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「ドラフト1位でプロへ」黄金ルーキー堀越啓太は高校時代の悔しさ糧に成長を続ける~東北福祉大が誇るプロ注目投手(後編)

 歴代57人のプロ野球選手を輩出してきた東北福祉大。今年の4年生も前編で紹介した細川拓哉投手(4年・明秀日立)のほか、大学日本代表に選ばれた杉澤龍外野手(4年・東北)、左のエース坂根佑真投手(4年・天理)ら、プロ注目選手が名を連ねている。

 一方、下級生にも将来のドラフト候補が少なくない。その筆頭が、堀越啓太投手(1年・花咲徳栄)だ。春季リーグ戦で1年生ながら抑えを任され、4試合無失点で優秀新人賞を獲得。150キロ台のストレートを連発し、全日本大学野球選手権では大会最速の154キロをマークした。後編では、大学野球界に衝撃をもたらしたスーパールーキーの成長物語を紐解く。

衝撃デビュー、止まらない球速表示の点滅

 4月29日の宮城教育大1回戦、背番号15の右腕がベールを脱いだ。10点リードの6回頭から登場すると、公式戦では初となる150キロを計測。先頭打者に四球を出したものの、その後三者連続三振を奪う圧巻の投球でスタンドを沸かせた。この日は雨が降る中での登板。堀越が「コンディションが悪い中で自分の最大限は出せたかなと思う」と語るように、デビュー戦の投球は、序章に過ぎなかった。

 5月15日の東北学院大2回戦は3点リードの9回に登板。この日はストレートが常時150キロを超え、併殺打と空振り三振で結果的に3人で抑えた。2試合連続の好投で首脳陣の信頼を勝ち取ると、優勝が決まる仙台大戦は3試合中2試合で抑えを任された。

5月15日の東北学院大戦で好投する堀越

 特に圧巻だったのは、5月23日の2回戦。4点リードの9回にマウンドに上がると、2四球を与えるも無失点。この日投じた24球のうち23球がストレートで、うち20球が自己最速152キロを含む150キロ超えだった。リーグ戦が行われる東北福祉大野球場の球速表示は150キロを超えると点滅するが、堀越がマウンドにいるときはその点滅が止まらない状態が続いていた。

 快進撃はリーグ戦終了後も続く。新人戦決勝の仙台大戦では7回から登板し、3イニングをパーフェクトピッチング。40球のストレートはまたしてもすべて150キロを超え、自己最速155キロも飛び出した。全国デビューとなった全日本大学選手権では九州共立大との1回戦で2点ビハインドの7回からマウンドに上がり、2回4奪三振無失点と雰囲気をガラリと変える投球を披露。この時は大会最速154キロを投じ、大学野球ファンを驚かせた。

原点は「悔しかった」高校時代

 野球を始めたきっかけは、小学2年の時に西武ドームで観戦したオープン戦。この試合で先発した十亀剣投手の投げる姿に憧れ、「プロ野球選手になりたい」という夢を抱いた。地元が埼玉ということもあり、小学生の頃は足繁く西武ドームに通った。中学時代に投手としての実力をつけ、強豪・花咲徳栄に進学。高校3年間で急成長し、プロ注目選手として名前が挙がるようになった。

 しかし高校時代の話を聞いている間、堀越は「悔しかった」という言葉を何度も口にした。チームは1年次に夏の甲子園、2年次に交流試合への出場を果たしたが、いずれもあと一歩のところでベンチ入りを逃した。特に2年次はライバルの投手が同級生で唯一メンバー入り。交流試合はテレビで観戦し、画面の前で唇を噛んだ。それでも2年秋は並み居る投手陣の中でエースナンバーを背負い、3年次は主に中継ぎで大事な場面を任されるようになった。

小学生の頃からプロを目指し続けている堀越

 迎えた最後の夏。高校生活最大の悔しさを味わう。5回戦の山村学園戦、1点ビハインドの7回から登板。流れを変えたかったが、走者を背負うと「頭が真っ白で何も考えられなくなった」。この回1点を失うと、8回にも2失点。9回に味方打線が追いついたものの最終的にはサヨナラ負けを喫し、堀越は「自分で負けたようなものだった」と当時を振り返る。高校3年間で着実に力をつけたが、聖地の土を踏むことはできなかった。

 昨秋は花咲徳栄から堀越と味谷大誠捕手の二人がプロ志望届を提出した。ドラフト当日、指名が濃厚だった味谷が校長室で待機する中、堀越は別室で部員たちと中継を見守った。「たぶん(指名は)ないだろうな」と思いつつ、最後までその時を待った。結果的に味谷が中日から4位指名を受けた一方、堀越の名前は最後まで呼ばれず。「甲子園で投げて、アピールできていたら…」。甲子園で活躍した同級生の投手が次々と指名されるのを見て、悔しさが募った。

大学入学前に155キロ計測、目指すは160キロ

 それでも、4年後のプロ入りを目指しすぐに気持ちを切り替えた。高校野球引退直後、高校のチームメイトを通じて知り合った指導者のアドバイスを受け、フォームの改善に取り組んだのだ。現在のスリークォーターに取り組み始めたのは高校3年の時。2年次まではオーバースローだったが、岩井隆監督に提案され腕を下げると、「ピッタリはまった」という。投げ方を変えたことで球の質が高まり、ストレートの最速も入学直後の138キロから147キロまでアップした。

帽子をずらしながら気迫あふれる投球を見せる堀越

 球速をさらに伸ばし、課題の制球力を高めるため、そのフォームをもう一度見つめ直した。投球時に上げる左足の高さを高くしたり、肩甲骨の使い方を変えたりと試行錯誤を重ねるうちに、徐々に理想の投球ができるようになってきた。昨年の12月中旬、スピードガンで初めて150キロを計測。年明けの1月下旬には155キロが出た。確固たる自信を持って進学し、入寮した4月3日から1ヶ月も経たないうちにリーグ戦デビュー。入学前の努力が今春の活躍につながった。

 リーグ戦では、投球表示を確認しながらマウンドを降りる姿が何度か見られた。本人は「あまり気にしないようにしてますけど、どうしても気になってしまう」と苦笑いを浮かべるが、それほど球速へのこだわりが強くなってきた。大学4年間での球速の目標は160キロ。多くのプロ野球選手を輩出してきた大塚光二監督も、「160キロ投げると思いますよ」と太鼓判を押している。

ドラフト1位でプロの世界へ

 「ドラフト1位でプロに行きたい」。大学生活は始まったばかりだが、目指すところは明確だ。この春、入学前にものにしたストレートが実戦でも通用すると確信した。高校最後の登板を教訓に変え、ピンチでいかに落ち着けるか意識しながら投げられるようになった。目標に向け、大学で最高のスタートを切った。

 2015年からチームの指揮を執り、元プロ野球選手でもある大塚監督に一流選手を育てる秘訣を聞くと、「僕が格言のようなことを伝えたとか、そういうのはない。高いレベルの中で自分で努力して、人として成長した選手がプロ野球選手になった」と教えてくれた。例えば落ちているゴミを拾う、自分が使ったグラウンドを綺麗にする。人として当たり前のことをできる選手が、野球人としても成長していくという。

練習中に整備を行う堀越。下級生の仕事も淡々とこなす

 今回初めて堀越を取材し、1年生とは思えない落ちつきぶりと丁寧な受け答えが印象に残った。このまま順調に経験を積めば、人としても、野球人としてもドラフト1位にふさわしい男になれるはずだ。3年後、ドラフト会議で「堀越啓太」の名が何度呼ばれることとなるか。今から楽しみでならない。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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