疾患による現役引退も「ポジティブに」~元Wリーグ・外山優子のバスケ人生(中編)

「夢はWリーグでプレーすること」外山優子(とやまゆうこ)さんは、小学校の卒業文集にこう綴った。
※国内女子バスケの最高峰・バスケットボール女子日本リーグ

桜花学園、山形大学と女子バスケの強豪校を経た外山さんは、2015年4月に日立ハイテククーガーズでWリーグデビューを果たす。1年目から活躍が認められると同時に、自分自身も心の底からバスケを楽しんでいた。

しかし、バスケ人生を謳歌していた1シーズン目の終わり、心臓の疾患が判明し引退を余儀なくされる。大きなショックを残したまま競技から離れ、母校・桜花学園のコーチとして新たな道を進むことになった。「本当はプレーしたい」と競技への未練を抱きながらも前に進み続け、引退から3年を経て葛藤を乗り越える。

外山さんは、意図せぬ現役引退から、どのように道を切り開いたのか。

※前編はこちらから

オールスターにも選抜され、とにかく楽しかったWリーグ1年目

Wリーグでのキャリアをスタートさせたのは、日立ハイテククーガーズ。デビューしてからの日々を笑顔で思い起こす外山さんは、「楽しかった」という言葉を繰り返す。

「Wリーグデビューからの1年間は、ただただ楽しかったです。もちろん、上手くいかないことはたくさんあった。それでも本当に楽しくて。試合中にBGMが流れたり、多くの歓声があったり、ワクワクが止まりませんでしたね。『私が今いるのは特別な空間なんだ』って毎試合感じていました」

活躍が評価され、シーズン終了後にはオールスターにも選ばれている。

「オールスターにも選んでもらえたんですけど、緊張しすぎて何もできませんでした(笑)。でも、貴重な経験だったし、何よりやっぱり楽しかったです」

競争の激しさやWリーグならではの環境に悩むこともあったが、楽しさを全面に感じながらプレーした1年目。モチベーションは絶頂。翌シーズンの更なる飛躍に手応えも感じていた。そんな中、外山さんをどん底に突き落とす出来事が起こる。

それは、1シーズン目の終わりに行われたメディカルチェックでのこと。健康なはずだった自らの身体に、「精密検査が必要」と突然診断されたのだ。検査を重ねた末に見つかったのは、心臓の疾患だった。

「何でバスケができないの」本音と現実の“葛藤”

普通に生活する分には問題ないものの、競技レベルの激しい運動はドクターストップ。外山さんは、小学校からの夢を実現させ、バスケを人生で最も楽しんでいた矢先に、プレーを続けられなくなったのだ。

しかし、その後の1、2ヵ月は、実感が湧かなかったという。

「ワクワクが残っていたのか、競技を続けられないと分かってすぐは前向きに考えようとしていました。『身体は大事だし、しょうがない』って」

外山さんの疾患が判明しても、チームは2シーズン目も選手登録をしてくれた。しかしプレーはできないため、裏方として、ボール拾いや声出しなどのサポートに徹する毎日。選手がプレーする姿を目の前で見ているうちに、苦しい気持ちが少しずつ強くなったと振り返る。

「『何で自分がバスケできないの。何で大好きなバスケをしちゃいけないの』って、日が経つにつれて、バスケができなくなったことを実感するようになりました。自分の考えも悪い方向にばかりいくようになって。どうしたら良いか分からない状況でしたね」

本当はバスケをしたい。そのために、ここにいる。外山さんは、自分の本音とサポートに徹しなければならない現実の狭間で悩んでいた。それでも、チームメートからの励ましに背中を押され、毎日を1歩1歩進んだ。

「当時は仲間がすごい気にかけて支えてくれて、だからこそあの辛い時期も前に進めたんだと思っています。みんなには、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。チームを離れるときに交わした『それぞれの場所で今できる最善を』という言葉は、今も私を奮い立たせてくれています」

当時のチームメートとは、今も連絡を取り合っているそうだ。お互いの活躍に刺激を受け合って、日々の原動力になっている。

外山さん(左から2番目)と当時のチームメート

そんな中、外山さんは高校時代の恩師にバスケを続けられなくなったことを伝える。話をした数か月後、今度は恩師のほうから連絡があった。それは、思いもよらぬ誘いだった。

現役を引退し、母校・桜花学園のコーチに

「気持ちが少し落ち着いたころに伝えたんですよ、バスケができなくなったことを。そしたら、少し経ってからコーチの話をいただいて。でも、最初は引き受けようと思えなかったんです。口には出さなかったけど、『私、一度も優勝できなかった世代のキャプテンなんですよ……』って」

