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元ソフトバンク・攝津正氏~アスリートのセカンドキャリアにとって重要なこと

攝津正氏はソフトバンクのエースとしてプロ通算79勝を挙げた名投手。現役引退後は充実したセカンドキャリアを送る一方、「慢性骨髄性白血病」との闘いも続けている。

スポチュニティ・アンバサダーに就任したばかりの攝津氏に話を聞いた。

強豪球団のイチ時代を築いた名投手だけに、人気と存在感は今でも健在だ。

~世間では常に色々なことが起きている

「現役引退後は解説の仕事や講演会、時には野球教室をやることもあります。また趣味である釣りのラジオ番組へも出演しています」

ソフトバンク史に残る右腕だった。プロ1年目からセットアッパーを任され2年連続最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。先発転向後の2012年には17勝を挙げて最多勝利と最高勝率、そして沢村賞も受賞した。現役引退後は野球関連のオファーが多く舞い込む中、外の世界へも積極的に目を向けるようにしている。

「ラジオ番組(RKBラジオ『攝津正のつりごはん』)が生活の中での良いスパイスになっています。番組を通じて様々な人に出会えます。普段のニュースなどもラジオ局の人に質問するとわかりやすく教えてくれて学ぶことができます」

「野球界だけにいると外部情報がなかなか入ってきません。世間では常に色々なことが起きていますが、そういう情報が入るのは自分にプラスになるはず。野球につながることも多いし人生のヒントになります」

趣味の釣りを活かしたラジオ番組に出演するなど幅広い活動を行う。

~「野球以外のことができる」という楽しみがある

プロ入り当初は「外の世界へ目を向ける」という考えはなかった。プロ生活晩年の「落ち目になった」(攝津氏)と感じ始めた時期からそうなったという。2015年オフに国内FA権を行使せず3年の複数年契約を結んだ頃だった。

「複数年契約を結んだ頃は、『プロ野球選手としての先も長くない』と感じていました。その後は成績も出なくなり周囲から叩かれたりもした。でもソフトバンクには良い選手が揃っておりチームは勝てていたので、色々なことを冷静に考えることもできた時期でした」

現役最後の3年間は大きなケガはなかったが、身体の至る部分に不調を感じて思ったように動けない状況でもあった。

「レベルアップはできないので現状維持に専念した時期です。常に注射を打ったり様々な治療もしており、現役引退後のことも真剣に考え始めた。具体的なことはまだなかったですが、『野球以外のことができる』という楽しみはありました」

9月8日の球団創設85周年&ドーム開業30周年記念イベント「ダブルアニバーサリーデー」で始球式を務めた。

~中継ぎ、先発と色々できたことが良かった

秋田経法大附属高から社会人・JR東日本東北へ進み8年間プレーした後、2008年ドラフト5位でソフトバンク入団。当時26歳の新人は将来的なビジョンをしっかり描いた上でプロ生活を送り始めた。

「『プロで10年プレーする』という目標を立てました。年齢的に20年プレーするのは現実的ではなかったので、10年活躍することを目指した。『どの役割でも良いから一軍で必要とされてマウンドに上がること』を考えていました」

プロ1年目から勝ちパターンでのセットアッパーを任され70試合登板を果たす。翌年も同ポジションで71試合に投げ、3年目からは先発転向してチームの柱となった。

「色々な役割で投げることで自分の引き出しが増えたと思います。チーム事情もあったのですが自分のビジョンに近い感じで中継ぎから先発へとうまく移行できた。タイミングが良くてありがたかったです」

モルツ球団の一員としてサントリードリームマッチ2023にも出場(写真左は上原浩治氏)。

~自分自身を客観視することで成長度合いが変わる

「社会人野球での経験が何より大きかった」と語る。高校卒業後、世間について何も知らない中で飛び込んだ世界は、野球のみでなく人生においても大きな礎になっている。

「高校からいきなり社会人になってきつい部分もありました。会社に属して仕事の一環として野球をやらせてもらうので、『普段の生活も含めてしっかりしないといけない』と思えるようになりました。8年間で多少の自覚はできたと感じます」

