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「高校野球における本当の楽しさと本気の笑顔」、オイスカ浜松国際(静岡)を率いる永井浩二監督とは

オイスカ浜松国際(静岡)を指揮するのは、就任4年目を迎えた永井浩二監督。

アマチュア野球界のいわゆる王道からメジャーリーグ裏方を経て、高校監督へ辿り着いた異色の経歴の持ち主だ。目指すは日米の経験をベースにした『本気のスマイル・ベースボール』。学校の歴史は浅くとも大会ごとに確かなインパクトを残している。

ド派手なユニフォームで大騒ぎする野球を目指す

「ユニフォームも野球の1つです。バリエーションが増えれば選手も見ている方も楽しい。野球界が盛り上がって欲しいです」

春季高校野球静岡県西部地区予選、オイスカ浜松国際のユニフォームが話題となった。白やグレーなどシックな色合いが主流の高校野球界では異色と言える全身が紫色のもの。今春、同校は時代の変化に即した教育を目指すため校名変更(旧名・オイスカ)を行った。野球部も永井監督が前面に立ってユニフォーム変更をした。

「学校が改革に進んでいる中で野球部もやれることをやろうと思いました。着ている選手が楽しく頑張れるユニフォームも必要だと思いました。高野連のルール内で全身同一色は大丈夫、ということだったので思い切って採用しました」

「社会人・伯和ビクトリーズ(広島)を真似した(笑)」というド派手なユニフォームを着て初の公式戦。敗者復活戦で浜松市立に「3-6」と敗れたが、昨秋の対戦で同校には「4-15」のコールド負けしたことを考えればチームは成長していると言える。しかし永井監督は満足も納得もせず更なる成長を促した。

「言葉は悪いかもしれないですが、もっとバカになって欲しい。チャンスでイケイケの時など大騒ぎ、うるさいくらいで構わないと言っています。まだまだ静かでおとなし過ぎます。チーム全体で流れを作り出せればパフォーマンスも高まります」

校名変更に伴ってユニフォームを変えるなど、野球部も改革に歩み始めた。

ボビー・バレンタイン氏との出会いがベースとなっている

現役時代は捕手としてプレー、各カテゴリーにおける野球エリートとも言える道を通ってきた。名門・広島商では甲子園出場、亜細亜大ではのちに日本を代表するクローザーとなる高津臣吾(現ヤクルト監督)のボールを受けた。社会人・NKK福山(現JFE西日本)ではドラフト候補にも挙がったがプロ入りは叶わず。98年に知人の紹介で渡米、ニューヨーク・メッツのブルペン捕手兼打撃投手を務めた。

「出会った人、経験した野球の全てが勉強になりました。特に印象に残っているのはメッツのボビー・バレンタイン監督(当時)。ボビーは常に周いとコミュニケーションを取っていた。野茂英雄さん、吉井理人さん、マック鈴木と在籍した日本人選手にも常に気を配っていました。スタッフの僕にも同様にしてくれて助かりました」

メッツでの2年間を経て帰国、ケイ・スポーツクラブでのプレー後に現役引退する。06年12月の浜松大(13年から常葉大浜松)野球部監督就任する際、当時ロッテ監督だったバレンタイン氏を訪ねて春季キャンプへ行きアドバイスをもらった。00年ワールドシリーズ出場など、日米で数多くの実績がある名将の言葉が胸に響いた。

「『チームのトップに立つ時にはまず人を知ること。プレーだけではなく、その人自身を知ることが結果につながる』と言われました。その言葉を聞いた時にメッツ時代の記憶が鮮明に蘇りました。練習、試合を通じて選手、関係者と可能な限り会話をする。監督として常にその言葉を忘れないようにしています」

「(浜松大は)強豪ではなく名門校出身者もほとんどいませんでした。僕が通ってきた野球とは異なることもありました。技術以前に、取り組み方や考え方が軽い選手も多い。選手を怒鳴ることもありました。現役を上がってすぐで身体も動いたので、自分自身がプレーでの手本を見せて納得させたりもしました」

「どんな時でもボビーの教えを忘れないようにしました。怒鳴った選手とはその後、しっかりと話す時間を取るようにしました。お酒を飲み交わした記憶もあります。大学まで続ける学生は野球が大好きです。納得してくれれば指導を聞いてくれて成長度合いも早くなります。コミュニケーションの重要性を痛感しました」

