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「フィジカルを活かした攻めの姿勢で」アルバルク東京 笹倉怜寿 移籍で得た経験と昨年の悔しさを胸に臨む復帰2年目のシーズン

いよいよ開幕するBリーグ2022−23シーズン。B1東地区に所属するアルバルク東京は、4シーズンぶりの優勝に向けて来たるシーズンに備えている。

昨シーズンは東地区3位でチャンピオンシップに進出するも、準々決勝で島根スサノオマジックに1勝2敗で敗退する悔しいシーズンとなった。

PGを務める笹倉怜寿も、昨年に仙台89ERSへの期限付き移籍から復帰したシーズンだったが、チーム同様に悔しさを味わった一人である。

今回は笹倉にアルバルク東京(本文中、A東京)に入団から仙台を経て、昨シーズンどんな想いで臨んだのか、これまでのプロ生活を含め振り返ってもらった。

(取材協力 / 写真提供:アルバルク東京 ※一部除き敬称略)

19年、特別指定選手でA東京へ入団

富山県出身の笹倉は、中学時代に八村塁(ワシントン・ウィザーズ)らとともに全国中学校大会に出場し準優勝に導く。東海大学付属第三(現・東海大学付属諏訪)高校、東海大学でも活躍を続け、2019−20シーズンに特別指定選手としてA東京に入団した。

当時Bリーグ2連覇中のトップチームからオファーを受け入団したが、当時の心境を笹倉はこう振り返った。

「緊張していましたし、何をしたらいいか正直わからなかったです(笑)。練習やチームに合流した瞬間からピリピリした空気で、『これがトップチームの出す空気なんだ』というのを味わいました。

自分の実力でどれだけできるのかというワクワクもありましたが、ここで半年間やっていけるのかという不安の方が強かったので、とにかく雰囲気で圧倒されたのが最初でした」

入団当初、チームの雰囲気に驚いたという

それもそのはず、現在もチームの顔として活躍する田中大貴や竹内譲次(現:大阪エヴェッサ)らが名を連ね、ポイントガード(PG)も安藤誓哉(現:島根)が務めるなど、笹倉にとって大きな壁が立ちはだかっていた。

この年はコロナ禍が始まった時期でもあり第33節以降が中止となったものの、1年目は3試合出場にとどまった。

2年目、仙台89ERSへ期限付き移籍

2年目のシーズンに向けて準備をしていた20年6月、1年間の期限付きで仙台89ERSへ移籍することが発表された。

この移籍は、当時A東京のヘッドコーチ(HC)だったルカ・パヴィチェヴィッチからの提案だった。

「ルカHCに『より多くのプレータイムをもらえるから経験を積んできてほしい』と。それで仙台さんへの移籍を提案していただきました。桶さん(桶谷大:仙台前HC)はいいバスケットを展開するからということで、プッシュいただきました」

明確な意図や目的を持ち、仙台へ移籍することを決断した

自身のことを考えて指揮官から提案されたチャンス。意図はもう1つあった。

「後は(仙台が)当時B2にいて、B1昇格という明確な目標がありました。ルカHCからも『目標を持ってできる環境でプレーをしてほしい』と言っていただいたのもあり、仙台さんでお世話になろうと決めました」

移籍後は開幕から主力として出場を重ねる。シーズンは47試合、プレーオフにも7試合に出場するなど年間を通じて活躍。

ポジションも本職のPG以外にもシューティングガード(SG)やスモールフォワード(SF)まで広く務め、チームの得点源として525得点(1試合平均11.2)・183アシスト(同3.9)をマークした。

「最初は正直、遠慮してた部分もありました。それでも片岡(大晴)さんや金城(茂之:現仙台アシスタントコーチ兼スキルコーチ)さん、同じタイミングで寒竹(隼人)さんも入団したのですが、そういった先輩方に『もっと自分を出していいし、自信を持ってやろう』と背中を押してもらうことで、自信が持てるようになりました」

初めてシーズン通じて出場を続けていく中で、新たな気づきもあったという。

「長いシーズンを戦う中で怪我をしないことも大切だと学べました。一度離脱して復帰するのはとてもエネルギーが必要なことなので、コンディションを保つ点もとても重要だと思えたシーズンでした」

そしてシーズン終了後、笹倉は「仙台へ残留」もしくは「A東京へ復帰」いずれかの決断をしなければならなかった。

「再びチャレンジしたい」A東京へ復帰を決断

シーズンが終わり、1年の期限が迫ると今度は「残留」or「復帰」の決断をする必要があった。両チームからオファーを受けており、当時24歳手前の若武者は悩みに悩んだ。

「ありがたい話、(仙台の)チームメートからも『残ってほしい』と言っていただきましたので、かなり悩みました。あとは、この年にB1へ昇格できなかったのでやり残した感がすごくありました」

自身は年間通じて活躍したが、移籍の決め手であったチームをB1昇格へ導くこともミッションに課していた。その目標を達成できていなかったことも悩む要素になっていた。

そして考え抜いた結果、最終的に下した決断はA東京への復帰だった。

「仙台でプレーをした経験がB1のトップチームでどれだけ通用するのかチャレンジがしたい。それが一番でした」

ルカHCから授かった3つのポイントとは?

