一匹オオカミ(マーベリックス)たちが熊本で始めた挑戦とは―九州熊本マーベリックスとくまもとアメフトフェス―
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カレッジスポーツの花形ともいえるアメリカンフットボール。日本でも大学生を中心にプレーしている人が多く、社会人でもプロリーグにあたるXリーグが1996年から存在している。
そんな日本のアメフト界に、新しい挑戦をしているチームがある。それが九州熊本マーベリックス(以下、マーベリックスと記載)である。
マーベリックスは、くまもとアメフトフェスというスポーツイベントを熊本で自主開催しており、昨年は台湾のチームとも対戦するなど、独自の方法で活動の範囲を広げているチームである。
マーベリックスとはどのようなチームなのだろうか。そして、くまもとアメフトフェスとはどのようなイベントなのだろうか。
今回はマーベリックスの山崎友裕ゼネラルマネージャー・小山翔平キャプテン・吉村竜太朗選手・森紘宇チームディレクターの4人に話を聞いた。
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「練習する選手がいる限り、チームの看板は下ろさない。」
マーベリックスは、どのような経緯で熊本に結成されたのでしょうか。
山崎友裕ゼネラルマネージャー(以下、敬称略)「マーベリックスが創立したのは1994年で、今年で31年目を迎えます。
私は高校生の時、部活を引退した後、当時熊本に存在したチームでアメフトを始め、卒業後上京しました。大学生と社会人の10年間は、東京でプレーをしていました。30歳になる前にUターンで熊本に戻り、当時地元にあった唯一のアメフトチームに参加することにしましたが、そのチームは練習をせずに試合だけ行うスタイルでした。当時の環境としては仕方なかったのかもしれません。でも、もっとアメフトをやりたかった私は常々、この『アメフト不毛の地』熊本には、チームとしてのプライドを持ち、ちゃんと練習するチームが必要だと感じていました。
でも、そのころ熊本のアメフトのチームはそのチーム1つしかなかったので、最初は私もそのチームを改革しようとしましたが、1年後には友人と共にそのチームを退団します。
そして、あえて新しいチームを結成したというのがマーベリックスの始まりです。そもそも熊本でアメフトが盛んになるためにはもう1チーム必要だ、という考えが当時の自分たちの原動力でした。」
かつて、マーベリックスは選手不足のため、消滅危機にあったとも伺いました。
山崎「私がマーベリックスを創立した約30年前には、九州に大学のアメフトチームがたくさんありましたし、社会人のチームも15ほどありました。
でも、大学や大学生の数も減り、大学のアメフトチームの数が減り、社会人のチームの数も減りました。運よく存続していたチームも、部員不足で活発な活動ができなくなったんです。マーベリックスもその例外ではありませんでした。
チームは人数不足に陥り、練習も試合もまともにできない時期が続きました。その頃選手たちは活動を続ける方法を模索していて、同じような状況に悩んでいた福岡の社会人チームと合併をしてマーベアーズというチームを作ることとなりました。合併チームでしたが、コミュニケーションがうまくいっていたおかげもあり、九州の社会人リーグでも優勝できるようになりました。
当時私は熊本のアメフト協会の仕事をメインでしていまして、マーベリックスから少し離れていた状況でした。でも、マーベアーズが優勝するようになったころに、もう合併チームとしてではなく、一つのチームとして活動しないか、チーム名を変えてもいいよ、とチーム側に提案しました。そうしたら、選手側から熊本マーベリックスというチーム名で復活したいという要望があり、私も改めて本格的にマーベリックスにかかわるようになりました。
私はマーベリックスを作った30年前、『練習をする選手が一人でも存在する限り、マーベリックスの看板は下ろさない』とその当時の選手たちに常日頃から話をしていました。継続こそ大切だ、と。その言葉を大事にし実践してきてくれた選手たちが、厳しい時期にも頑張ってくれたから、いろいろと形は変われどもいままでチームが存続することができたのではないかと思います。OBとしてもチームの歴史を繋いでくれた当時の選手やスタッフに、心から感謝しています。」
