度重なる不祥事を乗り越えて、ナショナルパスタイム(国民的娯楽)になった、台湾プロ野球(CPBL=中華職業棒級大連盟)

広尾晃のBASEBALL DIVERSITY
台湾(中華民国)のプロ野球リーグ(CPBL=中華職業棒級大連盟)は、1990年からリーグ戦がはじまった。1936年創設の日本プロ野球(NPB)、1982年創設の韓国プロ野球(KBO)に続き、アジアでは3つ目のプロ野球トップリーグになる。
日本支配下で野球が始まる
中国大陸の清朝の支配下にあった台湾島は、日清戦争の結果、1895年に日本に割譲された。台湾で野球が始められたのは、この時期だとされるが、当時は日本の駐在員が野球をする程度だった。
台湾初めての野球チームは1906年に創設された「台湾総督府国語学校中等部」だとされる。続いて「台湾総督府国語学校師範部」にも野球チームができ、対抗戦が人気となったが、この時期の選手はほとんどが日本人だった。
台湾人による野球チームは林桂興という選手が1923年に創設した「高砂棒球隊」だとされる。
この年には、現在の「夏の甲子園」の地方大会である「全島中等学校野球大会」が始まり、第1回は「台湾総督府国語学校中等部」の後身の一つである台北一中が優勝。甲子園に出場した。しかしこの時代でも、大半の選手が日本人だった。

嘉義農林の活躍
1931年夏、第9回の台湾全島大会を制した嘉義農林は、夏の甲子園に初出場、2回戦で神奈川商工を3ー0、準々決勝で札幌商を19ー7、準決勝で小倉工を10-2で下し、台湾勢としては初めて決勝に進出する。決勝戦では、中京商に0-4で敗退した。チームを率いたのは愛媛県出身の近藤兵太郎だったが、エースで4番の呉明捷は台湾出身。2番センターの蘇正生も台湾出身と、日本人と台湾人の選手が力を合わせての快挙だった。
その後嘉義農林は野球強豪校となり巨人、阪神などで活躍し、殿堂入りした呉波(呉昌征)、巨人の外野手でのちに審判になった呉新亨(萩原博)などのプロ野球選手を輩出した。
リトルリーグから人気になる
戦後、中華民国となった台湾では、中南部を中心に社会人野球が行われていたが、1968年、日本の強豪リトルリーグチームに台湾のチームが勝ってから、少年野球ブームが起こる、台湾は翌69年に世界リトルリーグ野球選手権大会で初優勝。以後、屈指の強豪となる。
1980年代には、大人世代も力をつけ、1984年のロサンゼルスオリンピックの野球競技(公開競技)では、郭泰源(のち西武)などの活躍で、銅メダルを獲得する。
CPBLの発足
野球競技の人気が高まるなか、1982年に一足先に韓国にプロ野球(KBO)ができると、台湾の起業家のプロ野球創設の機運が高まる。
1989年、台南生まれの実業家で、兄弟ホテルのオーナーだった洪騰勝が、中華民国野球協会会長の嚴孝章とともに、「中華職業棒球聯盟」を設立。翌年から、ペナントレースを開始した。
兄弟エレファンツ、味全ドラゴンズ、統一ライオンズ、三商タイガースの4チームで前後期45試合ずつで始まったペナントレースは、味全が初代王者となった。
1993年には俊国ベアーズ、時報イーグルスが加入し6球団となる。
NPBからは初年度の統一に元大洋コーチの引地信一が、コーチとして参加。プレーだけでなく、プロ野球選手の在り方などについて指導。
兄弟にも元南海の森下正夫、元大洋の山根俊英などが指導者として加わる。一時期は、6球団中5球団の監督が日本人になるなど、NPBの影響を色濃く受けながら、CPBLは発展した。