A東京へ再び戻ってきた笹倉。”ピリピリした雰囲気に圧倒された”1年目だったが、復帰初日のことを尋ねると「今回は心の準備をして戻ったので、大丈夫でした」と笑みを交えて語った。

そして笹倉の成長を誰よりも考え、経験を積ませるべく仙台と送り出したのがルカHC。この1年の経験を発揮してほしいと直接期待をかけてもらった。

仙台では上述の通り3ポジションを担っていたが、A東京ではPG専任となった。新たな役割に順応するためここでも自らコミュニケーションを重ねた。

A東京ではPG一本でコートに立っている

「PG専任というのがアルバルクでは初めてになるので、『PGとして何をしていくのがいいか』を僕から直接訊きに行きました。ルカHCからは、『ゲームをコントロールすること』『ミスをしない』『若手だけれどもリーダーシップを発揮すること』この3点でした」

A東京復帰した1年目は「難しいシーズンでした」

そして迎えた2021−22シーズン。仙台で培った経験を発揮、そしてルカHCから授かった言葉を実践するべく臨んだ。

チームは怪我人や新型コロナ感染者が出るなどアクシデントに見舞われながらも優勝争いを繰り広げた。

しかし、その一方で笹倉にとってはB1トップクラスの高い壁とも戦わなければならなかった。スターターとしての出場機会を掴めないまま、ベンチで出番を待ちながら途中出場する日々が続いた。

「B1とB2では、特に日本人選手の体格が違うなと思いました。技術面で言うと決定力であったり、今はピック&ロールが主流となってますが、その質や使い方、選手同士の連携も全然違いましたね」

結果レギュラーシーズンはいずれも途中からで21試合、チャンピオンシップにも同様に2試合出場と特別指定選手時よりも大きく伸ばしたものの、仙台では常にスターターとして出ていたことを考えると不完全燃焼のまま終わってしまった。

「とても難しかったです。パフォーマンスを発揮する機会がなかった。実力不足なんだなっていうのを痛感しました。スタートラインにすら立てないような感じがしました。B2とB1というレベルの違いも覚悟はしていましたが、やり切れなかった思いがありましたね」

B1の壁を感じたシーズンだった

「試合や練習に向けて目的を」新ヘッドコーチを迎える今シーズン

昨シーズンオフ、2017−18・2018−19と連覇を果たすなど多大な功績を残したルカHCが退任。新たに、リトアニア代表のHCも務めたデイニアス・アドマイティス氏を招聘した。

新しい風がチームへと吹いており、インタビュー中に発せられる言葉や表情からもその変化を楽しみながら常に成長に向かっていると感じた。

「やはりHCが変わると、新しい取り組みも始まっているので日々新鮮ですね。ただ、1つ1つのプレーに集中し続ける緊張感というのはこれまでと変わらないです。0からのスタートになるので、チャレンジするという想いが日に日に皆強まっています」

新指揮官の下、アピールの日々を送ってきた

笹倉は、PGの中でも一際大きな体格(187cm/80kg)から繰り出す攻撃的なプレーが特徴。その長所を活かしながらも技術面で更なる磨きをかけている。

「僕はフィジカルを活かして相手を削り続ける、攻めの姿勢が持ち味です。あと、駆け引きの面も重要だと考えています。スピードを補うためにどうしたら戦えるかを学生時代から考えてきました。

小学生の時にサッカーをやっていたのですが、その時に相手をフェイクするプレーが得意になって、そういった経験もバスケに活かして身につけていきましたね」

いよいよ明日開幕となった2022−23シーズン。新指揮官の元で迎えるシーズンに向けて抱負を語った。

「トップクラスのPGの選手たちと競う機会も増えると思いますが、自分にしかできないことや得意なところで戦っていきたいです。まずは目の前の試合や練習に対して目標・目的を持って臨んでいきます。そうすれば絶対課題が見えてくると思うので、一つ一つレベルアップをして越えていきたいです」

一昨年に年間通じて出場した経験と体の強さは伊達ではないこと、そして昨年の悔しさを糧に成長した姿を披露する日は間もなくやってくる。

(おわり)

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