大学軟式JAPAN、この状況下でも諦めずにできることを
日本生まれのスポーツである軟式野球。日の丸を背負い、その普及に務めるのは「全日本大学野球軟式野球連盟 国際親善大会 全日本代表チーム」(通称:大学軟式JAPAN)だ。
毎年12月に海外で野球教室や親善試合を行っていた大学軟式JAPANだが、2020年度は新型コロナウイルスの影響で例年通りの活動は難しい状況となった。それでも、日の丸を背負うことを目標としてきた選手たちのためにどうにか活動の場を作ろうと、全日本大学軟式野球連盟は諦めずに話し合いを重ねた。
そして、2021年2月18日。大学軟式JAPANは始動した。静岡県で4日間の活動を行った、2020年度の大学軟式JAPANにせまる。
実現までの道のり
2月18日。この日を迎えることは簡単ではなかった。なんとか大学軟式JAPANの活動の場を作ろうと何度も話し合いを重ね、状況が変わるたびに関係各所に掛け合う日々。
「やはり、コロナ禍という未曽有の事態で、ひとつの判断にしてもいろいろな人の価値観があってどれも間違いじゃない中で、その折り合いをつけるのが難しかったと思います」
そう話すのは、畠山和也コーチ(宮城教育大学監督)だ。「我々選考などに関わるメンバーには、学生の声が直に届いていました。そういったところと学生を預かる立場としてのバランスを意識しながら、事業の実施と選手の選考を行うことは初めての経験で、率直に難しかったです」
大学軟式JAPANは毎年、夏前にメンバー選考合宿を行う。以前、小野昌彦監督(東北福祉大学コーチ)は「合宿では、野球をしているときの自然な会話などで選手の人となりを見るようにしています」と、野球の実力以上に大切にしている部分を語っていた。
今年度は、出された課題に沿って学生自身が2分ほどの動画を撮って送るという方法での選考となったため、その動画と書類のみで判断しなければならなかった。直に接することができない中で、選手の人となりをどう見極めたのだろうか。
畠山コーチは「今回は、12月に2週間という短いスパンでの選考となりました。基準はいつもと変えずに、軟式野球の普及に対する思いや普段の活動を書類から見させていただきました。難しかったのは難しかったので、何回も動画を見たり書類を見直して、そこは地道に。選考に携わる数名のメンバーで意見交換をして、最後はすんなり決まりました」と、選出の経緯を話してくれた。
直前に活動場所の変更を余儀なくされるなど、その後も降りかかる難問をひとつずつクリアして、2020年度大学軟式JAPANは小野監督、畠山コーチ、福島慎一コーチ(全日本大学軟式野球連盟指名理事)、総務の上木卓氏(九州地区大学軟式野球連盟理事長)の代理で奥野水晶氏(全日本大学軟式野球連盟総務部長)、そして22人の選手と、主務2人で動き出した。
リモート野球教室と貴重な経験
筆者が大学軟式JAPANのもとを訪れたのは、活動3日目の2月20日だった。前日、前々日と別の野球場で合同練習をしていた大学軟式JAPANだったが、この日は掛川駅からバスで20分ほどのところにある大東北野球場にいた。
大学軟式JAPANの活動日程
18日 合流/午後から合同練習
19日 合同練習
20日 リモート野球教室/東京ヴェルディ・バンバータと交流試合(2試合)
21日 クーニンズと交流試合(2試合)
小野監督は、以前からずっと「技術は高校からでいいから、それまではとにかく軟式球で遊ぶことを楽しんで欲しい」と言い続けており、大学軟式JAPANが毎年国内外で行っている子供向けの野球教室でも、ボールと触れ合う楽しさを教えている。今年は直接の交流はできなかったが、この日、仙台市の中学2校とのリモート野球教室が行われた。
円滑に進めるため、事前に中学生からの質問を募集し大学軟式JAPAN側の回答者を決めた上で、改めてタブレット越しに質問者と回答者がやりとりをした。今回の交流は、中学生にとって貴重なものとなったが、前日の夜、実は大学軟式JAPANの選手たちもかけがえのない経験をしていた。
その夜、主将、投手リーダー、野手リーダーなど代表者数人が集められた。今年は、東日本大震災から10年の年。今回の交流先の中学校の先生は東日本大震災の被災者で、野球部の生徒をひとり亡くすという経験もされていた。先生は、当時の野球部の状況や、その後どうやって野球を通して持ち直していったかという貴重な話を選手たちにしてくださった。