度重なる野球とばく、八百長事件
しかし1996年、野球とばく事件が発覚。時報イーグルスでは、2人を除く台湾人選手全員が八百長に関与していたことがわかり、時報は1998年に解散に追い込まれる。
さらに、翌年には再び野球とばく事件が発覚し、三商、味全も解散。
台湾プロ野球の信用は地に落ちた。
NPBでも1969、70年に選手が野球賭博、八百長に関与した「黒い霧事件」が起こり、このダメージで西鉄ライオンズは身売りに追い込まれたが、スポーツにとって「八百長」「野球賭博」は最も忌まわしいスキャンダルであることがわかる。
1997年には「中華職業棒球聯盟」への加盟を認められなかった企業が集結して新たなプロ野球リーグ「台湾職業棒球大聯盟(TML)」が発足、台北太陽、台中金剛、嘉南勇士、高屏雷公の4球団でペナントレースが行われた。
しかし新リーグの人気は低迷し、2002年オフには「中華職業棒球聯盟」と合併し「中華職業棒球大聯盟=CPBL」として新たなスタートを切った。
ところが2006年、2007年と再び八百長事件が発覚、CPBLの人気は低迷した。さらに2008年には米迪亜ティー・レックスが球団ぐるみで八百長を行っていたことが発覚。この球団の経営に暴力団が関与していたこともわかり、解散に追い込まれる。

少し信頼を回復したと思うと八百長事件が起こる。その繰り返しだったのだ。
筆者は台湾の野球関係者にこのことについて聞いたことがあるが
「台湾には公営ギャンブルがないが、もともと賭博好きの国民性なので、多くの人が違法な賭博に手を出す。そしてプロ野球チームを運営する企業の資本力が弱く、反社会勢力に付け入られやすい」とのことだ。
こうした状況を改善すべく、2010年、馬英久台湾総統(当時)は、CPBLを支援すると表明、公的支援も行うなどしてテコ入れをした。
WBCをきっかけに人気復活
人気復活の転機になったのが、2013年の第3回WBCだ。地元台中で行われた予選ラウンドでは、3月5日に行われた韓国との対戦に2-3で敗れたものの、得失点差で1位通過が決まる。この試合では台湾プロ野球史上最多(当時)の23,431人を動員。東京ラウンドでは敗退したもののベスト8に入り、台湾プロ野球人気は急回復した。
また、この年、MLBのスター選手、マニー・ラミレスが義大ライノスと契約。ラミレスは6月にはチームを離れたが、41歳という年齢にかかわらず豪打を連発し、義大をはじめ、CPBLの各チームの観客動員は急増した。

この時期まで、台湾の優秀な少年野球選手は、CPBLを目指すことなく、NPBやMLBを目指して海を渡った。ヤンキースのエースになった王建民(ワン・チェンミン)、日本ハムのスター選手になった陽岱鋼などがこの代表格だ。
その背景には、度重なる八百長事件で、台湾の人々が、CPBLに幻滅していたことがあるだろう。
しかし2013年のWBCでの活躍以降、CPBLに入ってプロで活躍しようと言う人材も増えて、台湾プロ野球はようやく「トップリーグ」として受け入れられるようになる。

6球団でのペナントレース
現在のCPBLは、中信兄弟(監督:元阪神、オリックスの平野恵一)、統一ライオンズ、富邦ガーディアンズ、楽天モンキーズ(親会社は日本の楽天グループ、監督:元近鉄の古久保健二)、味全ドラゴンズ、台鋼ホークスの6球団が、前後期60試合ずつ、計120試合のペナントレースを戦っている。

プレミア12での快挙
2023年12月には初のドーム球場である台北ドームが誕生。
さらに2024年のプレミア12では、東京ドームでの決勝戦で、台湾代表が侍ジャパンを破って初優勝。
台湾国内は快挙にわき、選手たちが乗る航空機を空軍のF16戦闘機がエスコートして帰国。翌日には就任したばかりの頼清徳総統が待つ総統府まで歓迎パレードが行われた。
創設から35年、台湾プロ野球は紆余曲折を経て、ようやく「ナショナルパスタイム」として、国民に受け入れられつつあるのだ。
