ビリヤードのプロとして生きるとは?夫婦で三足の草鞋を履く丸岡プロ(前編)
横浜市鶴見区を通る国道1号線。交通量が多い道路からは店内の様子がうかがえる。階段を少し上ると店員がすぐに迎え入れてくれた。ここはアロウズビリヤード。ビリヤード場だ。
ビリヤードをやったことがある人は多いと思う。ビリヤードの競技人口は、日本で約4500万人と言われている。その中で「プロライセンス」を取得している人は僅か270人程度(参考:日本プロポケットビリヤード連盟関東支部)。
何回か遊んだことはあっても、プロビリヤード選手が身近にいる人はなかなかいない。プロビリヤード選手はどんな競技生活を送っているのだろうか。プロになるほどのビリヤードの魅力とはいったい何だろうか。
今回お話を聞くのは、ご夫婦でプロビリヤード選手として活躍されている丸岡良輔プロ、丸岡文子プロ(以下、良輔プロ、文子プロ)だ。二人にビリヤードの魅力や、プロ選手としてどんな生活を送っているのかを聞いた。
ビリヤードの魅力
「ビリヤードって不思議な魅力があるんですよ」
丸岡良輔プロが話し出す。「他のスポーツに例えると、サッカーのPK戦を常にしている感じですかね」
ショットを外したら、一気に相手にボールを沈められ負けてしまう。成功率90%以上を求められるスポーツは他にないそうだ。私生活でPK戦のようなピリピリした緊張感を感じる場面は少ない。
「日常生活でそんなに緊迫する場面ってないじゃないですか。ビリヤードではそれが身近にある。常連客にはこの緊迫感にはまっている人が多いんです」
これまで様々な職種の人とプレーしたことがある良輔プロ。その中にはロードレーサーもいた。ミスができない死と隣り合わせのロードレーサーは、こんなことを言ったそうだ。「ビリヤードの方がレースより緊張する」と。
将棋やゴルフのような戦略を考える魅力
「考えるスポーツ」であることもビリヤードの魅力だ。ビリヤードは考える時間が決まっていて、必ず自分の持ち時間がある。将棋やゴルフにも似ている要素が多い。「考える時間も楽しいんですよ」と良輔プロが教えてくれる。
例えばゴルフで考えると、「ゴルフは止まっている球を打ちます。緊張すると筋肉が固まってくるのでそれをしっかりほぐさなきゃいけない。ボールを沈めるまで頭の中でストーリーがあって、プレーを進めていくと途中でミスやずれが出るから修正して、バーディーに持っていく」
頭の中の戦略と修正作業があってゴールへ向かう。そんな考え方は似ていると話す。「ただ、ビリヤードは一度ミスをすると、相手に残りすべてのボールを沈められてしまいます。そのゲームを落としてしまうんです」。ショット成功率90%以上が求められる理由が見えてくる。
考えるだけではない。ビリヤードは運の要素もかなり大きいスポーツだ。文子プロが教えてくれた。「一球一球のプレーはゴルフやサッカーのPK戦に似ています。ただ、相手の球が転がって決まった配置からスタートする競技は中々ないと思います」。自分の戦略だけで収めることができないスポーツであり、運に左右されるのも魅力の一つだ。
誰とでもどこででも
「誰とでも仲良くなれるんですよ」。丸岡夫妻がビリヤードの魅力をたくさん語る中でも、特に印象的な言葉だった。旅先でもビリヤード場に行ってゲームをすれば、誰とでも仲良くなれる。
「海外でも現地の人と仲良くなれるんです。フィリピンはビリヤードが強い国なのですが、フィリピンでもいろんな人とゲームをして仲良くなりましたね。現地の有名人とプレーしたこともありますよ。プレー後、ご飯に誘ってくれましたね」と楽しそうに語ってくれる。
