元楽天投手が開設した子どものための野球教室。ケガをしない体づくりとスポーツの楽しさを伝えたい
平坦でない道のりを経て辿り着いた『IPPO ACCURATE』
和歌山県立箕島高校、名古屋商科大学、シティライト岡山を経て2009年に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した土屋朋弘さん。2010年から13年まで投手として活躍した。野球一筋の華やかな人生に見えるが、その道のりは決して平坦ではなかった。
中学生の時にはケガで3カ月の入院を余儀なくされ、元の感覚を取り戻すのに3年間を要した。高校時代は3年生でベンチから外され、大学時代には2年生秋までなかなかブルペン入りもさせてもらえなかった。東北楽天ゴールデンイーグルスでは入団早々ケガに泣き、15年からは2軍のバッティングピッチャーとして選手をサポートする側に回った。
選手を引退し、2軍選手やリハビリ組選手の復帰プログラムを見る中で、土屋さんはケガをしない、させない体づくりの大切さを痛感。併せて、トレーナーとしてアマチュア選手を育てる夢を描くようになる。こうして、職業的なトレーナーを目指し、資格取得を含む本格的な勉強を始めた。2020年に退団すると、現役時代から温めていた起業の夢を叶える。
子どもたちに運動の楽しさを教える『IPPO ACCURATE』を2021年に宮城県仙台市青葉区で立ち上げたのだ。「野球教室」「キッズ教室」「キッズ野球教室」の3本柱で始動。2022年9月には「キッズ野球教室」を「ワイルドギース」というチームに衣替えした。将来のプロ野球選手育成を目指す同チームは、プレーヤーとトレーナーの双方を経験した土屋さんならではの実践的な指導が売り物だ。
「プロ野球の技術ばかりでなく、正しいトレーニング方法や体の使い方でケガをできる限り予防し、プロ野球選手への近道を手助けしたい」と語る土屋さんの熱い思いとは。
お世話になったトレーナーに影響を受け起業を決意
―『IPPO ACCURATE』を立ち上げたきっかけは。
「現役時代にお世話になったトレーナーの生き方に感銘を受けたからです。彼はシーズンオフになると東南アジアに足を運んで、スポーツの普及活動を地道に続けているのです。そのひたむきな姿に打たれて『いつかは自分も』と思うようになりました。そして、現役を退いて選手を支援する立場になってから、トレーナーを目指して勉強を始めました」
「ぼくはもともと35歳で独立する人生設計を描いていました。新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年です。周りからは『焦らなくても』と言われましたが、このチャンスを逃すと出遅れると思ったので、2021年、36歳の時に念願の教室を立ち上げました」
―初めから子どもを対象にした事業にしようと思っていたのですか。
「最初は成人アスリート向けの事業を考えていました。しかし、トレーニングの勉強を進めていくうちに“健康寿命”の大切さを学びました。考えてみると、加齢に伴う腰痛もうつ病も結局、運動が関わっているのです。そこで、年を取ってからではなく、子どものうちから運動を楽しめる環境を整えることに力を入れようと考えました。運動が特別なことではなく、生活の一つになれば、すべてが改善されると思ったからです」
スポーツが苦手な子にも「運動は楽しい」と感じてもらいたい
―プレーヤーからトレーナーに転じて、見える景色はどう変わりましたか。
「球団に在籍していたころ、例えば、肩を壊した投手のリハビリプログラムでは、投球数を決めた上で10メートルの距離を投げさせて調子を確かめます。投げる時に痛みがあるかどうかを聞き、痛くなければ翌日は20メートルに挑む。段階的な手順を踏むわけです」
「その後、ネットスロー、遠投、立ち投げ、試合――というプログラムに沿った一続きの流れで臨みます。体の状態に応じた正しいメンテナンスやトレーニングの方法が確立しているのです。しかし、アマチュアは病院の先生に『ダメ』と言われれば休まざるを得ない。その点、プロは休んでいる間もインナーマッスルを鍛えるといった復帰に向けたトレーニングを欠かしません」
―漫然と休んでいるわけではないのですね。
「アマチュアでそこまで気を遣う所は稀(まれ)です。要するに、ケガから回復させるための、プロ野球並みのしっかりとしたシステムが整っていません。アマチュアのチームには、知識と経験のあるトレーナーがほとんどいないからです。そこで、たいていは『休め、走れ、腹筋しておけ』といった号令だけで済ませる。根本的なところは何も改善されていない。だから、ケガをしたり、ぶり返したりする子どもが多いのです」