最後に、大学軟式野球にどんなことを期待するかについてメッセージもくださった。この夜、選手たちは大学軟式JAPANとしての活動の意味を改めて考えることになった。
ZOOMで距離を縮めた大学軟式JAPAN
例年ならば、選考合宿が学生たちの最初のコミュニケーションの場となるが、今年は動画での選考となったため2月18日がメンバーの初顔合わせとなった。ところが、そのときメンバーは「すでに1週間一緒に過ごしたくらいの仲の良さ」だったという。
その理由は、2年連続で大学軟式JAPANに選出された小坂泰斗捕手(大阪体育大3年)が教えてくれた。「事前にZOOMで監督、コーチのミーティングがあって、それが終わったあとに、西野(隼輝/京都文教大3年)なんかが『選手で集まらん?』と言ってくれて、いろいろ話したんです。ちょっとでも顔を見ていた方がいいと思うし、しゃべっている中でこの選手はどういう選手なのか、面白い人なのか、真面目にやる人なのか、いじったりして交流を深めていく選手なのか、というのがZOOMをやっていてある程度わかりました」
そしてもうひとつ、メンバーが仲良くなれた要因として挙げたのが、卒業間近のこの時期に唯一メンバー入りした4年生、浜島魁士内野手(関西大)の存在だ。
「(メンバー間では)上下関係も全然ないですし、先輩後輩やからこうしろとかもない。その上下関係がないのは4回生の浜島さんのおかげだと思います。ひとりだけ4回生だったら『おれ、4回生やで』ってなると思うんですけど、優しいしいろいろなことに気を遣ってくれて率先して動いてくれているからこそ、あの人が先やっていたら自分らもやらなあかんな、と思えます。だから、みんなが動いていいチームになっているんかな、と思います」
そもそも、大学軟式JAPANに選ばれるほどの選手は、自分のすべきことがはっきりわかっている選手が多い。監督、コーチ、主将などから言われる前に、ひとりひとりが考えて動くことができ、積極的に学ぼうとする気持ちも強い。来田渉悟内野手(日本体育大3年)は「反省点があっても、すぐ改善される。改善能力も高いと思います」と言う。
そんなチームの主将に選ばれたのは、浅野宇海内野手(城西国際大3年)だった。浅野は、一昨年の秋の東日本大会の優勝メンバーであり、東関東大学軟式野球連盟委員長も務めている。
「大学軟式野球は学生の連盟委員長も、各地区の大人の理事長と一緒に会議に出ます。浅野は今回の事業をやれるかやれないか、その議論をずっと真ん中で見ていた学生ですので、そういった活動との両立を評価して満場一致で主将に決まりました」
畠山コーチのこの言葉からもわかるように、周りからの信頼はとても厚い。そんな浅野は「自分を出さない」ことを心がける主将だった。
「いろいろな人がいるので、合わせるのも大事かなと思います。とにかく仲良くできるように、そういうことを意識しながらやっていきたい」
「仲良く」だけを目標にする主将は珍しいが、浅野のこの考えが今年の大学軟式JAPANにとってベストだということは、東京ヴェルディ・バンバータとの試合後の小坂の言葉で証明された。
「去年もいいチームだったんですけど、去年よりも仲がいいなと僕は思っています。今日もみんなが笑顔で楽しんでいたからこそ、負けはしましたけどいろんな経験ができたと思います。明日につながる試合だったんじゃないかな」
確かに、東京ヴェルディ・バンバータとの交流試合2試合の結果だけを見ると「3-5の負け」と「8-8の引き分け」だが、試合が進むにつれ驚くほどの早さでチームとして完成されていくのを感じた。たった1日半の合同練習でここまでのチームを作り上げることができたのは「仲良く野球を楽しむ」という、これから軟式野球を始める子供たちに教えたい一番大切なことを体現した結果だろう。
例年のような海外での普及活動や親善試合はできなかったが、なんとか日の丸を背負うチャンスを作ってあげたいという運営側の思いと、選ばれたからには一回り大きくなって帰りたいという選手たちの思いは、コロナ禍のこの世界に確実に何かを残した。
1995年から続く大学軟式JAPANの活動により、少しずつ海外にも広がりつつある軟式野球。その歩みが続いていくことを願い、これからもその活動に期待したい。
大学軟式JAPAN公式Instagram
https://instagram.com/daigaku_nanshiki_japan?igshid=8xvfhvb6c6cr