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大学3年間リーグ戦未出場も4年目の春に「最多安打」 東北学院大・山中海渡の心は折れなかった

 今春の仙台六大学野球リーグ戦、元巨人、西武の星孝典氏を新監督に迎えた東北学院大は、仙台大から8季ぶりの勝利を挙げるなど確かな進化を示した。星監督は昨年までの実績を考慮しない、横一線のレギュラー争いを促進。リーグ戦期間中もオーダーを固定せず、状況に応じて様々な選手を起用したことで、眠っていた才能を開花させた選手が複数現れた。

 その象徴とも言える選手が、「最多安打」に輝いた右の強打者・山中海渡(4年=東北学院榴ヶ岡)だ。3年次までリーグ戦未出場だった男は、大学ラストイヤーの春にブレイクを果たした。

開幕戦4安打の勢いそのままに飛躍

 今春の東北大1回戦。星新体制での初陣に、山中は「3番・指名打者」でスタメン出場した。初回、無死二、三塁と絶好のチャンスで打席が回ってくる。これが大学4年目にしてリーグ戦初打席。9球粘った末、フルカウントからスライダーを流し打ちして先制の2点適時右前打とした。結局この試合は4回、8回にも適時打を放つなど4安打4打点と打ちまくり、最高のスタートを切った。

打席に立つ山中

 その後も東北工業大1回戦で2度目の1試合4安打をマークするなど、コンスタントに安打を積み重ねた。主に3番に座り、出場した10試合中9試合で安打を記録。打率.395はリーグ2位、17安打はリーグ1位の数字だった。仙台六大学には「最多安打」の部門がないためタイトル獲得とはならなかったものの、好打者ぶりを示すには十分すぎる成績を残した。

 本人は「正直、こんなにヒットを打てるとは思っていなかった」と驚きつつ、「開幕戦で4安打したことが気持ちの面で大きくて、そのあと2か月通して自分のスイングをできたのがよかった」とブレイクの要因を分析した。練習では長打力を伸ばす打撃に取り組む一方、試合では力任せにバットを振るのではなくリラックスして打席に入ることを意識している。

プレッシャーに打ち勝ち投打で成長

 山中は山梨県出身。小学3年生の頃に野球を始めるも、厳しい練習についていけず約3か月でユニホームを脱いだ。翌年、仙台市に引っ越したのを機に野球を再開。野球は一度「嫌いになった」というが、当時の所属チームの「サインは『打て』と『走れ』のみ」との方針が性に合い、徐々に野球にのめり込むようになった。

安打を放ち、塁上で喜ぶ山中(左)

 高校は県内の実力校・東北学院榴ヶ岡に進学。1年次から4番を打ち、投手としても活躍した。1年次は4番のプレッシャーから体重が激減。「プレッシャーは感じていないつもりだったけど、体が勝手に感じて食べる量が減っていた」と当時を振り返る。危機感を覚え、高校入学時の体重まで戻したのち増量、維持を行った結果、長打力と球速がアップした。

 3年夏も投打で宮城大会4強入りに貢献。準決勝で仙台育英に大敗を喫し甲子園には届かなかったものの、公式戦に出場し続けた3年間に悔いは残らなかった。そして、大学でも硬式野球を継続することに迷いはなかった。

大学で挫折、それでも消えなかった自信

 直球が最速143キロまで伸びていたこともあり、東北学院大には投手に専念するつもりで進学した。しかし肩を痛め、1年目の9月に投手を断念することに。野手に転向してからは、きっかけをつかめない日々が続いた。

 「つまらないな」「どうせ(試合に)出られないしな」。高校の3年間はすべての公式戦でレギュラーを張っていた山中にとって、アピールの機会が巡ってこないこと、試合に出場できないことは苦痛でしかなかった。いら立ちが募り、マイナスの感情ばかり湧き出て練習に身が入らない日も少なくなかったという。

思い切りのいい打撃を披露する山中

 それでも、「スイングをしていればスイングする力はつく」との考えで、バットを振ることだけは欠かさず続けた。またリーグ戦をスタンドから観戦する中で、「俺の方が打てる」との自信は常に胸の内に秘めていた。そんな矢先、今年2月に星監督が就任。最初のミーティングで「(選手を)フラットに見る」との話があり、最終学年を迎える直前だったことも相まって折れかけていた心に火がついた。オープン戦で結果を残し開幕3番の座を勝ち取ると、最後まで好調を維持してみせた。

有終の美飾って大学卒業後も野球を

 「チームとしては仙台大だけでなく東北福祉大にも勝って優勝したい。個人としてはホームランを打って、春は取れなかったタイトルを取りたい」。大学ラストシーズンの目標は明確だ。春は指名打者での出場が主だったが、現在は三塁の守備練習にも精力的に取り組んでいる。

練習で汗を流す山中

 何度も嫌いになった野球。今では大学卒業後もどんなかたちであれ競技を続けたいと望むほど、野球を好きになっている。最後にもうひと暴れして、次のステップへ。山中の秋が今から楽しみだ。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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