長い間アメフトに関わってきた山崎GMにとって、アメフトの魅力とはどのようなところにあると思われますか。
山崎「アメフトは組織として動くことが勝利につながるということが、魅力の一つです。また、アメリカでは、アメフトのチームというのはスポーツ以外の面でも地元に根差した活動を積極的に行っているチームが多いです。そうしたところから、大学やクラブという枠を超えて、スポーツとしてだけでなく娯楽やエンターテイメントとして地元の人が楽しめるようになっていることも、魅力の一つだと思います。
とはいえ、今の日本で、アメフトの試合が地元のエンターテイメントになっているという場所は、ほとんど存在していないのが実情です。
九州熊本マーベリックスは、その最初の例外になろうとしている最中です。チーム内には九州出身の選手と九州以外の出身以外の選手がだいたい半分くらいずついますが、どの選手も様々な活動を通して、九州や熊本にマーベリックスの存在とアメフトの楽しさを伝えようとしてくれています。」
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さまざまな人材が必要とされるアメフトのチーム
吉村さん、小山さん、森さんは現役の熊本マーベリックスの選手でいらっしゃいますが、競技歴を聞かせいただけますか。
吉村竜太朗選手(以下、敬称略)「大阪の大学に進学したのをきっかけにアメフトを始めました。大学卒業後はXリーグの富士通フロンティアーズに所属して日本一を経験し、今マーベリックスでプレーしています。」
小山翔平キャプテン(以下、敬称略)「私も大阪の大学に進学したときから、アメフトを始めました。約12年の競技歴になります。」
森紘宇選手(以下、敬称略)「私は小山キャプテンと同い年で、九州大学に進学したときに、アメフトを始めました。今年で12年目になります。」
では、現役選手の皆さんが考えるアメフトの魅力とは、どのような点でしょうか。
小山「得意なことがひとつでもあれば活躍できる、ということがこのスポーツの魅力だと思っています。例えば、私の場合、自分が持っているものが体の大きさやパワーだったりするので、それを生かせるポジションに特化して、ずっとプレーをしています。
私はボールを投げたり、ボールを持って走ったりすることは、得意ではありません。でも、アメフトのチームの中にはパワーがある選手が必要とされているポジションが必ずあって、自分のような選手はそこで輝くことができます。いわば、個を大事にして輝かせてくれるのが、アメフトの良さだと思っています。」
森「やはり、いろいろなポジションがあって、様々な人が集まってプレーすることで試合が進むところにあると思います。私も始めたころは体重が軽くて走ることが中心のポジションだったのですが、アメフトを続けているうちに体が大きくなったので、それに従っていろいろなポジションを経験しました。私みたいな選手はアメフト界の中では少数派で、ほとんどの選手は一つのポジションを長くやって、そのポジションの専門家となっていくんです。そうした意味では、私は例外的かもしれませんが、アメフトのチームにはいろいろタイプの人材が必要だという例になるかと思います。」
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自由なアイデアで開催できる「くまもとアメフトフェス」
ずばり、くまもとアメフトフェスとは何でしょうか。
山崎「熊本の皆さんに、生のアメフトを見ていただくことが最大の目的のイベントです。くまもとアメフトフェスはマーベリックスによる自主開催です。そのため、試合相手をリーグやカテゴリー、最近は国籍の壁を越えて自由に選ぶことができますし、イベントの運営自体も自分たちが考えたアイデアをどんどん実現することができます。
