仙台大“黄金世代”の集大成、ここにあり 「4」パフォーマンスに見た「人のため」の野球
仙台六大学野球秋季リーグ戦は、東北福祉大の3季ぶり76度目の優勝で幕を閉じた。全日本大学野球選手権で8強入りし、3季連続優勝を狙った仙台大はライバルの後塵を拝することになったが、主将でドラフト候補の辻本倫太郎内野手(4年=北海)をはじめとする今年の4年生は、“黄金世代”と呼ぶにふさわしい世代だった。
そのうちの一人である川島優(まさる)外野手(4年=山村学園)は今春、リーグ記録タイの20盗塁を決めて盗塁王に輝き、首位打者のタイトルも獲得した。秋も攻撃のキーマンとして期待される中、リーグ戦開幕の約2週間前に左手首を骨折。チームは不動のリードオフマンを欠く厳しいスタートを切った。
最終節の東北福祉大戦はスタメン出場こそならなかったものの、代走で2試合ともに途中出場。大一番で、最後のピースがそろった。川島の努力、チームメイトの思いがかたちになった復活劇だった。
スタンドで気づいた「4」パフォーマンス、こみ上げた思い
シーズンも佳境に入った9月下旬。第5節の東北学院大戦を、川島はスタンドから応援していた。仲間のため、全力で声援を送っていると、仙台大の選手たちが安打を放った際などに、川島に向けて指で数字の「4」をつくっていることに気づいた。「4」は川島の背番号だ。
このパフォーマンスを考案したのは主将の辻本。「『早く帰って来いよ』という意味を込めて、優に向かってみんなでやろうと提案しました。優がうれしそうにしていてよかったです」。辻本はそう言って無邪気に笑った。
「びっくりして、泣きそうになりました。胸が苦しくもなりました」。何も聞かされていなかった川島は、仲間がつくる「4」を見て胸にこみ上げてくるものがあった。
「試合に出たくて出たくて、仕方がなかった。どうしたら早く戻れるか、主治医や家族と毎日のように話していました。でも、不完全な状態で試合に出てもチームに迷惑をかけてしまう。自分は神宮(明治神宮大会)を見据えて、リーグ戦はみんなに任せよう、慎重に治そう、と気持ちを切り替えました」
リーグ戦序盤は地元の埼玉に帰って通院していたため、練習に参加することさえできなかった。そんな中、「みんなの気持ちが少しでも上がるように」と、1年生の頃からの思い出をまとめた5分程のモチベーション動画を作成した。これまで通りプレーで貢献することは難しくとも、チームの力になりたい気持ちは変わらなかった。
復帰に慎重を期していた川島だが、パフォーマンスを目にしてグラウンドに立ちたい思いが再燃した。「最後、間に合ってくれ」。最終節、優勝のかかる東北福祉大戦での復帰を目指し、懸命に調整した。
復帰即、盗塁&好走塁、後輩たちともぎ取った特別な1点
川島の復帰を信じ、仙台大ナインも死力を尽くして戦った。高校時代からの後輩である平野裕亮外野手(3年=山村学園)は、「(川島が)帰って来るまで負けられない」とあらゆる打順を打ってたびたび勝利に貢献。1番に座ることの多かった菅原礼央内野手(4年=旭川大高)は「優の存在は大きかったし、いないのは痛い」とプレッシャーを感じながらも役割を果たし、二塁が本職の高田直輝内野手(4年=西脇工)は左翼も守って外野をカバーするなど、同期も一丸となって川島の穴を埋めた。
そして迎えた最終節、川島の、仙台大ナインの願いはかなうこととなる。10月7日の東北福祉大1回戦。2点を追う7回、先頭の代打・田口大智内野手(3年=田村)が安打で出塁した直後、「代走・川島」がコールされた。相手バッテリーの警戒をかいくぐり、初球から走って盗塁成功。続く小田倉啓介内野手(3年=霞ヶ浦)の浅い中飛で三塁を陥れると、平野の適時打で本塁に生還した。
「自分が走ればグラウンドの雰囲気が変わる。強い気持ちで、初球から走ってやろうと思って準備していました」。有言実行の好走塁でもぎ取った1点。あと一歩及ばず、試合には敗れた。それでもこの1点は、仙台大が本当の意味で一つになった瞬間だった。
ケガ人が多かったからこそ、「人のため」の野球が原動力に
辻本はリーグ最終戦の試合後の取材で、「僕たちの代はケガで離脱する選手が多かった。その分、人のために戦ったり、人のためを思って何かをしたりすることが原動力になる代でした」と話した。
昨秋はリーグ戦で優勝を決めた後に、現エースの川和田悠太投手(4年=八千代松陰)が離脱。明治神宮大会出場を懸けた東北地区代表決定戦では川和田を欠いた投手陣が奮闘して神宮切符を勝ち取り、優勝を決めた際には、同郷で同期の須﨑雄大投手(4年=東海大市原望洋)が川和田のユニホームを持ってマウンドに駆け寄った。
リーグ戦で中軸を担っていた三原力亞外野手(4年=聖光学院)もほぼ同じタイミングで故障し、代打のみでの出場を余儀なくされる中、代表決定戦では5番に抜擢された鹿野航生内野手(4年=日大山形)や三原の代わりに右翼を守った竹ノ内康外野手(4年=中部大春日丘)が活躍。三原は新チームでは副主将を務め、今秋の最終節では復活を印象づける本塁打を放った。
今春のリーグ戦では、正捕手の坂口雅哉捕手(4年=八王子学園八王子)が前日に死球を受けた影響で欠場し、乾翔悟捕手(4年=高崎商大附)が約2年ぶりのスタメンマスクをかぶる試合があった。乾は自身がケガで戦列を離れていた前年、試合の動画を見てライバルでもある坂口のリードを参考に配球を学んでいた。学びを生かし、坂口に負けじと好リードをやってのけた。
今秋のリーグ戦期間中、川和田に「4」パフォーマンスについて聞くと、「いいですよね、あれ」とはにかんだ。「僕も去年離脱した時に、ベンチにユニホームを飾ってもらったりしたのがうれしかった。誰かのために戦える、良いチームですよね」。辻本の言う通り、固い絆で結ばれたチームだった。
「彼ららしい色を」果たせなかった日本一は後輩たちに託す
東北福祉大の優勝を見届けた直後、川島の隣で涙を流す選手がいた。高校時代からともにプレーし、今秋は首位打者に輝いた平野だ。最も頼りにしていた先輩から「来年、俺の分も頑張ってくれ」と声をかけられ、様々な感情があふれ出た。
最終節では1回戦で川島を本塁に還す適時打を放ち、2回戦では途中から二人で左中間を守った。中堅手・平野と左翼手・川島は「どこの位置まで打球を捕りにいくか、お互いに感覚で分かっている」ほど息ぴったり。平野は「優さんがスタメンで出られるようになる前に負けてしまって申し訳ない」と悔やみつつ、「最後、一緒にグラウンドに立ててうれしかった」と頬を緩めた。
「4年生と神宮、日本一を目指せると信じてやってきたけど、負けてしまった。来年は一番試合を経験している自分が引っ張る立場になって、今年以上に頑張らないといけない」と平野。辻本は後輩たちに対し、「自分たちの真似をするのではなく、彼ららしい色を探してほしい」と期待した。だが、「人のため」の野球は、必ずや次世代にも受け継がれるはずだ。
(取材・文・写真 川浪康太郎)