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いつもと違う五輪が終わった。五輪の中心にいた人々が語った思い 前編:五輪開催に向けて関わる人々の思い

2021年11月、グロービス・スポーツマネジメントクラブ※では、オリンピックに深く関わったゲストをお招きして、東京五輪振り返り特別イベントを開催しました。

※グロービス経営大学院大学の公認クラブで、大学院の在校生・卒業生が所属。内外から講師を招き、勉強会や講演会を実施している。

コロナ禍で開催されたオリンピック。開催に対する批判が渦巻く中、オリンピックの中心で携わっていた人々は、当時何を思っていたのでしょうか。

登壇者に迎えたのは、

1人目は公益財団法人オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 広報局企画制作部長の小林住彦さん。

大会に関連する映像コンテンツやデジタルメディアの企画・制作を担当、オリンピック公式映画の制作責任者を務めています。主に担当したのは、日本に来ることのできない海外の人のために情報を流す業務。

2人目に、男子走高跳の日本代表として東京五輪に出場した衛藤昂さん。

味の素AGF所属。グロービス名古屋校在学中。走高跳にて日本選手権4回優勝。リオデジャネイロ五輪、東京五輪2大会に出場後、現役を引退。
競技仲間と陸上競技のイベント運営団体「一般社団法人Jump Festival」を設立し、アフター五輪における新しいスポーツの価値づくりに挑戦しています。

本記事では前編に五輪開催に向けて関わった人々の思いを、後編では東京五輪開催の意義を、お伝えしたいと思います。

有観客への思い

ーー 一都三県無観客での開催と2021年7月8日(五輪開幕は7月21日)に決定となりましたが、どのように思われましたか。

小林さん:

まず、2021年3月20日に海外からのお客様を受け入れないと決まりました。海外から100万人の観光客、その観光客からのSNS発信、投資の観点、東京・日本を世界に伝えるチャンスがなくなりました。
ここで、東京で五輪を開催する意義の大きな部分が失われたのではないかと思っています。

そのため、来られない海外のお客様に向け、デジタルメディアの多言語対応を行いました。世界各国から7言語対応できる方を集め、100人のチームを作りました。
メンバーは世界中から来ているので入国後の隔離など大変でしたが、少しでもオリンピックの様子が多くの方に伝わるよう情報発信しました。

東京五輪でデジタルメディアチームを統括していた小林さん

さらに、2021年7月8日には一都三県無観客が決まりました。海外からのお客様は来られないなら、せめて日本の人には生で見てほしかった。辛い決断だったがやむを得なかったと思います。

無観客と決めたのは7月になってからでした。ぎりぎりまで、収容人数の20%の観客や、50%の観客を入れる、観客数の上限を決めるなど、選択肢がいくつかあったかと思います。
何人までだったら大丈夫かと最後まで見極めようとしたのですが、残念ながら7月に入ってからのコロナの状況で、諦めざるを得なかったですね。

一部、学校で見てもらうことはできましたが、お客様に生でオリンピックを観戦してもらえなかったのは本当に残念なことでした。

-- 当時、サッカーのEUROが有観客で開催されていましたが、そういう情報をどのようにとらえて無観客と判断されたのでしょうか。(UEFA EURO2020:2021年6月11日から2021年7月11日にイギリスで開催)

小林さん:

今でこそ日本のワクチンは世界でも進んでいますけど、接種開始までに時間がかかり、だんだんと加速がつきました。これも日本の特徴で、加速までは遅いけど、いざ決めたら粛々と進める。進み具合の差が見えたのがちょうどEUROのときだったので、日本も早くスタートしていればという気持ちはありました。

ただ、だからといって日本の現状を考えると、有観客で行おうという気持ちにはとてもなれませんでした。

復興五輪への思い

-- 東京五輪は東日本大震災の復興五輪としての位置づけがありましたが、どのような思いでしたか。

小林さん:

海外メディアに東北の現状を見てもらうことが大切だと思っていました。東北の現状が正確に伝わっていない国・メディアもあるかもしれないという思いから、現状を見てもらいたい。今も入れない場所はあるけど、そうじゃない場所もあるよと。

本当の姿を見てもらいたいという強い思いがありました。

実際2019年夏には、東北3県を回るツアーをメディア向けに組みました。復興したアピールではなく、今のありのままの状況を知ってもらうきっかけになったかと思います。同じように、オリンピックでも被災地の現状を世界に発信するきっかけにしたかったところです。

残念ながら、直接見てもらうという機会は無くなってしまいましたが、開会式前に福島県あづま球場でソフトボールの試合が行われ、実質的なオリンピックの開会を福島から世界に告げられたのはよかったですね。

スタッフ・ボランティアの心情

- - 1年間の延期や世の中からの批判を受けて、組織委員会の方のモチベーションはどのような状態だったのですか。また、どのようにしてモチベーションを保ち続けたのでしょうか。

小林さん:

そこは本当に難しかったですね。世の中から批判されると、批判されるもののために僕らはこんなに苦労しているのかという思いになってしまうんですよね。

個々のモチベーションを持っていくのが本当に難しく、その壁にぶち当たって、もうこれ以上できませんという方がいたのも事実です。しかし、五輪が完全になくなったことを考えた時に、この1年をコロナで暗い1年にしていいのか、それがいいのかという思いですよね。残った人たちはそういう思いでやっていたのではないかと思います。

- - ボランティアの方々の状況はどうだったのでしょうか。

小林さん:

ボランティアの方も、大会前に9万人いたところから1万人辞退したというニュースが流れましたけど、逆にこの状況で1万人しか辞めなかったとも言えますよね。日本の良さがボランティア活動に表れていたと思います。

不安な1年を待つ選手の思い

- - 選手はどのような思いで開催を迎えたのでしょうか。1年の延期をどのような気持ちで待っていましたか。

衛藤さん:

個人的な話になりますが、身体的なコンディションに関しては、2020年1月頃に肉離れを起こしたので、無理しないで済んだのは良かったです。

走高跳にて日本選手権4回優勝した衛藤さん

体調のピークの持っていき方としては、オリンピックの出場資格を得るためには(国際大会で上位に入ることでワールドランキングの)ポイントを獲得する必要があるので、毎年、大きな勝負がありました。
なので、オリンピックだからピークを持っていくという考え方ではありませんでした。

ただ、精神的には、現役最後の冬と思って過ごした冬を、もう一度過ごさなければならないのが苦しかったです。

後編に続く

(取材/文・やすだ さとみ)

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