【山下訓広】サッカーだけで、やってきた強さ〈後編〉

前編に引き続き、山下訓広さんのサッカーに対する情熱が生まれたプロセスと現役時代の選手生活を中心にお話を伺っていきます。

【山下訓広】インドネシアにいた時が、一番サッカー選手らしかった〈前編〉

▲インドネシア・パプアでのお休みの日

ただ、サッカー好きだった

Q,ところで、山下さんはサッカーをいつから始めたのですか?

幼稚園でサッカークラブができて、友達が蹴っていたのを僕もやるという感じで、入ったんじゃないかな。その中で、僕が「一番上手いじゃん」って思うと楽しかったんです。

Q,その頃から、サッカー選手になりたいと。

小学生の頃から思っていたんじゃないですかね。小学校の時に父親の仕事の都合で一度、アメリカに行ってたんですよ。アメリカでサッカーは盛り上がってないですが、それでもサッカークラブに入っていましたし、日本に戻ってきてからもサッカーは続けていましたね。

Q,サッカー選手の影響は大きかったですか?

うーん、当時Jリーグも始まっていたんですが、正直あんま見ていなかったんですよね。ただサッカーが好きで、やりたくてやっていた。

その時なんて、もちろんお金のことも派手な生活ができることも、考えてなかったですね。

▲カップ戦の準決勝

チームのためにプレイすることが
自身の結果を残すことに繋がった

Q,サッカー選手として、結果を残し続けるために心掛けていたことはありますか?

高校・大学と厳しい学校に入った理由も、プロになることを目標としていたので、入団にした時には解放されたというか。ロアッソ熊本にいた時は勘違いしていましたね。

というのも、J2だとしても、サイン会があると「プロになった」と実感したから。いま振り返ると、当時は頑張れていなかったなと思います。

ロアッソを2年で退団した時、最初はどこからもオファーがない中で、シンガポールのチームに声を掛けてもらいました。そこでは「自分が結果を残す」意識が強く、外国人助っ人として試合を決める活躍ができれば、それで良いと思っていました。

それでも、一人でDFはできないと思い知らされまして…。基本的には、なるべくチームの中心にいて、信頼してもらえるようコミュニュケーションを心掛けていました。

チームのためにプレイすることが、自分のためになると気づいたんです。

インドネシア・パプアにて、友人達とジャングルへ

Q,実際にプロになって、感じたことはありますか?

サッカーができる喜びと勝敗が決まることは幸せでした。

東南アジアで大変だったのは、パプアのような辺鄙な場所に行った時です。そこは本当にしんどくて、アウェーゲームだと移動時間に一日はかかるくらい。

ここまでサッカーはやったし、もういいかなと思ったんですが、「やっぱりサッカーがしたいな」と。

親にもマラリアが危ない、テロリストが潜んでいる、人喰い民族がいるとか相談したこともあります。当時の僕は、親に「やめときなさい」と言ってもらいたかったんでしょうね。

そして、できない理由を探していた事に気づいた時はダサいなと思いました。

毎回オファーがきていた訳でもないですし、自分でチームを見つけに行くこともあります。ヤンゴンFCが9月に終わった時は本当にチームがなくて、翌年の2月くらいまで決まりませんでした。

5ヶ国くらい周って、最終的にはインドネシアに決まったんですけどね。

結果、良かったです。すっごく辛かったけど、やっぱり良い経験になりました。今まで挑戦してきて、特に損したことはないです。

これからも、そういう場面にぶち当たった時は挑戦していこうと思いましたね。

▲アウェイゲームへの移動中

できない理由を探さない

Q,できない理由を探しているのに気づく瞬間は、どういう時でしょうか?

ふと挑戦しないといけない状況に置かれて、「どうしよう、でもやりたい」と思ってはいても、できない理由を探し出した時かな。基本的に思考の物差しはカッコいいか、カッコ悪いかだけなんですよ。

だから、いつもカッコいい方を選ぶようにしています。

Q,引退後の心境はいかがでしたか?

まず行動することは、11年間プロサッカー選手をやっていて、唯一身に付けられたものです。東南アジアのような辺鄙な場所でやってきた経験も、無くさずにいたいですね。

社会人になった今も、苦しいですよ。テレアポで嫌な思いもしますし、電話したくないなって思います。

それでも、こういう苦労を皆しながらやっていると思うので、一生懸命やっています。

Q,乗り越える上での原動力はありましたか?

マイナスなことを考えた時、カッコ悪いなと思います。

11年間、社会に出て働いてきた同期を見るとやっぱり立派ですし、リスペクトしています。今はできないけど、自分らしく「皆よりできるようになってやろう」と思いますね。

▲リーグ戦でのホームゲーム

サッカーだけでやってこれた強さ

Q,自分らしさは、行動し続けることになるんでしょうか。

そうですね、何事も恐れずやること。

サッカーには自信があったけれど、テレアポは自信も無くすし、くじけそうになるけれど、今までの自分の強みは何なのかと振り返ると、負けずに続けていくことだと思うんです。

Q,これまでに影響を受けた人はいますか?

知り合った経営者の方は、いつも前向きな話をしてくれます。例えば「人は挑戦する時に、できない理由を探す。だから、みんな一歩を踏み出せない」という言葉は特に影響を受けました。

東南アジアの辺鄙な場所に行った時も、この言葉のお陰で、挑戦する決断ができましたね。

あとは両親です。33才を迎えても、やりたいことをやれと支えてくれていますので、感謝しています。

Q,では、最後に。セカンドキャリアについて、引退を迎えた選手や迫っている選手に一言お願いします。

どういう道に進むかにもよると思いますが、社会に直接つながるような強みはメンタリティだと思います。

それは、サッカーしかではなく、サッカーだけでやってきた強さ。

セカンドキャリアでサッカー以外にやりたいことを探すのは難しいことだと思いますが、行動に移すことで、良い出会いが待っています。

そして、そこで生まれた目の前のことに向き合うことを大事にしてほしいですね。

◆サッカーに対する情熱を胸に、日々懸命に活動されている山下訓広さん。今後の活躍を一緒に応援していきましょう!

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1995年静岡県出身。バスケット競技歴10年。会社員の傍ら、スポーツライターとして活動中。

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