【独立リーグとはなんだ?】その4 四国球団戦史
2005年に始まった四国アイランドリーグplusの盛衰史を球団別で駆け足でおさらいしておこう。
初年度から今年度までの順位表と、ドラフト指名された選手を一覧にした。
香川オリーブガイナーズと愛媛マンダリンパイレーツ
香川オリーブガイナーズは最も優勝回数が多い。勝率も群を抜いている。
2007年からチームを率いている西田真二監督はPL学園時代に甲子園の優勝投手。広島に入団後は打者として活躍。引退後、NPBのコーチを務めたのちに香川オリーブガイナーズの監督となった。
「高校野球のようにチームを率いている」と話す西田監督。若い選手の中に入っていき、ぐいぐい引っ張っている。
地元香川オリーブガイナーズのファンも「常勝軍団」というプライドを持つに至っている。
それだけに、NPBにドラフト指名される選手は多く、四国アイランドリーグplus最多の24人を数える。
この中には中日ドラゴンズのセットアッパーとして活躍している又吉克樹や、昨年のヤクルト優勝時に活躍した外野手の三輪正義などもいる。
香川オリーブガイナーズは毎年、主力選手がドラフトで抜ける。それでも優勝を狙える戦力を有している。西田監督の名采配に加え、有望選手をスカウトする能力が高いのだ。
香川オリーブガイナーズの本拠地 レクザムスタジアム(香川県高松市)
愛媛マンダリンパイレーツは県民球団として、県、県内各市町村、地元企業の支援を受けている。立派な「坊っちゃんスタジアム」を本拠としている。
創設当初は低迷していたが、阪急の名内野手で、コーチとしても実績のある弓岡敬二郎監督が就任してからチーム力がアップした。
弓岡監督は就任当初はNPBとの違いに戸惑っていたが、次第にチームを掌握し、的確な選手起用で勝ち星を上げ始めた。独立リーグの存在意義を深く理解した成果だという。
ここ4年、NPBのドラフト指名はなかったが、戦力的には充実している。
弓岡監督は今季限りで退任し、オリックスのコーチに復帰したが、チームはその功績をたたえて背番号「77」を永久欠番にした。
愛媛マンダリンパイレーツの本拠地、坊っちゃんスタジアム(愛媛県松山市)
徳島インディゴソックスと高知ファイティングドッグス
徳島インディゴソックスはスタートから5年間は下位に低迷していた。戦力的にやや見劣りしていたこともあり、優勝から最も遠い球団だった。
しかし、2011年に元広島、中日、日ハムでプレーした斉藤浩行監督になって初優勝。
元横浜の島田直也監督が就任後、優勝を狙えるチームに変貌した。
島田監督が、DeNAのコーチに復帰したのち、日本ハムなどで活躍した中島輝士監督が就任するも、ここ2年、低迷している。
しかし人材育成は着実に成果を上げている。
ここ4年は連続してNPBのドラフトにかかる選手を輩出している。楽天に入った入野貴大は、1年目救援投手としていい働きをした。
2016年には台湾プロ野球(CPBL)のレジェンドと言われる大打者、張泰山が入団。プレーした。1年で引退を表明したが、張泰山のプレーは連日、台湾のメディアで大々的に報道された。
中島輝士監督は今季限りでの退任が決まっている。
徳島インディゴソックスの本拠地 JAバンク徳島スタジアム(徳島県徳島市)
高知ファイティングドッグスはリーグ発足当初は強豪チームだった。2006年は今年のパ・リーグの首位打者、ロッテの角中勝也を擁して、前後期ともに首位争いをしたが、以後低迷。
2009年に年度優勝したのを最後に優勝から遠ざかっている。
一つには、本拠地球場の高知市野球場に2012年までナイター設備がなかったことが大きい。夏季のデーゲームは過酷だった。また四国で一番広い高知県内を転戦するのも厳しい条件だった。
2014年から監督に就任した元ロッテ、阪神の好打者、弘田澄男監督は、選手の寮を訪れて生活全般の指導を行うなど、野球選手の心得を厳しく指導した。しかし浮上はならなかった。
2015年6月にはMLBを退団した地元出身の藤川球児が高知ファイティングドッグスに入団。公式戦のマウンドに立ち、完投、完封も演じ大きな話題となった。独立リーグの新たな役割が生まれた。
