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日本独自の進化を遂げた「軟式野球」、「硬式野球」とは異なる競技環境

軟式野球とは、ゴムの芯を毛糸で巻いて皮革でくるんだ硬式球ではなく、ゴム製の軟式球(軟球)を使用した野球のことだ。

日本では軟式野球は非常に普及している。今でも日本のほとんどの子供は「軟球」を使った野球遊びから、野球を始める。

日本で開発された軟式球

野球がアメリカからもたらされたのは公式には1872年だとされているが、それから30年もすると野球は全国に普及した。特に大学野球は、日本中の注目を集める人気スポーツとなり、全国で野球を始める人が急増した。

しかし硬球は非常に硬く、子どもが扱うには危険が伴った。また国土が広いアメリカならともかく、国土が狭く広い空き地が少ない日本では、よく飛ぶ硬球を使って野球ができる場所は限られていた。

当初、子どもや女性は硬式テニスのボールなど代替品を使用していたが、競技に使用するには強度が足りないなど不都合な部分が多かった。

1918年、京都で文具商を営む鈴鹿栄(1888-1957)が、少年野球用のゴム製のボールを発明、軟式球として競技に使われるようになった。鈴鹿栄は2003年に野球殿堂入りしている。

軟球が発明されてから、日本では少年野球が急速に普及した。身体に当たっても怪我の恐れが少ないし、バットで打っても硬球ほどは飛ばない。

軟球は狭い国土の日本で野球をするにはぴったりのボールだったのだ。

軟式球

過熱した「軟式野球大会」

昭和に入ると軟球を使用した少年野球の大会が各地で行われるようになり、野球は全国に普及した。

昭和期、今の高校に当たる中等学校では、甲子園で「選抜大会」「選手権大会」という全国大会が行われたが、その下の学制である高等小学校、尋常小学校では軟球によるトーナメント大会が行われた。

当時、軟球を作るメーカーは十数社あり、これらがスポンサーとなり、大会を開催した。甲子園大会同様、大人気となったが、学校を休んで試合に出場したり、親子で全国大会に出場するなど、過熱気味となったために、文部科学省は1932年、学生野球の統制と健全化を目的として「野球統制令」を発する状況に至った。

「子供の遊び」の主流に

戦後、野球はアメリカ軍を中心とするGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、日本の戦後復興に「野球振興」を活用する方針が示されたこともあり、甲子園、プロ野球などがいち早く再開された。

新学制の小学校、中学校でも軟球を使った「少年野球」が盛んに行われるようになる。子供たちは、学校を終えるとグローブやバットを持ち寄って空き地や公園に集まり「草野球」をしたが、ボールは「軟球」だった。

藤子不二雄の「オバケのQ太郎」や「ドラえもん」などの漫画では、主人公の子供たちは放課後、空き地で野球をする日々だった。1958年に立教大学から長嶋茂雄が巨人に入団し、大活躍をするとプロ野球人気が爆発的に高まった。「巨人の星」などのアニメも大人気となったが、昭和の子供たちにとって「野球」は一番人気の遊びとなった。そしてそのボールは「軟球」だったのだ。

大人世代でも「草野球」が盛んになったが、ここでも使用されたのは「軟球」だった。

スポーツメーカーでは「硬球」用の硬式野球用具と並行して「軟球」用の軟式野球用具も大量に製造した。硬式用具と軟式用具は、基本的な構造や素材は同じだったが、グローブ、ミットの皮革は薄く、バットも軽量で、価格も安かった。

昭和の時代の子供たちは、多かれ少なかれ「野球をした経験」を有していたが、その経験の大部分が「軟球を使った野球」だった。

大人も軟式野球をする

「日本だけ」のスポーツだった軟式野球

しかしながら「軟式野球」は、国外には全く広まらなかった。

アメリカでは子供向けの野球として「リトルリーグ」「ポニーリーグ」などの団体があったが、ここで使用されたのは大人が使用するものより一回り小さい硬式球だった。

日本の隣国の韓国や台湾でも、アメリカによって野球がもたらされたが、軟球はほとんど普及しなかった。キューバに一時期軟式野球用具が輸出されたが、それ以外は「軟式野球」は「日本独自の野球」だと言ってよかった。

硬式野球は高校、大学、社会人、プロで行われたが、軟式野球も高校、大学、社会人で行われた。日本では軟式野球と硬式野球は併存していた。また女子野球でも軟式野球が普及した。