とはいえ、なかなか熊本の方にスポーツイベントとして認知していただくには時間がかかったのも事実です。この数年、マーベリックス自体の実力も付いてきたこと、そして選手たちもチーム以外でもいろいろな活動をすることが増えたこともあり、だんだんとくまもとアメフトフェスを年に一度のスポーツイベントとして知っている方も増えてきました。
多くの皆様にご協力をお願いすることになるので、アメフトをプレーしているだけではお会いできない様々な方面の方とお会いする機会も多いです。しかし、そうした機会は選手たちにとって人間的な成長につながりますし、熊本の方にマーベリックスの選手の顔を直に知っていただける機会になるので、チームにとっても非常に良いことなのだと思います。」
過去に開催されたくまもとアメフトフェスの思い出をお聞かせください。
山崎「くまもとアメフトフェスは、かつて別の名前で開催していたのですが、その第1回開催のときに、関西学院大学のアメフト部監督だった武田健1さんが来てくださったことがあり、武田さんがコーチングのセミナーを開いてくださったんです。その時にはアメフトとは直接かかわりのない人も大勢駆けつけて、セミナーに参加していました。その後、武田さんはその年のイベントの試合の実況までしてくださったんです。我々のようなアメフトに関わっている人間にとって、武田さんは神様のような存在の方なので、そんな方が熊本で自分たちが主催したイベントに来ていただいていることが本当にうれしかったですね。」
小山「一番最初に出場したときのことが、一番思い出に残っています。というのも、そのころ私は鹿児島のチームでプレーしていたのですが、マーベリックスのイベントにその鹿児島のチームから私一人だけが招待されて、プレーをすることになりました。そのゲーム中にソロタックルを私が決めたとき、場内で自分の名前が本当に何度もアナウンスされたことがあって、そのことが非常に印象に残っています。それまで、あんなに注目されたことはありませんでしたから。実はその映像が今でもYoutube上に残っています。」
選手の皆さんは、いままで何回くらい、このイベントに出場されていますか。
吉村「去年と一昨年の2回です。」
小山「3回出場しています。」
森「私は多分6~7回くらいは出場していると思います。ポジションも違うところを2か所くらい経験しています。」
選手から見たこのイベントの最大の魅力や楽しみとは、どのようなものでしょうか。
小山「その昔、九州でアメフトの試合があるときは、必ず福岡で開催されていたんです。だから、熊本の方々に、生でアメフトの試合を見ていただく機会がほとんどなかったんですね。でもこのイベントでは、アメフトの試合を生で見ていただけます。自分の友人や職場の方々に、自分の出ている試合を見てもらえる唯一の機会です。だから、アメフトを知っていただくには、一番よいイベントなのかな、と思っています。」
森「自主運営なので、対戦相手を自由に選べることがあると思います。通常のリーグ戦だと、対戦相手はどうしても限られてしまいます。くまもとアメフトフェスだと、リーグやカテゴリーの枠を取っ払って試合ができるので、対戦する私たちも非常に楽しみです。また、多分、この日のゲームを見にくるお客さんもどんな相手なのだろうと毎年楽しみにしているのではないかと思います。」
吉村「私はくまもとアメフトフェスの一番の魅力は、マーベリックスというチームやアメフトの魅力を、自由な表現で熊本の皆さんに直接伝えることができる機会であることだと思います。
もちろん、自由な分だけ、準備は大変です。例えば、お金がかかるイベントであれば協賛を集めることも自分たちでやりますし、ハーフタイムショーに呼んだら会場が楽しくなるようなグループがあれば、自分たちで交渉に行くことになります。でも、たくさんの熊本の人がアメフトの試合を来てもらうにはどうしたらよいか、ということに関して本当に自由にアイデアを出して、そのアイデアを実行するために自分たちが動けるというのは、本当にワクワクすることなんです。
こうしたことを、例えば東京や大阪でやるのは、かなり難しいと思います。
例えば、去年のこのイベントの対戦相手は、台湾のチームでした。そのきっかけというのも、昨年マーベリックスに台湾人の選手が入って、彼の持っているご縁をたどったら、台湾のアメフトチームに出会うことができたんです。ちなみに、昨年の台湾チームとの対戦では、約500人の観客が集まりました。
