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【スケートボード 永原 悠路(前編)】ケガをして「自分を大切にすること=周りの人を大切にすること」だと気づいた

2005年6月10日生まれ。スノーボーダーとして活動をする父の影響で幼い頃からスケートボードは身近な存在だった。2021年6月に負った大腿骨開放骨折の大怪我を乗り越え、2022年4月日本オープンで初優勝。日本一に輝き復活。同月、千葉で開催されたアクションスポーツの国際競技会「X Games Chiba」で男子パーク種目・日本人初入賞。永原は初出場で日本人最高位の4位に入り一躍世界トップ選手の仲間入り。また昨年11月開催のマイナビ日本選手権でも男子パーク歴代最年少優勝を果たした。(取材/文:大楽聡詞、取材協力/写真:株式会社SFIDA)

生まれは長崎、父の背中を見てボードを始める

永原悠路(以下、永原)17歳。出生地は長野県白馬村になっているが、正確には長崎県。母親が里帰り出産で実家の長崎に帰省、そこで永原は生まれた。

家族構成は両親と長男である永原本人、中学2年生の長女、小学5年生の双子の次男と次女の6人家族。

「猫もいるので、常に賑やかでワチャワチャしています(笑)」

幼少期の頃、活発にスポーツに取り組むタイプではなかったが、スノーボーダーとして活動をする父親の影響もあり、2、3歳の頃からスノーボードやスケートボードのような横乗り系のスポーツが身近な存在。最初は移動手段としてハンドル付きのキックボードに乗っていたが、父親がスケートボードに乗っているのを見て真似して乗るようになったという。

「いきなり立って乗ることはできないので、座って乗ったり坂をすべったりしていました(苦笑)」

「東京オリンピック正式種目」になりスケートボードを競技として認識

2016年8月、リオで開催されたIOC国際オリンピック委員会の総会でスケートボードが承認され東京2020オリンピックの正式種目に決定した。

世間的にスケートボードが競技として認知され始めたのも「オリンピックが開催された時から」だと永原は感じている。スケートボードをスポーツとして、そしてスケーターをアスリートとして自覚したのも、オリンピック種目として正式に採用されてからだという。そこから永原の意識も変わった。

「それまでは、スケートボードは『遊びの道具』という感覚でした。今でも楽しむ気持ちは変わりません。好きなことを楽しんでやっている“究極の遊び”です」と少年の笑みを覗かせた。

2021年大腿骨開放骨折。そこから学んだこと

2021年、永原は「楽しい究極の遊び」であるスケートボードで大けがを負った。大腿骨開放骨折(骨折の際に皮膚が破れて骨折部が露出する症状)だ。

この時期、永原はスケートボードと向き合った。だが競技を辞めようとは一切思わなかった。

永原自身はスケートボードを続けるつもりでいたし、選手としても上を目指すつもりで「早く治すしかない」と考えていたが、父親は「もう悠路はスケートボードができないのではないか」と考えた。周囲の人達の思いとは裏腹に、「僕はスケートボードができないなんて1mmも感じなかった」と話す。

大腿骨は3ヶ月で生活に支障がないレベルに回復、スケートボード完全復帰まで半年かかった。

オリンピックを目指すアスリートに半年は、とてつもなく長い。しかし永原は「やってしまったことを後悔するよりも常にポジティブでいることが大切だ」と考え、周りを気にせず今できることを一つ一つ積み重ねていこうと前向きに取り組んだ。

なぜ永原は、こんなにも前向きに捉えることができたのか?

「大腿骨のケガをキッカケに、ものごとを前向きに捉えるようになりました。大会の成績に納得できなかったり練習で上手くいかなかったりと、思うようにいかないことが続くと視野が狭くなりがちです。そんな時、冷静になるようにしました。以前に比べてメンタル的には強くなったと思います」

もう一つ、ケガをキッカケに変わったことがある。

「周りの人の気持ちを理解することができました。それまでは本当に自分のことしか考えてなかった。その結果ケガにつながったのかもしれない…と思うようにもなりましたね。『自分を大切にすること=周りの人を大切にすること』につながった気がします。今はそのことを意識しながらスケートボードをしていますね」

永原はケガをして周りの人の気持ちを理解することができたと話す

永原悠路にとって「スケートボード」とは…

永原に「スケートボードの魅力を一言でいうと?」と投げかけてみた。すると力強い眼差しで「全てです。全てにリスペクトの気持ちがある」と言葉を返してくれた。

環境、自然、人、歴史、スケートボードと自分を取り巻く全てに対して尊敬と感謝の気持ちを持っているという。

「スケートボードがオリンピック競技になる前まで、世界に通用するようなスケートボードパークが日本には一つもありませんでした。でもオリンピック種目に決まってからメチャクチャ増えました。そういう環境を整えてくれた方々に感謝しています。スケートボードってまだまだ本当に人口が少ないけど、その中でも気の合う同世代と盛り上がって切磋琢磨できることはモチベーションになります」

競技が終わった後、選手同士でお互いを讃え合う場面をよく目にする。「なぜ相手を讃えるのか?」という質問に、永原はこう答えた。

「メダルを取ることが全てじゃない。大会に出るうえでメダルを取りに行く気持ちは大事ですけど、競技でのカッコ良さとか難易度の高いトリック(技)を決めたり、その場を盛り上げたり、スケーターとしてのカッコ良さをみんな讃え合って素直に喜び合うと思います」

ある意味、カッコ良さがメダルに繋がるのだという。

「簡単にいうとスケーターってフィギュアスケートと一緒で試合(大会)がお披露目会だと思うんです。サッカーとか野球っていうのはお披露目会というより戦いみたいな感じ。スケートボードは個人戦なので、今まで自分がやってきたことを一つの大会で披露する感じですね」

大会一つ一つが自分との戦い。メダルを取るか取らないかではなく、自分に勝つか勝たないかの勝負。結果はその後についてくるという考えなのだ。

「自分も練習で失敗し試行錯誤します。だから技を見ると対戦相手の努力が見えるんです。大会で他の選手が技を成功すると自分のことのように喜んじゃいますね(笑)。相手を理解し讃え合うのがスケートボーダー。ライバル心よりも尊敬の気持ちの方が強いです」としっかりした口調で言葉を紡いだ。
<後編へ続く>

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