技術以上に伝えているのは野球をやっている間は大騒ぎをして楽しむこと。

時代に即した野球部にして選手がやりやすい環境を作る

12年秋には東海地区大学野球静岡リーグ戦で優勝。大きな目標である明治神宮大会出場が視野に入るまでになった。ところが周囲の状況が大きく変化、19年6月にオイスカ(当時)監督就任が急遽決定した。約12年間つとめた大学野球界から高校野球界へ足を踏み入れることとなった。

「高校の監督をやりたいとは思っていました。オイスカの校長とは大学監督時代から知り合いでしたが突然でした。大学は春季リーグが始まる時期で申し訳なかったです。オイスカの生徒にとっては誰かわからない奴が監督になった。3年生は最後の夏が目の前です。後悔させないように、できることは全部やろうと思いました」

「ここでも米国での経験やボビーの教えが参考になりました。野球は楽しいものであって笑顔でいて欲しい。だから目指すは『本気のスマイル・ベースボール』です。良いものは大事にして嫌なことは取り除いてあげる。時代に即して生徒たちがやりやすい環境を作ることから始めました」

選手を下の名前で呼び強制的な坊主は廃止、LINEグループを作りこまめに連絡を取った。もちろん野球に対する厳しさは変わらず、気持ちの入っていないプレーに対しては注意をする。しかしその後のフォローを忘れず笑顔を取り戻させるようにする。今回のユニフォーム変更も同様、独断で決定したわけではなく選手と話し合っての決定だった。

「伯和ビクトリーズの監督が広島商時代の同級生でユニフォームを借りました。部員に着させてみんなで確認したところ、『絶対にこれが良い』という反応。『正直、行き過ぎかな』と思っていましたが生徒が背中を押してくれました。みんなで決めたユニフォームで迎えた公式戦はグッと来るものもありました」

厳しい助言、叱咤もするがコミュニケーションを図ることだけは欠かさない。

大学生と高校生の違いを感じることもある。大学生は年齢が上なだけに考え方が大人に近い部分もある。しかし高校生は複雑で微妙な年代の真っ只中だ。生まれ育った環境などが多大な影響を及ぼしている場合が多く、社会経験も皆無に等しい。気持ちや考え方が一刻、1秒で変化することもある。

「話し合うこと、楽しませること、褒めることが大事だと痛感します。大学生は大人になっている部分もあるので、最後まで斜に構えている者もいました。でも高校生は大人の些細な言葉や行動で大きく変化します。目に見えてわかります。とことん会話を交わし何を考えているのか、気持ちの動きを理解しようと心掛けています」

「大切なのは『本気のスマイル・ベースボール』です。試合中はお祭りだと思い心から楽しくやって欲しい。このご時世、少しでも目立つとネットで叩かれたりもします。でも野球をやっている間だけは周囲を気にする必要は全くない。そうさせてやるのが監督の仕事だと思います」

甲子園の存在は頭にありつつも、まずは野球を心から楽しめる環境作りの真っ最中。

野球を心から楽しんで本気の笑顔を見せて欲しい

多感な世代の高校生と向き合い「野球は楽しい」ことを理解させることからスタートした。19年夏には創部9年目で初の県大会ベスト8入りも果たした。「目指すは甲子園」と言いたいところだが、現実が甘くないことは承知している。

「(甲子園出場は)最初から諦めてはいませんが甘いものではありません。うちは私立高ですが甲子園を狙うための戦力補強もしていません。今は野球を楽しくやる環境作りをしている段階。地力がついてくれば『オイスカで野球をやりたい』という中学生も出てくるはずです。そういった積み重ねで甲子園が目標になるはず。1歩ずつステップアップすることです」

様々なジャンルの野球を知る永井監督は、「楽しむ」「笑顔」の本当の意味を重視する。

今後の方向を語る時の永井監督は楽しそうだった。広島商で甲子園に出た時、メッツでメジャー屈指の投手の球を受けた時、同じような表情だったのではないだろうか。

「プロに行けず金髪にしてニューヨークに行きました。最初はモヤモヤしたものもありましたが、野球の楽しさを実感でき本当に良かったです。もしプロに入れていたら今とは全く違ったことを感じているかもしれません。生徒には野球を心から楽しんで欲しい。『本気のスマイル・ベースボール』がチームを良い方向に導いてくれるはずです」

高校スポーツ界では多くの問題が噴出、逆風が吹き始めている。こういう時期だからこそ永井監督の言葉が胸に刺さる。「楽しむ」「笑顔」の本当の意味を考えることで、部活の在り方も変化するのではないかとも思える。

(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・オイスカ浜松国際高校)

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