さらに、年齢や職業の壁がないのも魅力。「例えば、10代のやんちゃな男子と30代の公務員が一緒にゲームして仲良くなったり、まったく違う業種の会社員同士が知り合ったり、20代と60代がゲームしていることもありますよ」
「誰とでもどこででも友人ができる」と楽しそうにビリヤードの魅力を語る二人。二人がどんな歩みで今に至るか見ていきたい。
丸岡良輔プロの経歴
18歳からビリヤードを始めた良輔プロ。ビリヤードを始めてすぐ、アロウズビリヤードでアルバイトを始めた。「当時はレベルがプロになりたいと周囲に言えるレベルではなかった」。周りの同級生と同じように就職活動をし、企業から内定をもらう。
しかし、どうしてもビリヤードへの気持ちが消えない。当時のオーナーに相談すると、良輔プロの熱意をオーナーは買ってくれた。内定を断り、アロウズビリヤードに就職。周りの人々には強く反対された。
「それからは他の道は考えなかったですね」。オーナーは良輔プロの気持ちをよく理解してくれていた。「本当に前のオーナーには感謝しています。周囲に反対されたからこそ絶対成功して恩返しするんだと。それぐらいビリヤードに取り憑かれていました」
2014年、オーナーがビリヤードを引退するため、店舗経営を引き継いだ。良輔プロが34歳の時。「ずっとアロウズビリヤードで社員として働いていたので、引き継いだ後の店舗経営の構想は頭の中にありました」。店舗経営は軌道に乗っていく。
翌年2015年、35歳でプロ転向。プロ入りとしては遅い方になる。プロ入りの年齢は10代後半から40代。ただ、35歳はプロ選手の年齢では中間層に当たる。40代で選手としてのピークを迎える選手も多い。実力があれば遅いプロ入りでも活躍できるのがビリヤードの世界なのだ。
「生活の基盤をきちんと作ってからプロになりたかったんです。子育てもしていたので、プライベートの生活水準・ビリヤードの技術・店舗経営と、きちんと基盤を作ってからプロに成りたかった」
当時、アロウズビリヤードへの就職に反対していた人達も、店舗経営が落ち着いてきてからは応援してくれるようになった。
丸岡文子プロの経歴
文子プロがビリヤードを始めたのは22歳の頃。10代の頃はフットサルやスノーボードに夢中だった。ある日友人に誘われ、遊びでやったビリヤードのゲームでぼろぼろに負けてしまう。あまりに悔しくて「負けた翌日にキューを買ったんですよ」。そこからビリヤードの魅力にはまっていった。
22歳で競技開始だと遅く感じるが、ビリヤード選手のピークは10~20代ではない。心技一体のスポーツなので、メンタル・技術・知識が揃わないと勝てないスポーツなのだ。「競技開始が遅くても花が開くのが面白い」と文子プロは楽しそうに語る。
2018年、アマチュアのトップタイトルである女流球聖位を獲得。2019年、防衛に一度は成功するが、その後コロナ禍に突入。「あの時は経営が大変な時で、とてもいいプレーができる状態ではなかった」と2020年に女流球聖位の座を失う。
しかし、コロナ禍の2021年プロに転向。「ビリヤードから離れない決意はあったんです。ただ、アマチュアでは女流球聖位を取ったことで満足感もありました。今後も競技を続けるなら、何か越えなきゃいけない一線があると思ったんです。そこで土俵を変えようと、プロになる決意をしました」
丸岡夫妻に共通するのは「ビリヤード以外の道を考えていない」。競技だけで生活できる人がほとんどいないビリヤードだが、夫婦で生活のすべてをビリヤードに注ぎ込んでいる丸岡夫妻。
「それぐらい取り憑かれてしまったんですよね、ビリヤードの魅力に」。そこまでのビリヤードの魅力に驚く。インタビューに答える口調に迷いがないのも、この決意から来ているように感じる。
後編へ続く
(取材/文 やすださとみ 写真提供/丸岡良輔・文子)