プロテニスプレーヤー山口藍のプロジェクトを追う。地元支援者が感じた応援の意義
「藍さんが支援プロジェクトに挑戦したことは、大きな経験と財産になると思います」
そう語るのは、プロテニスプレーヤーの山口藍選手を支援するDiva project代表の中村佳代氏。
Diva projectは山口選手の地元・熊本県に拠点を置く化粧品会社のコミュニティ。その代表を務める中村氏は、山口選手が小さかったころから注目し、応援してきたという。
個人的な関わりとは別に、今回のプロジェクトを通して支援すると決めた理由は何だったのか。小さいころの山口選手のエピソードも交えながら、当時からの思いを語ってもらった。
長年応援してきたからこそ「目に見える形での支援」がしたい
――中村さんは、今回のプロジェクト以前から山口選手を知っていたとのこと。どのような経緯だったのかを教えてください。
中村氏「もう15年ほど前になりますが、藍さんのお母さまが、お客さまとして来店されたのがきっかけです。エステの施術中の会話で、娘さんがテニスをしているというお話を聞きました」
――山口選手は現在21歳。15年ほど前というと小学校に入ったころで、まだかなり幼いときですね。
中村氏「はい。実は私の息子が藍さんと同い年で、お話を聞いてとても親近感がわきました。お互いの共通の話題として、子どもの話をするようになったんです」
――具体的にはどのようなお話だったのでしょうか。
中村氏「山口家はテニス一家で、お母さまもテニスをしていました。藍さんは小学校のときからテニススクールに通っていたのですが、それが終わってからも、母親と二人で夜まで練習していたそうです。小学生のときに、すでにプロになりたいという目標を持っていて、すごいなあと素直に感動したのを覚えています」
――子どものころから知っている山口選手が、実際にプロになったと聞いたときはどう思いましたか。
中村氏「もちろんうれしかったです。プロになる夢が叶ったんだなあと。ちょっと厚かましいかもしれませんが、お母さまを通してたくさんお話をうかがっていたので、私も藍さんの成長を見守ってきたように感じています」
――山口選手が支援プロジェクトへ挑戦することを知って、どう思いましたか。
中村氏「子どものころからご縁のあった方ですので、ぜひ支援させていただきたいと思いました。また、私が代表を務めるDiva projectのコンセプト『輝く女性を応援する』にも通ずるところがあり、少しでもお力になれたらと」
――中村さんにとって、山口選手のプロジェクトはどういう意味を持つのでしょうか。
中村氏「藍さんのことはずっと応援してきたのですが『応援してます』とか『頑張ってね』とか、気持ちしか伝えられないのがもどかしくもありました。ですので、このプロジェクトを通じて、微力ながらも直接的な支援ができたことを、とてもうれしく思っています」
間近で見たひたむきさに応援したい気持ちが強く
――山口選手のことはお母さまから聞いていたとのことですが、山口選手と直接お会いになったことはありますか。
中村氏「小学生ぐらいのころ、お母さまと一緒にサロンにいらしたことがあります。お母さまの施術の待ち時間中に勉強していたのが印象的でした。学校とテニスに明け暮れる毎日でしたので、少しの間も惜しんで勉強の時間にあてていたんでしょうね」
――山口選手は、中学卒業前に親元を離れ、群馬県の高崎テニスクラブに通い始めています。同い年のお子さんを持つ母親として、このことを聞いたときはどう思いましたか。
中村氏「親御さんとしては、本当はもう少し長く、そばで見守っていたかっただろうなと。しかし、藍さんが本気でプロを目指していることは何度も聞いていましたし、お母さまも、やはり藍さんの気持ちをいちばん大事にしてあげたかったのだと思います」
――中村さんご自身は、熊本を離れてからの山口選手と会う機会はあったのでしょうか。
中村氏「藍さんが高校生のとき、熊本県の『T1(ティーワン)パーク』という雑誌の取材があり、その様子を見に行かせてもらいました。藍さんの活動拠点は群馬県でしたが、このときは熊本県まで来て取材を受けていたんです」
――そのときの姿を見てどう思いましたか。
中村氏「取材されるほどの選手になったことが、本当にすごいなと。そして、プロを目指して頑張っている気持ちもすごく伝わり、ますます応援したくなりました」
献身的にサポートする山口選手のお母さまも応援したい
――子どものころからずっと関わりを持っていらっしゃったわけですが、これまでに「テニスがつらくなった」「辞めたくなった」という話をご本人かお母さまから聞かれたことはありますか。
中村氏「そういう話は聞いたことがないですね。もちろん、テニスを続ける中でつらくなることは当然あったと思います。しかし、お母さま自身もテニス経験があり、メンタル面でのサポートもしっかりされていたようで。子どものころから精神面も鍛えられていたんだと思います」
――メンタル面のサポートとは、具体的にどのような方法でされていたのかご存じですか。
中村氏「何かうまくいかないことがあったとき、責めたりすぐに指示を出したりするのではなく、本人に考えさせていたそうです。なぜそうなったのか、どうすれば次はうまくいくのか、子ども自身に気づかせることが大事なのだと」
――なるほど。それはテニス以外でも応用できそうですね。
中村氏「はい。私の息子は野球をやっていたのですが、やはり思うようにいかないことも多くて。そんなとき、どう声をかけてよいのかわかりませんでした。でも、藍さんのお母さまの言葉に、私自身も気づきをもらえたんです」
――山口選手がプロになった3年前(18歳)、2020年は新型コロナウィルスの世界的な流行により、試合ができない状態が続いていました。そのときのことはお聞きになりましたか。
中村氏「プロの選手としてこれからというときにコロナ禍で活動に制限がかかってしまい、つらい時期だったと思います。でも『今できることをやる』という姿勢は変わっていないことを聞いて、前向きな藍さんらしいなと思いました」
――今年からは海外の試合にもたくさん出られるようになりました。そのことで、山口選手に何か変化があったのか、お母さまから聞かれたことはありますか。
中村氏「いろいろな選手と対戦することで、刺激をたくさんもらっているようです。プレースタイルや考え方、フォームなどを参考にし、そこから自分のスタイルを見つけられることもあるそうです」
――実際にテニスをされているお母さまだからこそ、気づき、理解できるところですね。
中村氏「本当にそうですね。お母さまの理解と手厚いサポートが、藍さんにはとても助けになっていると思います。私は、藍さんのお母さまも含めて支援させてもらっている、といってもよいぐらいです」
夢に向かって挑戦し続ける山口選手を今後も支援していく
――今回プロジェクトを実施したことで、山口選手はどう変わったと思いますか。
中村氏「新しいスポンサーへの責任が生じることで、プロとしての自覚が増していると思います。プロジェクトを開始するにあたり、今の思いを言語化する作業が大変だったそうなのですが、自分の心の中を整理でき、あらためてテニスへの思いを強く感じられたと言っていました」
――支援者を得られただけではなく、プロジェクトに挑戦したこと自体が貴重な経験になったのですね。
中村氏「はい。選手としてもひとりの人間としても、ひとまわり成長できたのではないかと思います。関わってくださったすべての方たちへ、感謝の気持ちを強く持っているとも聞きました。何年か後に『あのとき大きなプロジェクトに挑戦したからこそ今がある』と思えるような選手になっていてくれたら、うれしいですね」
山口選手の最終目標は「世界中の子どもたちに希望を与えること」。今後も支援を続けたいという中村氏は、山口選手の挑戦を見守りながら、その夢が叶うときを楽しみにしている。
(取材・文/三葉紗代)