兵庫県明石市トーカロ球場での高校軟式野球全国大会

21世紀に入って減少した競技人口

21世紀に入って野球競技人口が減少に転じた。その背景に「プロ野球の地上波テレビ放送」の激減があったとされるが、他のスポーツの人気の高まりもあって子供世代の「野球人口」も減少した。

また、全国で空き地が減少し、公園でも「球技」が禁止されるなど、子供が「野球遊び」をする空間がなくなったことも大きい。軟式野球用具の売り上げもこの時期から減少した。

日本高等学校野球連盟には硬式野球と、軟式野球の両方の野球部が加盟しているが、その競技人口は、2001年には硬式野球は149,622人だったのが2023年には128,357人と14.3%減少しているのに対し、軟式野球は2001年に12,892人だったのが2023年には7,672人と40.5%も減少している。

日本では軟式野球は、野球の「エントリーレベル」として大きな役割を果たしてきたが、今は「硬球」から入る子供も多く、軟式野球の競技人口は低迷しているのだ。

兵庫県明石市トーカロ球場

「軟式」と「硬式」大きく違う競技環境

軟式野球と硬式野球の「競技としての違い」は、端的に言えば「軟式のほうが得点が入り難く、投手戦になりやすい」ということになる。

軟球はバットの芯で打っても飛距離が伸びない。球の弾み方は硬球よりも不規則だが、打球速度が遅いので、捕球しやすい。また打球が当たってもダメージが少ないので、野手が思い切って守る。このために、レベルの高い大会では、投手戦になることが多い。

2014年8月28日、兵庫県明石市のトーカロ球場での第59回全国高校軟式野球選手権大会の準決勝。東海代表の中京(岐阜)と西中国代表の崇徳(広島)の試合は0対0のまま決着がつかず4日間、50イニングを要して勝敗が決まった。

軟式野球界では極端な「投高打低」からの脱却が永年の課題だった。

2002年、全日本野球連盟はスポーツメーカーに「飛距離の伸びる軟式バット」の開発を依頼、これを受けてミズノがFRP本体の打球部にエーテル系発泡ポリウレタンを使用したバット「ビヨンドマックス」を開発した。

現在、進化を重ねた「ビヨンドマックス」シリーズは軟式野球界で爆発的に売れているが、もとは軟式野球界の要請もあって生まれたものだ。

日本高野連は、このほど「飛びすぎる金属バット」を見直したが、軟式野球は正反対の状況になっている。

ボールについても規格改定の際には変形しにくくなる材質にするなど「反発係数」を上げる改定が行われている。

兵庫県明石市トーカロ球場での試合風景

「中学まで軟式」の選手は活躍する?

「野球離れ」を食い止めるためには、手軽に始めることができる「軟式野球」の普及策は重要な課題だといえる。

軟式野球からプロ野球に進んだ選手には、殿堂入り投手の大野豊(広島)、東映のエースだった土橋正幸などが知られているが、それほど多くはない。

しかし中学時代まで軟式で、高校から硬式野球に進んだ選手の中には、NPBで大活躍している選手が何人も出ている。

2019年は12球団の開幕投手が、全員公立中学の軟式野球部出身だったことが大きな話題となった。

広島:大瀬良大地(大村市立桜が原中)
ヤクルト:小川泰弘(田原市立赤羽根中)
巨人:菅野智之(相模原市立新町中)
DeNA:今永昇太(北九州市立永犬丸中)
中日:笠原祥太郎(新潟市立新津第二中)
西武:多和田真三郎(中城村立中城中)
ソフトバンク:千賀滉大(蒲郡市立中部中)
日本ハム:上沢直之(松戸市立第一中)
オリックス:山岡泰輔(広島市立瀬野川中)
ロッテ:石川歩(魚津市西部中)
楽天:岸孝之(仙台市立柳生中)

軟球は硬球よりも軽くて、肩ひじへの負担が少ない。中学時代に硬球をたくさん投げてOCD(離断性骨軟骨炎)などになって投手を断念するケースは、今も多いが、軟式野球ではそのリスクが大幅に減少する。

軟式野球は、子供たちの健康を考えるうえでも有意義な競技だといえる。

野球人口の拡大のためにも、軟式野球の振興策を真剣に考える時期が来ている。

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