プロ入り後、「学生からプロ入りする選手と社会人を経ての選手では大きな違いがある」ということも痛感した。

「自分自身を客観的に見る力が違う。学生から入った選手は、『自分がどういう選手を目指すのか?』を具体的に考えられない人が多く見受けられる。選手としての成長度合いも違ってきます。私の場合は社会人野球での出会いや経験がプラスになったと思います」

プロアスリート、社会人としての豊富な経験から各所での講演会等に呼ばれる機会も多い。

~元プロ野球選手の影響力を良い方向へ活かしたい

2021年1月には自身のSNSを通じて「慢性骨髄性白血病」を患っていることを公表した。自覚症状など全くなかったが、別件で耳鼻科での血液検査をした際に病気が見つかった。

「病気の告知を受けた時は絶望感がありました。『死ぬかもしれない』と。でも1ヶ月くらいで心の整理はできました。悪いことばかり考えて生活していたら人生が面白くないし、得るものもないと思いますから」

「病気のことを考えてしまう時もあります。例えば、同じ病気の人が亡くなったということを聞くとドキッとすることもある。でも医者からも『治る可能性は高い』と言われていますし、気持ちの持ちようだと思います」

難病であるにも関わらず周囲に悲壮感や絶望感を感じさせない。病気と向き合う姿は多くの媒体を通じ、可能な限り発信し続けている。

「変な憶測を立てられるのも嫌でしたから早い段階で公表しました。病気と向き合う姿を発信するのは多くの人に白血病のことを知ってもらえるから。病気への知識を得ようとしてくれる人もいます。骨髄ドナー登録をする人が増える可能性もある。元プロ野球選手ということで少しでも影響力があれば嬉しいです」

野球界以外のことにも興味を持つことで充実したセカンドキャリアを送れている。

~引退後の人生は圧倒的に長い

2018年に36歳で現役引退したが、改めて感じたのは「競技引退後の身の振り方を早めに考えることが重要」ということだった。

「セカンドキャリアを考えることが大事。多くの人が40歳前後までに現役を終えるので、その後の人生が圧倒的に長い。でも野球しかやってこなかった人は現役引退したら何をやったら良いのかわからない。例えばプロ入り時の契約金を残しておくだけでも次へのスタートの仕方が変わるはずです」

「サッカー界などではリーグやチームが主導となり現役中から様々な資格取得の斡旋等をしています。仮にその資格を活かせなくてもセカンドキャリアを考えるきっかけになる。人生設計を早い段階からするのに越したことはないです」

子供の頃から打ち込んできた野球という種目の特殊性も認識している。国内最大の人気を誇る競技には危険性もあるという。

「野球はある意味、閉鎖的で外の情報が入りにくい環境です。現役中は活躍だけを考えるので野球以外で何か勉強をすることもない。結果を出せば全てが許される部分もあるので、勘違いしてしまう危険性もある。広い視野を持つことが何より大事だと思います」

今後はスポチュニティ・アンバサダーとしてスポーツ界の未来のために尽力をする。

社会人野球、プロ野球、そして病気やセカンドキャリア…。「自らの経験を活かして何かできないか?」を考えスポチュニティ・アンバサダーへの就任を決断した。

「少子化と比例し、野球のみでなく他競技も含めスポーツ人口が減少している。これから先の世代の人たちにとって、スポーツをする環境が少しでも良くなって欲しいと心底願っています。そのためにできることがあれば、何でもやりたいです」

プロ野球のスター選手として活躍した姿は攝津氏の一面でしかない。野球以外でも多くの経験を重ね豊富な引き出しを増やすことができているのだろう。バランス感覚に優れた「常識人」として、現役引退後の現在を過ごせている理由の一端が見えたような気がした。

スポーツ選手のセカンドキャリアはまだまだ課題の多い問題でもある。このような貴重な体験談の共有は現役選手のみならず、これからのアスリートのためにもなるはずだ。スポチュニティもアンバサダー就任した攝津氏のお力をお借りしてアスリートの未来に尽力していきたいと考えます。

(取材/文・山岡則夫、取材協力/写真・攝津正、鴛海秀幸)

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