「第5回世界身体障害者野球大会」”もうひとつのWBC”で世界一連覇を果たしたJAPAN戦士2日間の記録
9月9日〜10日、バンテリンドーム ナゴヤで「第5回身体障害者野球大会」が行われた。
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で激闘の末、世界一に輝いてから約5ヶ月、ここ名古屋の地で”ダブル世界一”を果たした。大会では2日間で4試合を戦った激闘を振り返る。
(取材協力:日本身体障害者野球連盟 写真 / 文:白石怜平、以降敬称略)
5つの国と地域が参加した世界大会
本大会は、「WORLD DREAM BASEBALL(以下、WDB)」と称される身体障害者野球の国際大会。
第1回WBCが開催された年と同じ2006年に始まり、別名”もうひとつのWBC”と呼ばれている。以降4年に一度開催され、22年は、新型コロナウイルスの感染拡大状況を踏まえ1年延期していた。
今回参加したのは、日本・韓国・台湾・アメリカ・プエルトリコの5チーム。総当たりのリーグ戦を行い、勝敗・引き分けに応じた点数で順位を決定する。(※順不同)
5回目の今回は初の名古屋での開催に
WDBにおいて日本は、第1回大会からホスト国を担ってきた。
第4回大会までは兵庫県で行われ、今回初めて名古屋での開催となった。日本代表は過去3回世界一に輝いており(14年の第3回大会はアメリカが優勝)、前回に続く連覇を目指した。
代表選手は全国38チーム、約1000人近くの中から選ばれた15名の選手。結団式そして第1回の代表合宿は1月に愛媛県松山市で行い、第2回は7月に福島県福島市で行われた。
指揮を執るのはNPO法人・日本身体障害者野球連盟理事長で、選手としてもWDBに2度出場経験(06・10年)もある山内啓一郎監督。経験・実績ともに豊富な磐石の体制で臨んだ。
韓国戦では最終回に波乱の展開に
日本の初戦は韓国戦。スタンドでは有志で応援団が結成され、中段にはこの日のためにつくられた選手の横断幕も多く掲げられた。
試合は初戦から波乱の展開となった。1回表、早速試合を動かしたのは3番・捕手でスタメン出場した地元「名古屋ビクトリー」所属の宮下拓也。
岐阜県出身の宮下は強肩強打の捕手として、中学時代は10校以上の高校から誘いを受けた程の実力者。しかし3年生の時、左すねに骨肉腫が見つかり足の骨を切断する手術を受けた。
その後、不屈の精神で高校2年時に選手として復帰。社会人で身体障害者野球に出会った。
前回に続き2回目のWDB出場となった宮下は初回の第一打席、3球目を振りぬくと打球は力強く左翼後方への大飛球に。打者代走を務めた名古屋でチームメイトの飼沼寛之が激走を見せホームインし、ランニング本塁打で先制点をもたらした。
一発で流れを呼んだ日本。大事な初戦の先発は日本の左のエース・藤川泰行。宮下と名古屋でも共にバッテリーを組むサウスポーは4回1失点と試合をつくった。
本大会では1試合で90分を超えたら次のイニングには入らないため、80分を経過した5回が最終回に。日本は8-1とリードして迎えたが、ここから予想だにしない展開が待ち受ける。
後続の投手陣が制球を乱し、点差を縮められてしまう。2点差に迫られ、かつ無死満塁という長打が出れば逆転サヨナラというピンチを迎えた。
この日レフトを守っていた主将の松元は戦況についてこう語る。
「まだ絶対的エース早嶋が残っていたので、どのタイミングで交代するのか?もし、遅いようならベンチに声を掛けなければと思ってました。外野だったこともあり、意外と冷静でした」
山内監督は松元の進言前に遊撃を守っていた右のエース・早嶋健太を登板させることを決断した。
「どんな場面でも選手全員にはいつでも出られるよう準備をしておくよう伝えていました。ここは彼しかいなかったです」
マウンドに上がった早嶋も監督の意図は伝わっていた。
「試合前、監督からは『どういう状況になるかわからないから準備しておいてほしい』と言われていたので、点差が縮まるごとに”登板あるかもしれないな”と心の準備はしていました。緊張は特になく、力まないようにと思っていました」
しかし、ここでさらに重い展開へとなっていく。
最初の打者の際、一塁へけん制球を投げると走者を挟んだ。二塁へ進塁すると日本ベンチがアピール。身体障害者野球では盗塁は禁止のため、走者は帰塁しなければならない。審判団が協議し、一塁走者はアウトに。
すると韓国側もここで抗議。両チームの監督やコーチ、審判が本塁付近に集まり試合が約20分中断した。
重苦しい雰囲気の中で試合は再開。その後1点差となり、二死三塁。両軍の緊張感がドーム全体を包んだ。フルカウントとなった6球目、早嶋の渾身のストレートが決まりゲームセット。8-7と辛くも逃げ切った。
プエルトリコ戦は投打がかみあい快勝
次戦はプエルトリコで先発は早嶋。前回大会MVPの右腕は前の試合の影響も感じさせず相手打線を4回まで6奪三振、無失点と圧巻の投球を披露し、スタンドを沸かせた。
