「東北に、楽天に恩返しがしたい」 野球を教え、経験を伝える元楽天・青山浩二さんの思い
昨年12月14日、塩竈市立第三小学校(宮城県塩竈市)の体育館は、子どもたちの熱気に溢れていた。その中心にいたのは、元東北楽天ゴールデンイーグルス投手の青山浩二さん(39)。現在は同球団のアカデミーコーチを務める青山さんが、小学5、6年生の児童約120人を対象とした「楽天イーグルス 未来塾」(以下未来塾)でバッティング体験や講義を行っていたのだ。イベントの様子と、活動に取り組む青山さんの思いを取材した。
通算625試合登板、駆け抜けた楽天一筋15年のプロ野球人生
青山さんは北海道函館市出身。地元の函館工高を経て八戸大(現・八戸学院大)に進み、大学ではリーグ戦通算20勝0敗の好成績を残した。2005年の大学生・社会人ドラフトで楽天から3巡目指名を受け、プロの世界へ。現役時代は楽天一筋15年で、通算成績は42勝58敗、45セーブ159ホールド。シーズン40試合以上登板を10回記録し、生え抜き投手として球団最多の625試合に登板するなど、主に中継ぎで息の長い活躍を見せた。
楽天が初の日本一に輝いた2013年も60試合に登板。球団の快挙に貢献し、この年のオフには年俸1億円を突破した。2020年に現役を引退した後はアカデミーコーチとして球団に残り、東北6県を回って中学生以下の子どもたちに野球を教えている。
地域に根付いた「未来塾」、青山さんが子どもたちに伝えていること
未来塾は楽天野球団が2009年度から実施している地域密着型のイベント。青山さんを含むアカデミーコーチや公式チアチーム「楽天ゴールデンエンジェルス」のメンバーらが宮城県内を中心とした小中学校を訪問し、体験談を交えながら夢や目標を持つことの大切さを伝えている。
塩竈市立第三小での未来塾は、バッティング体験からスタート。児童や教師が青山さんの助言を受けながらバットを振り、最後は青山さんが自ら特大の当たりを飛ばして会場を沸かせた。
また青山さんは続けて行われた講義で、野球人として「大切にしていること」について話した。例えば「あきらめないこと」。青山さん自身は甲子園に出場できなかった高校時代や、全国大会の大一番で勝てず、登板を視察していたスカウト陣にアピールできなかった大学4年次に挫折を味わった。それでもあきらめずに練習を続けたことが、当時東北に創立されたばかりだった楽天からの指名につながったという。
様々な人との「出会い」も大切にしていることの一つ。楽天では野村克也氏や星野仙一氏ら、「名将」と呼ばれる監督のもと野球に励んだ。星野氏からはストッパー転向を打診され、一度は渋ったが、「稼ぎたくないんか!」とはっぱをかけられ大役を担うことになったという。野球界の大先輩から授かった教えが、今の財産となっている。
チームメイトとの出会いも特別だった。日本を代表する大投手・田中将大投手は後輩ながら、見本としている投手。青山さんはプロ入り後、田中投手の投げ方を真似てスライダーを習得した。次々と飛び出す球界の大物とのエピソードに、子どもたちは真剣な表情で聞き入っていた。
東北で歩むセカンドキャリア、指導者として思い描く未来と夢
イベント直後、青山さんに話を聞いた。未来塾での活動については、「この先、東日本大震災のことも知らない子どもたちも多くなってくる中で、『東北にこういう球団があるんだよ』『こういう人たちがいたんだよ』というのを伝えていきたい」と話す。参加者の中には野球に興味のない小中学生も多数いるはずだが、「子どもたちも挫折することは多々あると思う。何人かに刺さってくれれば嬉しい」と、様々な分野で努力しているより多くの子どもたちに思いが届くことを期待している。
大学進学後から約20年間東北に住んでおり、東北には故郷の北海道以上に愛着を持っている。「知り合いも多いし、東北でファンの方とも触れ合えた。特に楽天には15年もいさせてもらったので、恩返しがしたい」。東北で、楽天で野球に携わるセカンドキャリアは容易に想像できた。
子どもたちを指導する中で、東北全体のレベル向上も肌で感じている。「仙台育英が甲子園で優勝し、『打倒・仙台育英』というムードが高まってきたことが一つの要因かもしれない」と話すように、仙台育英が成し遂げた昨夏の偉業は東北の野球に大きな影響を与えているようだ。
仙台育英の須江航監督は大学時代の同期。「見落としがちな選手の状態など、細かいところに気づける。僕らが『まあいいかな』と思うところを詰める性格なので、指導者にかなり向いている」とその手腕を分析する。「僕も見習わなきゃいけない」。今や時の人となった同期から大きな刺激を受けながら、指導者の道を歩んでいる。
「教え子が甲子園に行ったりして、最終的には楽天の選手になってくれたらと夢見ている」。青山さんの野球人生は、東北の未来とともにこれからも続く。
(取材・文 川浪康太郎/写真提供 塩竃市立第三小学校)