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サッカー×農業による障がい者支援—現役アスリート3人が立ち上げた「Refio」の挑戦に迫る(前編)

多々良さん農業①

 今春、現役アスリート3人が「サッカー×農業」で障がい者支援などを行う団体「Refio」(リフィオ)を立ち上げた。3人はプロサッカー選手の多々良敦斗さん(JFL・FCマルヤス岡崎)、久保田和音さん(J2・ザスパクサツ群馬)とロービジョンフットサル選手の中澤朋希さん。「自分らしく輝くことができる社会の実現」との目標を掲げ、「アスリートだからできる」事業に取り組む。

 「サッカー×農業」による障がい者支援とは――。例えば、障がいを持つ子どもたちに農業を体験してもらい、コミュニケーションの場を提供する。活動に賛同してくれる農家を募り、農家との協働で活動の幅を広げる予定だ。他にも、特別支援学校を訪問して一緒にサッカーボールを蹴ったり、障がいの有無関係なくサッカー好きが参加できるイベントを開催したりと、現役アスリートだからできる活動に取り組むことで共生社会の実現を目指す。

 J1でのプレー経験がある多々良さん、久保田さん、日本代表にも入った中澤さん。一見、輝かしく見える3人の人生だが、過去にはそれぞれの「苦悩と挫折」があった。そしてその「苦悩と挫折」こそが、現在の活動の原動力となっている。なぜ、現役アスリートが行動を起こすのか。現役アスリートだからできることは何か。3人の思いに迫った。

立ち上げの発起人は多々良敦斗。新天地で知った農業の課題

 Refio立ち上げの構想が動き出したのは今年2月。発起人は多々良さんだった。長年Jリーグでプレーしていたが、2019年にJFLのFCマルヤス岡崎に加入。Jリーグの下のカテゴリーであるJFLの選手は、サッカーだけで生計を立てることが難しい現状を知った。

農家の生の声を聞いてきた多々良さん

 サッカー以外の世界にも触れようと、あらゆる業種の人に話を聞く中で知ったのが、耕作放棄地の問題だ。高齢化が進む一方で農業の継ぎ手が不足していることから、使われない農地が増加している現状を、農家から直接耳にしたのだ。

 栄養を気にかけるアスリートと食は、切っても切り離せない関係。アスリートにできることがあるはずだと直感した。「アスリートと農業を結びつけ、日本の農業を変える仕組みをつくりたい」。その思いをかたちにすべく、同じ事務所に所属する中澤さん、久保田さんに話を持ちかけた。

練習中に目の当たりにした大先輩の死…悲しみを乗り越え前へ

 多々良さんが思い立ったことを行動に移せるのはなぜか。そのきっかけは11年前に遡る。2011年8月2日。当時、松本山雅FCに所属していた多々良さんは、その日もいつも通りチームの練習に参加していた。「いつも通り」の時間が突如止まったのは、ストレッチの最中だった。元日本代表の大先輩・松田直樹さん(当時34歳)が、目の前で倒れたのだ。「最初は冗談かと思った」が、その後、病院に搬送された松田さんが息を吹き返すことはなかった。

 松田さんの死は、日本中に衝撃と悲しみを与えた。多々良さんも、しばらく練習ができなくなるほどの大きな精神的ショックを受けた。共にプレーした期間は半年ほどだったが、「Jリーグを目指せ」と毎日のように口にする松田さんの姿がない日常を、なかなか受け入れることができなかった。それでも、チームは松田さんの言葉に応えるように勝ち続け、この年に翌シーズンからのJリーグ加入が決定。「松本山雅を全国区にしたのはマツさんだし、マツさんの死がなかったらここまでのチームになっていなかった」。時間が経つにつれ、松田さんが駆け抜けた人生がいかに偉大だったか、分かるようになってきた。そして、「人の人生には限りがあるということを強烈に感じた。1回きりの人生だから、自分が思ったことにチャレンジしていこうという気持ちが芽生えた」。

FCマルヤス岡崎でプレーする多々良さん

 FCマルヤス岡崎に移籍後は、農業の課題や、中澤さんから聞いた障がい者の実情に触れた。同じアスリートである2人と志を共にし、Refioを立ち上げた。「いろんな人が垣根を越えて生活する場所をつくりたい」。一度きりの人生、サッカー選手としてだけでなく、一人の人間としてできることを模索し続けている。

現役Jリーガーが感じた、サッカーができることのありがたみ

 多々良さんと志を共にする一人である久保田さんは、現在もJリーグでプレーしている。しかし、久保田さんのサッカー人生も順風満帆ではなかった。2015年にJリーグの名門・鹿島アントラーズに入団するも、4年でわずか5試合の出場にとどまり、19年にはファジアーノ岡山FCに期限付き移籍。ようやく出場機会を得るが、その年限りで移籍期間が満了すると、鹿島からも契約満了を言い渡された。

「自分にできること」を探し続けてきた久保田さん

 所属チームがなくなり、当初は「すぐ(新しい移籍先が)見つかるだろう」と考えていたが、トライアウト参加から約4ヵ月が経ってもオファーが来ない状況が続いた。「サッカーができるのが当たり前ではなくなった」。それまでサッカーに明け暮れてきたが、突然職を失い、気づけばボールを蹴る環境さえなくなっていた。

 その後松本山雅FCから声がかかり、ザスパクサツ群馬に移籍した21年にはJリーグ初ゴールもマーク。再び晴れ舞台に戻ったが、所属先が見つからない4ヵ月の間にはじめて、自らのセカンドキャリアを意識するようになった。「サッカーがなくなった時に何ができるんだろう。自分自身の価値を高めるためにも、他のことにチャレンジしないといけない」。4ヵ月間で自分のやりたいことを見つけることはできなかったが、その期間があったからこそ、視野が大きく広がった。

再びJリーグの舞台で活躍している久保田さん

 現在所属するチームには、障がい者の就労支援などに取り組むチームメイトがいる。また多々良さんや中澤さんと出会い、これまで知らなかった世界のことを知った。自分に何ができるか、すぐには分からなかった。それでも幼少期にプロサッカー選手と触れ合い、サッカー選手を目指した自身の体験を思い出し、Jリーガーが発信することの価値を再認識した。「僕たちは子どもに夢を与えられる存在。サッカーと農業を通して、子どもたちが夢を持つきっかけをつくりたい」と輝かしい未来を思い描いている。

 Refioの活動の中心に障がい者支援を据えたのは、もう一人のメンバーである中澤さんが自らも持つ障がいと向き合い続けてきたからだ。後編では、中澤さんの経験とそこから見えた障がい者支援の重要性を深掘りする。

(取材・文 川浪康太郎/写真提供 Refio)

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