環境を確保した。グラウンドがとれれば、チームの垣根を超えた合同練習や健常者のチームと練習試合を行い、可能な限り活動を続けてきた。

11月、交流大会を開催

そんな中、11月8日に千葉県市川市内のグラウンドで、身体障がい者野球の交流大会が開催された。

市川市に拠点を置く身体障がい者野球チーム「千葉ドリームスター」が大会を主催。

千葉ドリームスターは2011年に結成された千葉県唯一の身体障がい者野球チーム。同県出身で、現在は北海道日本ハムファイターズのヘッド兼打撃コーチを務める小笠原道大氏が「夢を持って野球を楽しもう」という想いを込めて創設したチームである。

ドリームスターのスタッフには、小笠原氏公認で活動している男が在籍している。

浅井企画所属のモノマネ小道具芸人 小笠原”ミニ”大氏である。(以下、ミニ大氏)

小笠原氏のモノマネを芸の1つに持つミニ大氏は、昨今の状況から身体障がい者野球を盛り上げたいと立ち上がり、本大会主催に一役買った。

旗揚げ役となった小笠原ミニ大氏

ミニ大氏は自身で優勝カップを制作。

また、毎年市川市で行われている少年野球大会「小笠原道大杯」(※今年に限り中止)の幕を拝借し別名「小笠原ミニ大杯」と題し、冠大会とした。

ミニ大氏は「率直な気持ちはみんな思う存分に野球を堪能してほしいです。このご時世で公式大会も無くなり練習時間も制限されている。普段抱えてる不安やストレスをブッ飛ばして乗り越えるような、エネルギーに溢れる大会にしたい」と語った。

小笠原氏本人も優勝賞品として直筆サイン入りのバットとボールを寄贈し、大会を支援した。

1都2県の4チームが参加

本大会の参加チームは主催の千葉ドリームスターに加え、練習や有志の大会で交流がある「東京ブルーサンダース」「東京ジャイアンツ」「LIFEGUARD DREAMS」の計4チーム。

東京ブルーサンダースは1997年創設で、4チームの中で最も歴史がある。

関東甲信越エリアで行われる公式大会で優勝経験があり、”もうひとつのWBC”と呼ばれる「世界身体障害者野球大会」の日本代表にも選手を輩出するなど、実績豊富なチームである。身体障がい者野球を題材にした平山譲著『4アウト』のモデルにもなっている。

パラ陸上男子やり投げの山崎晃裕選手も、競技転向前はブルーサンダースでプレーしていた。上述の身体障がい者野球日本代表として日の丸を背負った選手でもある。

東京ジャイアンツは2001年創設。ブルーサンダースと同じ東京都を拠点に活動している。体幹機能や下肢機能といった重度の障がいや、身体と知的を合わせた知肢重複の選手が多く、ほとんどのメンバーが未経験から野球を始めている。

その名の通りプロ野球・読売ジャイアンツがモチーフ。18年のシーズンオフには坂本勇人選手と田中俊太選手が練習に訪れ、現在も交流が続いている。

大会当日は坂本選手が通算2000本安打を達成。参加した全員でお祝いのメッセージを贈った。

坂本選手へ2000本安打のお祝いを寄せた

LIFEGUARD DREAMSは「特定非営利活動法人 日本ダイバーシティ・スポーツ協会」が結成した軟式野球チーム。埼玉県吉川市に本拠地を置いている。

今年に入ってから、コロナ禍の影響により「野球をする環境がなくなってしまった」といった問い合わせが保護者の方々を中心に、協会へ多く寄せられていた。

このことがきっかけとなり、協会が動き出す。もともとは硬式野球チームとして活動しているが、並行して今年の8月、新たに軟式野球チームも立ち上げることを決めた。

メンバーはダイバーシティの名の通り、国籍・障がいの有無・年齢・性別・LGBTQなど全てを受け入れるスタイルをとっている。4歳の子どもから50代までの選手20名がお互いを尊重し、切磋琢磨しながら野球に打ち込んでいる。

身体障がい者野球ならではの技術とは

この日は1日かけて4試合(1試合90分のトーナメント制)が行われ、上述の身体障がい者野球専用ルールを採用した。

試合前は久々に会うメンバーと再会を喜ぶ姿が見られたが、いざ試合が始まると各チームとも真剣勝負。

今年初の対外試合となった東京ブルーサンダースの財原悟史主将は試合前、心境を振り返りながら語った。

「今年は相次いで大会が中止になり、活動時間も縮小。モチベーション維持に苦労しました。久々の試合で動けるか不安でしたが、集まった仲間たちと、最後までとにかく全力で野球を楽しもうと臨みました」

