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「草野球でもやろうかな」から一転、東北の名門へ…東北福祉大・後藤凌寿がプロを志す投手になるまでの道のり

 12月2~4日、松山市で大学日本代表候補合宿が行われ、全国から選出された44人の有望大学生が一堂に会した。仙台六大学野球連盟からは、いずれも来秋のドラフト候補に挙がる仙台大・辻本倫太郎内野手(3年=北海)と東北福祉大・後藤凌寿投手(3年=四日市商)が参加。辻本はすでに代表経験があり国際大会にも出場しているが、後藤にとっては野球人生で初めての代表候補入りだった。  

 身長183センチの長身右腕で、最速152キロのストレートとカウントの取れるスライダー、カーブなどの変化球が武器。長いイニングを投げ、かつ終盤に入っても球速とキレが衰えず、三振を量産できるのも強みだ。三重の県立高出身で高校時代の実績は少ないが、大学で急成長を遂げている。「野球は高校まで」のつもりだった男は、いかにしてプロを志すほどの投手になったのか。その軌跡を追った。

充実の秋、「打たれるとは思わなかった」152キロ

 近年、「仙六」最大の注目カードとなっている仙台大対東北福祉大。10月11日、そのレベルの高さを象徴する名勝負が実現した。仙台大初回の攻撃、2死走者なしで打席には辻本。「一番注意しないといけないバッターだし、初回に打たれると勢いづけてしまうと思った」。東北福祉大の先発・後藤は初球から150キロのストレートを投じストライクを奪うと、2球目以降は100キロに満たないスローカーブ、120キロ台のスライダーも織り交ぜ追い込む。1ボール2ストライクから投じた5球目は、自己最速となる152キロを計測した。  

 アウトコースに投じたこの5球目は渾身の一球だったが、辻本はいとも簡単に右前に弾き返した。後藤は「まさかあの球が打たれるとは思わなかった。完全に負けました」と振り返る。喜びよりも悔しさの勝る自己最速更新だった。

秋リーグの仙台大戦でピンチを抑え、ベンチに戻る後藤

 この試合は再三得点圏に走者を進めながらも、要所を抑え6回無失点。チームは延長の末敗れ優勝を逃したものの、「ホームは踏ませず、自分の中では良いピッチングができた」と手応えを感じていた。今秋のリーグ戦は仙台大戦を含む5試合に先発し、29回を投げ防御率0.00。奪三振はリーグ2位の33を数え、最優秀投手賞に輝いた。  

 一方、明治神宮大会出場をかけた東北地区代表決定戦では東日本国際大との初戦で先発を任されるも、7回途中3失点で敗戦投手になった。1-1の7回は先頭から3連打を浴び、無死満塁のピンチをつくって降板。「慣れない球場で緊張感もある中、いつもと違う感覚で投げていた。投げたいところに投げられない場面も多く、序盤から『あれ?』という感じだった」と唇を噛む。最後は悔しさも味わったが、大学3年目に大きく飛躍した後藤の名は、一気にドラフト戦線に浮上した。

甲子園もプロも意識しなかった高校時代、急転直下の大学進学

 後藤は三重県四日市市出身。小学3年の頃から野球を始め、高校は「自分の頭のレベルと家からの近さ」を考慮し、自宅から自転車で約15分の距離にある四日市商を選んだ。四日市商は甲子園とは縁遠い公立高で、輩出したプロ野球選手は1950年代に中日などで投手として活躍した伊藤四郎氏のみ。後藤は「弱い高校でのんびりやれたらいいなという気持ちだった。(甲子園に行きたいとは)全く思っていなかった」と当時の心境を明かす。

東北地区代表決定戦で初戦の先発を任され、力投する後藤

 高校では1年夏からベンチ入りし、投手兼遊撃手として活躍。入学当初120キロ程度だった球速は2年秋には130キロ台後半まで伸び、3年春には140キロを突破した。ただ、球速は意識して伸ばしたわけではなく、「周りと同じ練習をしたら勝手に上がった」という。3年次には県内の注目選手として名前が挙がるようになった一方、本人は「野球を続けるつもりは全くなかった。草野球でもやろうかなと思っていた」と、最後の夏が終わるその時まで就職希望を貫いた。  

 しかし3年夏の県大会2回戦で敗れたその日、高校の監督から、東北福祉大から誘いを受けていることを明かされた。迷った末、「ずっと弱いところでやってきて、強い大学で自分の力がどれくらい通用するか、ほんの少しだけ知りたくなった」との考えが頭に浮かび、大学進学を決断した。

大学での華々しいデビューと、挫折続きの1年半

 東北福祉大入学時は当時4年の山野太一投手(現・ヤクルト)、同3年の椋木蓮投手(現・オリックス)ら、大学トップレベルの実力を持つ先輩たちの投球に圧倒されながらも、1年秋にリーグ戦デビューを果たす。東北地区大学野球王座決定戦では2試合ともに救援登板し、優勝に貢献した。  

 順調なスタートを切ったが、入学後最初の冬に肩甲骨を痛め、約3ヵ月投げられない状態が続いた。完治後も調子が上がりきらず、2年次はリーグ戦登板0に終わる。それでも、投げられない期間にウエイトトレーニングなどでフィジカル面を強化。また1年次から同学年で唯一公式戦に登板したことで「自信過剰で、天狗になっていた部分もあった」といい、野球に取り組む姿勢を考え直す1年にもなった。

強化合宿から戻り、東北福祉大の室内練習場で汗を流す後藤

 3年春は開幕から先発を任される予定だったが、リーグ戦前に新型コロナウイルスに感染し先延ばしに。その後中継ぎで復帰し、東北学院大戦では再び先発のチャンスが巡ってきた。しかし、「先発が決まって、気合いが入りすぎた」という登板予定日の2日前、普段は取り入れていない練習をしている最中に左足を骨折。きっかけをつかみかけていた後藤に、野球の神様はまたしても試練を与えた。  

 再びのリハビリ期間を終え、ようやくコンディションが整った秋に大ブレイク。度重なる挫折を乗り越え、気づけば来年のエース候補筆頭と言える投手にまで成長した。

地元の期待を背負い、突き進むプロへの道

 今秋の活躍が評価され、大学日本代表候補に選ばれた。紅白戦では打ち込まれ課題を痛感したが、合宿期間中は普段接する機会の少ない投手と積極的にコミュニケーションを図った。大阪商業大の右腕・上田大河投手(3年)からは、現在習得中であるフォークの投げ方を教わったという。また、合宿での投球を見た大塚光二監督からはストレートと変化球を投げる際の腕の振りに違いがあることを指摘され、同じ振りで投げられるよう意識して練習に取り組んでいる。

ボールを手に撮影に応じる後藤

 そして何より、大学1年次に山野や椋木に憧れる中で沸いてきたプロ野球への思いが、合宿に参加したことで一段と強くなった。「合宿で集まった選手たちと、プロでも一緒に野球ができたらいいな」と目を輝かせる。

 四日市商時代の同期で、野球を続けているのは後藤のみ。リーグ戦で活躍したり、代表候補入りが決まったりした際はかつての戦友たちから応援のメッセージが届き、その応援が発奮材料になった。「大学に入るまでプロを目指したことがなかったので『まさか自分が』という感じだけど、ここまできたら福祉大のエースになって、プロに行きたい」。高3の夏に下した決断を後悔しないためにも、大学ラストイヤーを最高の1年にしてみせる。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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