学生時代に桜花学園を一度も日本一に導けなかった後ろめたさから、最初はコーチの話を断っていた。しかし、時間が経つにつれて気持ちが変化したという。

「環境を変えることで前向きになれるかなって思えてきて。それに、自分がこんな状況なのに声をかけてくれた桜花学園に対して、コーチになって恩返ししたいという気持ちもありました」

当時の記憶も曖昧なほど目まぐるしく状況が変化していく中、外山さんは2シーズン目の終わりにコーチを引き受けることを決断する。

2017年3月、外山さんは桜花学園のコーチに就任した。小さいころからプレーヤーとしてバスケに関わってきた外山さんにとって、コーチ業は当然ながら初めての経験。思い返してみると、自分にやれることを探しながら、とにかくがむしゃらに取り組んでいたそうだ。

しかし、現役引退の葛藤は胸に抱えたままだった。

コーチとして戦況を見極める

「やっぱり気持ちの切り替えができていなくて。当時の自分なりに一生懸命ではあったけど、今思うとコーチとしての仕事に真正面から向き合えてはいなかったかな……。正直、プレーへの未練はかなり残っていたと思います」

競技から強制的に離れなければならなかった外山さんにとって、コートの外からバスケを見ている現状を受け入れるのは、辛かった。

「バスケで人生を豊かにする」葛藤を乗り越える

指導者としての立場に真正面から向き合えず1年が経過。しかし、2年目を終えようとするころ、外山さんの意識は大きく変わっていた。

気持ちを切り替えたきっかけのひとつが、両親との電話だ。苦しい状況の中にいた外山さんは、このとき初めて両親に反発した。

「現役を引退した気持ちを切り替えられず、コーチとしても中途半端。そんな悩みや不安を話したんです。そうしたら『もう(地元に)戻ってこい』って言われて、私も『そんなこと簡単にできないから苦しいんだよ』って。たしか、そんな感じだったかな」

外山さんの言葉と共に吐き出されたのは、引退してから溜めこんできた「葛藤」だったのだろう。両親との電話の後、自分でも驚くほど、頭の中がスッキリしていたという。中学校3年生のとき、桜花学園の門をくぐるきっかけをくれた両親。このときも、コーチとして桜花学園に向き合うきっかけをくれた。

両親とのスリーショット

また、女子バスケ日本代表ヘッドコーチ・恩塚亨氏と話したことも、葛藤を乗り越える道しるべになった。恩塚氏の「ある言葉」が、当時の外山さんに強く響いたと話す。

「恩塚先生と20分ほどお話をする機会があって、バスケに対する考え方を聞かせてもらったんです。そのお話の中で、『何のためにバスケをするのか』『バスケで人生を豊かにする』って2つのワードがあって。これが、当時の私に強く響いたんですよ」

自分にとって、バスケとは何なのか。今のままバスケと関わっていて、自分と子どもたちの人生は豊かになるのか、外山さんは考えた。

「自分は何でコーチをしてるんだろうって考えたら、それは子どもたちのため。子どもたちは何でバスケをしてるんだろうって考えたら、桜花学園という強豪に来て、日本一になるため。そして、結局はバスケを通して人生を豊かにするため。子どもたちがバスケで人生を豊かにできるよう、私だからこそ伝えられることがある」

「気付いたんですよ。『私は何かしら理由をつけて、うまくいかない現状を誰かのせいにしてたんだ』って。今の状況は、全て自分が作っている。これからの人生を豊かにするには、自分が変わるしかない」

コーチとして3年目に入るころ、「現役引退の葛藤」は外山さんの中から消えていた。葛藤を乗り越えられたのは、両親との電話や恩塚氏の言葉だけではない。元チームメートの支えや、コーチに誘ってくれた桜花学園、そして後ろめたさを感じながらも母校での挑戦を始めた外山さんの決断。全ての要素が未来を紡いでいた。

引退を乗り越えた外山さんは、コーチとしての立場に真正面から向き合えるようになった。コーチ契約は2020年12月まで。残るは1年と8か月。

外山さんを最後の最後に待っていたのは、神様のいたずらだった。

後編に続く

(取材 / 文:フリーライター 紺野天地)
(写真提供:外山優子さん)

フリーライター。誰かにとっての「道しるべ」を書き記すことをテーマに、形にとらわれずに生きる人・団体を取材しています。エッセイやコラムも執筆。

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