【独立リーグとはなんだ?】その3 四国が歩んだ道

 2005年、四国アイランドリーグ始まる

日本の独立リーグ構想は、2004年に始まった。
前回も書いたように、西武などで活躍した名選手の石毛宏典が、野球少年上がりの選手にチャンスを与えるとともに、地域密着を目的として独立リーグ構想を発表したのがきっかけだ(以下、選手ではなく事業家なので「石毛氏」と呼ぶ)。
 
とき、あたかも「球界再編」問題のただなか。
近鉄とオリックスの合併が決まり、これを機に1リーグ10球団プランがNPBのオーナーから発表された。またダイエーからソフトバンクへの身売りも行われた。
古田敦也会長以下、プロ野球選手会は、「1リーグ化は選手のプレー機会を奪うとともに、ファンの気持ちを無視したものだ」と猛反対し、ストライキを敢行。ファンの支持も得て、1リーグ化を思いとどまらせた。また、楽天という新規参入チームも認められ、NPBは、2リーグ12球団体制を維持した。
 
いわば、球界の枠組みが大きく変わろうとする中で、独立リーグは誕生したのだ。日本の野球はいろいろな意味で曲がり角に来ていたのだろう。
 
石毛氏は四国4県に独立リーグのチーム4つを設立するとともに、その運営会社としてIBLJを設立し、社長に就任した。
また四国の地元企業とスポンサー契約を結ぶなど、リーグスタートへ向けて準備をした。
 
こうして四国アイランドリーグは2005年4月にスタートしたのだが、事業は早々に立ちいかなくなった。会社にキャッシュがなく、支払いができない。従業員の給料も滞っている。

2005年、開幕初年度の四国アイランドリーグ

経営を知らなかった設立メンバー

 
用意周到に準備したはずが、なぜこんなことになったのか。IBLJには、石毛社長を支える経営のプロがいなかったのだ。
プロ野球選手は中学くらいから野球一筋の生活を送る。大学に進んでも、実業団で企業に入社しても、社会常識やビジネス、経営について学ぶ機会はほとんどない。ビジネスがどのようにして回っているか、経営とは何かを知っている野球選手はほとんどいないのが現状だ。
引退しても、野球界にいる限りは、ビジネスを学ぶ機会はほとんどない。中には指導者になっても一人で新幹線の切符が買えなかったり、選挙の投票に行けなかったりする人もいる。
 
この点、サッカー選手はそうではない。Jリーグの生みの親、川淵三郎チェアマン(現キャプテン)は、1968年オリンピックの代表選手だが、引退後は所属する古河電工でビジネスマンになり、グループ会社の役員も務めた。ビジネスマンとして一流だったから、Jリーグを設立することも可能だったのだ。サッカー界には、サッカーでもビジネスの世界でも実績がある人材がたくさんいる。
 
それは「サッカーでは食べていけない」時代が長かったからでもある。
プロ野球は日本の「ナショナルパスタイム」だった時代が長く、野球選手は野球さえしていれば良かった。だから、実社会に出て苦労する人も多いのだ。

志を支える人がいなかった

 
苦境に陥った地元のスポンサー企業とIBLJを支援したのは会社の出資者だったスポーツデータの分析会社であるデータスタジアムだった。
支援者は再建策を協議し、地元スポンサー企業の代表者だった鍵山誠氏が、IBLJの代表取締役になった。
こういう形で、四国アイランドリーグは存続することになったのだ。
鍵山誠氏は、現在も四国アイランドリーグplus、そして独立リーグを率いるリーダーだ。当時を振り返ってこう述懐している。
 
「四国アイランドリーグは、石毛宏典さんがはじめられた。その志は素晴らしいですが、いくら優秀な人でも、野球経験のある人だけでリーグ運営するのは難しかったと思います。志を補完する才能や協力が必要だったのですが、当初は、不幸にしてそういう人がいなかった。そこで、我々がそれを補完する必要があったわけです。夢を見せる選手がいて、事業を具現化する実務者がいて、それをサポートする管理部門の人がいないと」
 