2016年は、南海、阪神などで活躍した江本孟紀総監督の下、巨人、横浜で2000本安打を記録した駒田徳広監督が采配を取ったが、優勝は成らなかった。
高知ファイティングドッグスの本拠地 高知市野球場(高知県高知市)
今はこの4球団だけだが、かつては以下の3球団が存在した。
かつて存在した球団
福岡と長崎に球団があったとき、リーグ名は四国・九州アイランドリーグだった。
福岡は下位に低迷したが、ソフトバンクで一時期活躍したキム・ムヨン(金無英)を輩出している。
また長崎は、2009年前期には優勝を飾っている。
しかし九州の2チームは遠征の際の移動距離が長いことや、地元での経済支援が得られないことなどから、福岡が2009年を最後に撤退、長崎も翌年で撤退した。
2011年にはジャパン・フューチャーベースボールリーグの球団だった三重スリーアローズが参加したが、この年のオフに球団が解散している。
2012年以降は再び四国4県の球団によるリーグ戦に戻っているが、九州の福岡、宮崎の球団が準加盟となっており、将来的に拡張する可能性を有している。リーグ名の四国アイランドリーグplusのplusは、そういう部分を表現したものだ。
苦難を乗り越えた12シーズン
今回紹介した表で分かる通り、創設1年目は1シーズン制で89試合、2年目以降は2シーズン制で各40試合だった(雨天等で未消化のシーズンあり)。
しかし、2015年からは34試合制となっている。年間通じて68試合だ。これは、前後期の間にアメリカ遠征を設けたからだが、試合にかかる経費が厳しくなっているからでもある。
かつては観客動員が期待できる週末に試合を組むことが多かったが、今は球場確保の関係から平日を中心に日程が組まれている。興行もさることながら、人材育成に重点を置きつつあるのだ。
厳しい経営の中、12シーズンにわたって独立リーグを運営してきた経営者には頭が下がる。
またすでに49人のNPB選手を輩出。中には前述したロッテの角中勝也のようにタイトルホルダーも生まれている。
NPB傘下ではないが、マイナーリーグとしての役割も十分に果たしていると言えよう。
四国アイランドリーグplusの試合には、常にNPBのスカウトの姿がある。指導者は大半がNPB出身の顔見知りだ。心やすいこともあって、選手の評価を聞いたり、状態をチェックしている。
NPBに対する人材供給源としての地位は確立していると言ってよいだろう。
規定によって監督は、NPB出身者であることが定められている。香川オリーブガイナーズ 西田真二監督のように長期間四国アイランドリーグplusを指導する場合もあるが、多くの指導者は数年采配を執って、またNPBのコーチなどに転出していく。
NPBから来た指導者は、設備や環境を見て、NPBとの落差に驚く。また選手の資質も高いとは言えない。
しかし、そこで指導をするうちにNPBがいかに恵まれていたかを知るとともに、これまでは気が付かなかった様々なことに目を開き、意識が変わっていくという。
コーチとしてNPBに復帰し、その後、高い評価を得ている人も多い。指導者にとっても独立リーグは得るものが大きいのだ。
この中には含まれていないが、四国アイランドリーグplusには、福岡ソフトバンクホークスと讀賣ジャイアンツの3軍が交流戦で参戦している。
四国のチームにとっては、これら3軍との試合も公式戦となり、個人記録もカウントされる。2016年後期の四国球団に負け越しのチームがなかったのは、4球団とも交流戦で星を稼いだからだ。
詳細は別の稿で紹介したいが、交流戦も独立リーグの重要なポイントだ。
NPBのファームとの実力差を図ることができるうえに、あこがれのNPBのユニフォームの選手と対戦することで、独立リーグの選手のモチベーションも上がるのだ。
ソフトバンク三軍と高知ファイティングドッグスの交流戦
四国アイランドリーグplusが発足して12年、その足取りは決して順調ではなかったが、この間に積み上げてきた実績と、それに伴う信頼は確固たるものになろうとしている。
日本で初めて根付いた独立リーグ、その意義は大きい。