打線も好投に応えた。2-1の6回には満塁のチャンスで1番の小寺伸吾が二塁打を放ち2点を追加、試合を決定づけた。
小寺は10年前、仕事中に右手首を切断する事故に遭う。12時間の懸命な手術を経て繋ぎ止めることができ、その後社会復帰に向け2年間リハビリに専念した。
明けた15年に、春秋の全国大会で計36回優勝の名門・神戸コスモスに入団。WDBには前回に続き、2大会連続の選出となった。
試合は早嶋が完投し、4−1で勝利。日本は連勝スタートで初日を終えた。試合後にはプエルトリコ先発のラズーが早嶋のところへ向かい、互いの健闘を讃えあった。
2日目も連勝し、全勝で世界一連覇
2日目の初戦は台湾戦、日本の打線が爆発した。初回にこの試合4番に入った小寺、そして地元選手である田中清成(名古屋)が連続タイムリーで2点を先制。
田中は12年前にバイク事故で左足のひざから下を切断し、義足でプレーする内野手。前回大会の優秀選手にも選ばれた34歳は、本大会では主に二塁を守り主軸も担った。3回には早嶋がランニング本塁打を放ちさらに勢いづけた。
4回には1イニングで一挙13点、合計18点を記録。2試合目の先発となった藤川が完封しコールド勝ちを収めた。
そしてアメリカ戦、勝利すれば世界一連覇が決まる。ナインからは余裕の表情を見せるどころか、初戦以上の緊張感すらも漂わせた。
約7ヶ月間、寒い日も暑い日も共に切磋琢磨し、結束力を高めてきたメンバーと共に行う最後の試合。ベンチ前で肩を組み合い、最後の一戦に向けて集中力を高めた。
日本は初回から試合の主導権を握る。1番・小寺がチャンスメークすると、3番・DHの藤川が中前にタイムリーで先制。さらに5番の早嶋も中前に弾き返し、2点を先制した。
早嶋は先天性で生まれつき左手首から先がない。打撃ではインパクトの瞬間、沿えた左手を押し込むように力を加えパワーを生み出している。
さらにエースとして大一番での先発マウンドに上がる。秋の全国大会では昨年まで連覇、今年春の大会でも優勝した岡山桃太郎でエースを務める男は大舞台が主戦場。
アメリカ打線も抑え込み、スコアボードに0を並べた。4−0で迎えた最終回、二死ながら満塁のピンチとなるも最後の打者を三振に斬って取りゲームセット。日本が全勝で世界一連覇を決めた。
早嶋が両手を突き上げ、遊撃からは松元が涙を見せながら真っ先に駆け寄った。ナインが続々とマウンドへと集まり喜びを表した。
松元は主将として先頭に立ち、発信等も積極的に行ってきた。勝利の瞬間は様々な想いが交錯した。
「マウンドに駆け寄った時は、ホッとしたというか、何か報われた気がして、只々本当に嬉しかった。試合終了の挨拶時にスタンドを見て、応援に来てくれた方々、多くのお世話になったみなさんと共に戦い、喜び合えたことに、凄く感動しました」
MVPは早嶋が2大会連続受賞、”長嶋茂雄賞”は小寺に
閉会式では表彰が行われ、投打で活躍した早嶋が2大会連続でMVPに輝いた。
「誰も2大会連続でMVPを獲った人はいなかったので、こだわりを持って準備してきました。実現できて自信にもなりました。それと同時に僕らの生きがいでもある障害者野球を支えてくださるスタッフ・ボランティア・応援していただいた人、障害者野球に携わっている方々へ感謝したい大会でした」
また、本大会の名誉顧問を務める長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督の名を冠した「長嶋茂雄賞」が個人賞として初めて制定された。
大会を通じて最も高打率をマークした選手に贈られるこの賞は小寺が受賞した。1番と4番を打ち、大会最多の6安打、打率も.667をマークした。
「本当に嬉しかったです。前回大会では(自身は)不完全燃焼でしたし、今回ももしかしたら代表には選ばれないのではと思っていた。打席の中で1球1球の集中をし積み重ねた結果です」
山内監督は、世界一連覇へと導いた心境を語った。
「大変嬉しく、日本代表の選手・コーチ・マネージャーを誇りに思います。全員が一丸となり試合に挑めた素晴らしいチームでした。日本代表に選んで間違いはなかったです」
今回盛り上がりを見せたWDBそして身体障害者野球。40年以上続いているこの野球はこれからも歴史は築かれていく。今後について改めて語った。
「SNSで積極的に発信することで障害者野球を知ってもらう貴重な機会となりましたが、まだまだ認知度を高めていく必要があると考えてます。引き続き、障害のある方やサポートする人との関わりが増えていけるよう我々も工夫していきたいです」
SNSでも「パラスポーツも日本の躍進が目覚ましい、今年の日本のスポーツシーンが素晴らしすぎる」「WBC、WBSCのU-18に続きおめでとうございます!」などと祝福の声が多く寄せられた。
日本の野球界そしてパラスポーツに新たな勲章が加わった2日間になった。
(おわり)