―トレーナーとして心がけているのはどんなことですか。
「起業した2021年に『キッズ教室』で『コーディネーショントレーニング』というドイツ発祥の手法を取り入れました。その目的をごく簡単に言うと、体育、知育、徳育の3つを成長させて『運動は楽しい』と子どもに感じてもらうことです」
「試合に勝ったり、うまくなったりすれば、子どもは自然にスポーツに興味を持つようになります。『楽しい』という気持ちが根底に芽生えるからです。ですから、普段、外で遊ぶことが少ない子どもやスポーツの苦手な子どもにも運動を楽しいと感じてもらえるようなトレーニングを行いたい。そうすれば、運動が生活の一部になる。そういう機会を作ってあげたいと考えています」
野球を入り口にスポーツの楽しさと礼儀や社会性も指導
―事業で掲げられている「野球教室」と「キッズ野球教室」はどう違うのですか。
「もともとは子どもが運動の楽しさに触れるための入り口として、ぼくの経験を生かせる野球という種目を選びました。名前は似ていますが、まず『野球教室』は塾のようなものです。2人一組の少人数で、技術やトレーニング法、ケガ予防、ボディメンテナンスなどを個人的に教えています」
「個人指導に近い『野球教室』に対して『キッズ野球教室』は監督と2人のコーチ、それにぼくを加えた4人で運営しています。もともとクラブチームの設立を目指して発足したもので、2022年9月に『ワイルドギース』と改称。11月6日が初めての大会でした」
―「野球教室」や「ワイルドギース」の指導で力を入れているのは。
「試合の勝ち負けばかりでなく、野球を通じて、大人との関わり方や社会の仕組み、礼儀など、将来の社会で必要となる、野球以外のチカラをたくさん学んでほしいと思っています。特に『ワイルドギース』は幼稚園の年長から小学生のメンバーでつくるチームですから、彼らが卒業して中学生になった時に笑われたり、恥をかいたりしないような指導をしたいと考えています。そして、いつかは生徒の中からプロ野球選手を送り出したいですね」
親に負担のかからない運営体制を目指す
―「ワイルドギース」の運営で重視していることは。
「極力、親に負担がかからないようにすることです。一般的な少年野球団が親にかける負担の代表は『送り迎え、お茶当番、審判』の3点セット。その理由はぼくにもよく分かりませんが、なぜか昔から重んじられているボランティア活動です。しかし、近年は共働きや一人親が増えているので、そういう活動に時間を割けない親御さんが多いのです」
―致し方ないとはいえ、家庭環境が妨げになるのは悩ましいですね。
「実際、少年野球団に入ったのに辞める子どもたちがいます。理由を聞くと、親の負担の大きさがネックになっているようです。本当は野球がやりたいのに、仕方なくサッカーボールを蹴っている子どももいます。野球よりも親への負担が少ないからです」
「ですから、子どもがやりたいと思ったら、親の状況にかかわらず、やれる環境を整えてあげたい。そこで『3点セット』の負担を減らすため『ワイルドギース』では、今後タクシー事業者に働きかけたり、水筒でお茶を持参してもらったり、アルバイトの審判を募ったりするなど、外部の企業や組織などに理解と協力を求める活動を続けています」
幼稚園や保育園での定期的な野球教室の開催が目標
―これまでの活動を踏まえた今後の展望を聞かせてください。
「子どもたちにもっと野球に触れてほしいと考えています。そのきっかけづくりとして、例えば、幼稚園や保育園で野球教室ができないかな、と考えています」
―サッカーには巡回教室がありますね。
「サッカーに比べると、残念ながら野球は立ち遅れていると思います。伝統を重んじる体質が動きを鈍らせているのかもしれません。スポットでやることはあるけれど、定期開催となると、なかなかハードルが高い。ですから、草の根運動のような地道なことから始めて、やがては中学校でもやりたいと考えています」
―“草の根運動”の進み具合はいかがですか。
「きょうも幼稚園と保育園で営業とデモンストレーションをしてきました。子どもたちに何が受けて、何が受けないか、といった手応えは『野球教室』の運営に役立てることもできます。とはいえ『ワイルドギース』の立ち上げを含め、経験のないことばかりなので、試行錯誤しながら動いている状態です。せっかく起業しただけに『子どもたちにスポーツの楽しさを教える』という気持ちを忘れず、初志を貫いていきたいと思っています」