スポーツ振興と改革を目指す山梨スポーツエージェンシー 高校サッカー界の名将の教えを胸に歩む理想郷への道
かつて小学生がスポーツをするためには学校区のスポーツ少年団に、中学生は部活動に入らなければならず、選択肢が限られていた。
しかし1990年以降はJリーグの誕生やプロ野球の各球団が普及・育成に舵を切り、それに追随するかのようにスポーツの指導をメインとする法人が立ち上がり、学区や部活動にとらわれないスポーツの活動が広がった。
依然スポーツ少年団と部活動が主流の競技もあるが、いわゆる“町クラブ”やJリーグとBリーグではユースチームが立ち上がり、ほかにも塾のような感覚でスクールやアカデミーを開いているケースもある。
2021年に設立された特定非営利活動法人山梨スポーツエージェンシーも、そうした取り組みを活動の一環にしている。
同団体は雨宮聡氏が代表となり、様々な想いを込めて立ち上げた組織だ。雨宮氏は、今年4月からはオーランフットボールアカデミー山梨甲府校の指導もしている。
山梨サッカー界の名将の元、勝ちにこだわる指導を受ける
1977年10月30日に山梨県甲府市で生まれた雨宮氏は、小学生のときにサッカーを始める。小中高と第一線で競技を続け、その中でターニングポイントになったのが高校進学時。「選手としてはそこまで大成しませんでしたが、横森先生に誘ってもらえたことは自慢で、自信にもなりました」と雨宮氏は話す。
“横森先生”とは、山梨学院高校を2009年には監督、2020年は総監督として全国高校サッカー選手権大会で優勝に導いた横森巧氏。横森氏は韮崎高校、韮崎工業高校など公立高校を率いて全国大会に出場、そして先述した二度の全国制覇を経験している名将だ。雨宮氏は横森氏が韮崎工業高校を指導している際にスカウトをされ、同校に入学した。
残念ながら雨宮氏が入学したと同時に、師弟関係だった別の指導者に監督の座を譲ったものの、サポートに回った横森氏からの指導を受けることは多く、その中で感じたのは横森氏の勝負への感覚だった。
「勝つということに強い意志を持っている。勝負師の勘ですかね。例えば主力の選手が疲れてきて試合中に下を向いていると『あいつが下を向いたらダメだな』と言うと、直後に点を取られてしまったことがありました」と雨宮氏。
また印象的な言葉として、「試合中に落とし物があったら先に拾っておきなさい」というフレーズを挙げ、「疲れで下を向くと集中力が途切れてプレーが雑になるということを言いたいんだと思いますが、本当のことはわかりません(笑)」と雨宮氏が言うように独特の表現と熱心な指導が印象的な指導者で、その後の人生にも多くの影響与えた。
2020年に団体を立ち上げ、ハンドボールの受け皿を作る
高校卒業後は、社会人チームでサッカーを続けた雨宮氏。仕事の関係で東京にいる期間が長かったが、独立を機に甲府に戻り“地元で何か事業ができないか”と中学時の同級生で、現在はエージェンシーの理事を務める船木哲氏と画策するようになる。
「彼は県内で強豪と言われる駿台甲府高校女子ハンドボール部を指導しています。私はサッカーで、彼はハンドボールだったので『地元で何かをするにはやっぱりスポーツだよね』ということで山梨スポーツエージェンシーを立ち上げました」(雨宮氏)
「することは後で考えようということで、何をするかは全然考えていませんでした」と雨宮氏は笑うが、まずは山梨県のハンドボール界が直面していた課題に向き合うことになる。
駿台甲府高校は男女とも強豪と呼ばれる競技レベルだが、地元では少子化に伴う競技人口の減少が叫ばれており、特に小中学生が競技に触れる機会は決して多くなかった。また競技をしていても、十分な指導を受けられない地域もあり、「競技の普及、強化の仕組みが必要だと感じました」(雨宮氏)。そこで駿台甲府高校のバックアップの元、山梨スポーツエージェンシーとしてハンドボールのクラブの設立とスクールを開校した。
クラブとスクールと言っても、昨年度までは新型コロナウイルスの影響で練習ができない期間が長かったことから1回の参加料を500円とし、定期的な参加はもちろんスポット参加も可能な形態に。駿台甲府高校のOBが指導に加わり、全国でも高水準の指導が受けられるということで毎回20名前後が練習に参加をしている。
「部活でハンドボールをやっている子どもたちの補習的な扱いで、技術力を高めるために練習をしています。どんな人でもハンドボールができるというところに主眼に置いています」と雨宮氏は話す。門戸を広げ、1人でも多くの子どもにハンドボールの楽しさを伝えていきたい。
スポーツで人材育成をするべく指導者の養成を目指す
山梨スポーツエージェンシーを立ち上げてハンドボールを、そして今年からオーランフットボールアカデミー山梨甲府校を開校し、ハンドボールとサッカーの指導をメイン事業として活動しているが、雨宮氏の思いの根底にあるのは県内スポーツの根本的な改革だ。
山梨はプロスポーツが少なく、Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府とWJBL(女子バスケットボール)・山梨クィーンビーズのみ。またアマチュアレベルで競技をするにしても東京や神奈川に比べれば、様々な選択肢が少ないのが現状だ。
そのため各競技のレベルも高いと言えないが、その原因の一つとして雨宮氏は「指導者の質」を上げる。暴力や暴言を用いた指導がはびこっているというのだ。
「私の周りでも問題を起こしている指導者がいて、指導者が嫌だからサッカーを辞めたという話は聞きます。そういう状況でレベルは上がるのでしょうか?」。
続けて、「私はサッカーを続けたからこそ自分自身が成長でき、横森先生に声をかけてもらって県内の強豪校に進むことができました。サッカーを通してつらい経験もありますが、今の自分を作るバックボーンになっています。スポーツは最大の人材育成の場だと思っています」とハンドボールとサッカーの指導を通じて、スポーツに携わる人たちの意識改革を目指している。
その一つとして3月中旬に、「いじめ撲滅BE A HEROプロジェクト セミナー」をオンラインで開催した。スポーツは人材育成の場である半面、選手間では技術差や学年を理由に、指導者から選手では一方的な感情でいじめにつながるケースが非常に多く、いじめはスポーツと常に隣り合う存在だ。セミナーではいじめの構造や対策が取り上げられ、参加者の理解を深める機会とした。「スポーツの現場からいじめがなくなり、いじめが原因でスポーツから離れる子どもを一人でも減らしたい」というのが雨宮氏の思いだ。
競技の育成・普及も大事ではあるが、山梨からスポーツの火を消さないためにも競技に関わらず根本の環境整備も同時に重要になる。
「山梨の発展、維持のためには人材が育つしかない。立派な人間が立派な世の中、地域を活性化するんじゃないかと思います」と雨宮氏。今後はハンドボール、サッカーだけでなく、他の競技の指導体制を整える一方で、引き続きいじめや体罰の撲滅、さらにはスポーツ業界への就職支援を考えており、様々な角度からスポーツ振興に貢献していく。