また、四国アイランドリーグplusは、興行面でも課題があった。
鍵山氏は語る。
「当時は本社が東京にあって、スタッフは全員が東京から来た人でした。四国の人から見ると、野球人による野球人のためのリーグを四国で勝手にやっている、と言う印象で、冷ややかだったんです。四国のために何をやってくれるのか、が見えなかった。
石毛さん個人の魅力で応援する人はいましたが、それ以外の人にはなぜ応援しないといけないか、という部分がなかったことが、地元の人との関係をぎくしゃくさせました。
“東京から落下傘で降りてきて、失敗したら帰るんでしょ。何をもたらしてくれるの”という声は四国のあちこちで聞きました」

四国4チームが独立へ

 
そこで、これまでは4つのチーム(香川オリーブガイナーズ高知ファイティングドッグス愛媛マンダリンパイレーツ徳島インディゴソックス)をIBLJという統括会社で運営していたが、それぞれの球団の経営を独立させ、本当の意味で地域に密着した球団にしていくこととした。
とは言っても、それは簡単なことではない。
 
試合興行の収入だけでは採算はとれない。独立リーグの場合、観客動員は1000人だ。グッズ類を作成しても、その売り上げは知れている。
地域密着の球団として、大口、小口のスポンサーを集めなければならない。各球団では営業担当だけでなく、社長や役員も県内の各企業を回った。
スポンサー契約を取るためには、球団が地域密着で地元に貢献しなければならない。子供を集めた野球教室や、福祉施設の慰問、清掃などのボランティア活動。選手たちも、地元の様々なイベントに出るようになった。
NPBの選手なら考えられないような活動に、多くの選手が時間を費やすこととなった。
 
実は「地域密着」は、独立リーグなど、地域のプロスポーツクラブにとっては必須の要素だ。
地域の人々は、そのチームの存在意義を最初から認めているわけではない。何らかの意味でその地域に「貢献している」という事実があってはじめて支援するのだ。
当初の四国アイランドリーグも、サイン会などファンサービスは行っていた。しかしそれはNPBの真似事であって、地域の人々の心に響くものではなかった。
「彼らはなぜここで野球をやっているんだ?」と地域の人が思っている限り、独立リーグにお客は来ることはなく、スポンサーも集まらない。
独立リーグ各球団は、地域の人々に信頼されるために、本腰を入れて地域密着活動をすることとなった。

試合終了後、お客を見送る香川オリーブガイナーズの選手(2014年)
 

険しい道のり

 
しかし、道は険しかった。
4球団(香川オリーブガイナーズ高知ファイティングドッグス愛媛マンダリンパイレーツ徳島インディゴソックス)ともに運営会社が経営危機を迎えた。資金繰りがショートしたり、経営者が交代したりした。四国アイランドリーグを統括運営するIBLJはその都度、支援を行った。
鍵山氏は語る。
「徳島、高知は一時期、中継ぎ的に経営をしました。
いざとなれば、そういう役割は果たしますが、基本的には自分たちの責任で運営してほしい。そのために人事権も含めてほぼすべての権限を委譲しました。収入源も4球団の裁量に任せています。強制的に独り立ちを迫ったんです。苦労はするだろうけど、その苦労を地域の人も見てくれるだろう。そこから本当に地域に根差した球団ができると思っていました」
 
各球団の努力と、それをセーフティネットとして支えたIBLJの尽力によって、四国アイランドリーグは現在まで続いているのだ。
プロのスポーツチームとは、単にスポーツをして、それを観客に見せるだけではないのだ。その背景で「スポーツを事業にする」ために、様々な取り組みをしなければならない。
それでも運営は並大抵のことではないのだ。地域経済は小さいし、支援する人の輪はなかなか大きくはならない。
 
しかし、都市化と少子化によって人口が減少する地域を活性化するためにも、独立リーグは非常に重要なのだ。
厳しいビジネスモデルだが、独立リーグは地域にとっても必要な存在なのだ。
 

広尾晃
「野球の記録で話したい」ブロガー、ライター

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