今季初の試合に臨む東京ブルーサンダースの財原主将

選手たちはこれまでの我慢を晴らすかのように無我夢中でグラウンドを駆け回った。ベンチからも自軍を応援する声が日の暮れるまで飛び交った。

右手に障がいを持つ選手が中堅を守り、健常者に負けない低い軌道のバックホームで魅せる。

捕球と同時に左手のグラブでボールを舞い上げたあと、そのグラブを手から離しボールに持ち替える。そして掴んだボールをカットマンを介さず捕手の胸にワンバウンドで返球。

「ワンハンドキャッチ・ワンハンドスロー」と呼ばれるこの動作は身体障がい者野球ならではの技術である。

また、下肢障がいの投手がマウンドに上がる。腕の振り下ろす角度やリリースポイントを工夫し、18.44Mの距離から緩い球でストライクを投げ込む。打たせてとる投球で打者を翻弄した。

下肢障がいを持つ千葉ドリームスターの三浦敏朗投手。この試合を無失点に抑えた。

4歳の子どもが打席に立つと、投手はバッターボックスの近くまで行きトスを上げる。

小さな体で目いっぱいバットを振り、1塁まで全力疾走する姿にグラウンドは笑顔と拍手に包まれた。

健常者の選手も打席に立ち、障がいを持つ投手のキレあるスライダーで大きく空振りする姿も普段は見られない光景である。

この日共通したのものは身体障がい者野球のルールのみ。他に障がいの有無や重さ、年齢など条件は一切存在しなかった。

東京ブルーサンダースとの”東京決戦”で好投した東京ジャイアンツの原壮大投手は「2イニングでしたが、ブルーサンダースさん相手に無失点で投げられたことは、自信になりました」と今後に向けて弾みをつけた。

優勝は2チームで分け合う

決勝戦は千葉ドリームスターとLIFEGUARD DREAMSの試合。

千葉ドリームスターが序盤6点を奪いリードしたが、LIFEGUARD DREAMSが終盤に猛攻を見せ同点に追いつく。

90分経ったところで試合終了、両チーム引き分けで優勝を分け合った。

結成から3ヶ月で大会優勝を成し遂げたLIFEGUARD DREAMSの中垣大輔 日本ダイバーシティ・スポーツ協会会長は充実した表情で語った。

「この優勝は私たちにとって非常に意味のある優勝でした。我々は結成3ヶ月で半数以上が野球未経験者です。いろんな選手がいるこのチームで「楽しむ」事に拘り、笑顔を絶やさない。そして子供達を最後まで試合に出し切って優勝することを目標に挑みました」

結成3ヶ月で大会優勝を成し遂げたLIFEGUARD DREAMS

4チームにとって今年最初で最後の大会は、大盛況のうちに幕を閉じた。主催した千葉ドリームスターの笹川秀一代表は関係者に感謝の気持ちを表した。

「元々、関東大会が中止になっても『集まれるチームだけでも交流戦をやりましょう』と、各チームから声が上がっていました。この状況下で開催の賛否はあったかもしれませんが、場所さえ確保できればやらない選択肢はなかったですね。集まってくれた各チームの皆さんと、賞品を用意してくれて大会を盛り上げてくれたミニ大さんに感謝です」

そして今大会の旗振り役となったミニ大氏。最後は芸人らしくオチをつけながら振り返った。

「改めて素晴らしい機会に恵まれたなと思います。GMの小笠原さんがバットとボールを提供してくれたり、選手の皆さんはじめみなさんが盛り上げてくれたおかげです。第二回があるなら冠名は『小笠原ミニ大を支えてくれている大人達杯』で(笑)」

プレーしている選手たちは先天性の障がいだけではなく、交通事故などで障がいを負った後天性の選手も多くいる。

心が塞ぎがちになりながらも希望を取り戻し、白球を追いかける姿は普段見る野球とまた一味違った世界を映し出していた。

取材協力:日本身体障害者野球連盟、千葉ドリームスター、東京ブルーサンダース、東京ジャイアンツ、LIFEGUARD DREAMS、小笠原ミニ大(浅井企画)※順不同、敬称略

(取材/文 白石怜平)

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