アメフトでは、日本代表選手にならない限り、海外チームと対戦するチャンスなんてほとんどありません。それを熊本のチームが達成できたということは、実はけっこうすごいことなんじゃないかと、私は考えています。
そして、今年の対戦相手は韓国のチームです。僕らの中では、アジアリーグみたいな試合ができたらいいね、と話していたことはありますが、それが実現することなんてもっとずっと先のことだと思っていました。でも、その足掛かりになりそうなステップを去年・今年と踏むことができています。そうしたことも、自由にチャレンジできる環境が生み出したものなのかもしれませんね。」
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くまもとアメフトフェスの未来は
最後の質問になります。皆さんは未来のくまもとアメフトフェスの理想像として、どのようなイメージを描いていますか。
山崎「九州・熊本の地の利を生かし、アジアの他の国とも連携して、アジア全体でアメフトが盛んになるきっかけになってほしいです。そのためには、このイベントが日本国内だけではなく、アジアの国でもおもしろいイベントとして認知されるようになる必要があると思います。」
吉村「今、東京や大阪のアメフトファンやアメフトの関係者で熊本のアメフト界を知っている人は、ほとんどいないと思います。だからこそ、くまもとアメフトフェスで観客が1000人以上入ったら、他の地域の人は『熊本のアメフトの試合で、何が起きているんだ?』とびっくりするでしょうね。
そして、『くまもとアメフトフェスは観客がたくさん来るらしいぞ』という評判が立てば、もしかしたらトップリーグのチームや海外のチーム出場のオファーがあるかもしれません。
世界的に見ても、アメフト界は情報が回るスピードがものすごく早いんです。だからこそ、日本の熊本で面白いイベントがあるという評判が立てば、すぐに多くの人に認知されるのではないか、と期待しています。」
小山「昨年から外国チームとも対戦するようになり、少しずつイベントの規模感が大きくなっていますが、こうしたことが九州のアメフト界を盛り上げる一端になってくれたらうれしいです。
また、くまもとアメフトフェスのようなイベントを開催してみたい、と他の地域のアメフト界の人から目標にとなる存在になれれば、うれしいですね。」
森「私は、くまもとアメフトフェスが、会場となる熊本の水前寺競技場の近辺に住む方々にとって、欠かせない地域のお祭りになれたらいいな、と思っているんです。
地域のお祭りって、その地域だけでやっているものなのに、たくさんの人が集まります。そんな感じのものに、アメフトというスポーツを押し上げたいと思っているんです。
アメフトを地域の人のものにしたいと思っていますし、年に一度のお祭りには、アメフトの試合を見に行くのが当然のことになってほしいです。」
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自主開催のアドバンテージを生かし、くまもとアメフトフェスをアメフトの試合としてだけでなく、熊本における毎年恒例のスポーツイベントにまで発展させようと奮闘している、九州熊本マーベリックス。
一匹狼と名付けられたこのチームは、熊本から日本のアメフト界に、新しい風を起こそうとしている。
そのためには、今までのアメフト界の常識を超えて、チームが多くの人から愛される必要があることを、マーベリックスは理解しているのである。
マーベリックスの挑戦は、チーム創設30年を超えた今、新たな段階に入ったといえるだろう。
武田健氏 関西学院大学名誉教授。関西学院大学在学中にはアメフト部(ファイターズ)でクオーターバックとしてプレーし、甲子園ボウルを2度優勝。その後アメリカに留学し心理学を学ぶ一方で、最先端のコーチ理論を学ぶ。日本帰国後は関西学院大学で心理学を教えながら、アメフト部の監督に就任。監督として甲子園ボウル5連覇を経験。2016年に日本アメリカンフットボールの殿堂入りを果たす。
(インタビュー・文 對馬由佳理) (写真提供 九州熊本マーベリックス)