「東京ドームでの4打席連続三振は忘れたことがない」ハナマウイ・道上季生

アスリートには、「忘れられないあの時」が存在するはずだ。野球クラブチーム・ハナマウイ(千葉県富里市)でプレーする道上季生(ミチウエキオ)にとっては、野球人注目の晴れ舞台での経験が“それ”に当たる。“4打席連続三振”は、今もグラウンドに立つ原動力となっている。

「三振に取られた決め球は全部、覚えています」
2020年11月26日の東京ドームを忘れることはない。ハナマウイは創部2年目で第91回都市対抗野球大会(以下都市対抗)出場の快挙を果たし四国銀行(高知市)と対戦。道上は「6番・指名打者」で出場、4打席連続三振を喫し「0-1」で惜敗した試合の最終打者にもなった。
「1、2 打席目までは『大丈夫、次で打てば良い』と思っていました。でもベンチに戻った時に、『ミチ(道上)、なんか暗いぞ』と声をかけられ気持ちが一変しました」
「『今日の俺って、楽しそうじゃなく見えるのかな?』と頭に浮かんだ。『次も三振したらどうしよう?』とも思いフワフワし始めた。3打席目は見逃し三振で、『これは、ヤバイ』となり、最後は追い込まれた感じでの打席でした」
4打席目は最終回二死から回ってきたが、落ちる球にバットが空を切ってゲームセットを迎えた。
「緊張はなかったです。コロナ禍の影響で応援もなく静かな中での試合だったので、オープン戦の延長のような感じ。でも『…暗いぞ』と言われ、『みんなに見られている』という思いも出始めて地に足がつかない感じになりました」
試合直後は、「野球を辞めようかな…」と思うくらい落ち込んだ。「大学関係者や家族、友人がたくさん観に来てくれていることも意識してしまいました」と付け加える。ベンチでかけられた一言で、気持ちが大きく揺れてしまった。

~“企業チームに対する負け慣れ”を感じるようになった
道上は2019年創部のハナマウイ第1期メンバーだ。2020年に本戦出場を成し遂げて以降、予選で企業チームに勝てない状態も経験してきた。
「創部当初はチームでの試合経験も少なかったので、“変な自信”がありました。企業チーム相手の好試合も多かったので、『行けるんじゃね?』という感じでした」
オープン戦では企業チームに勝利を挙げることもあった。『都市対抗出場を目指す』というベクトルが全員一致しており、勢いのまま辿り着いた東京ドームでもあった。
大舞台での経験を活かして更なる飛躍を目指した。入部希望者も増え始め、選手層も厚くなることが期待されたのだが…。
「レベルの高い選手がチームへ集まってきました。技量は誰もが素晴らしいものを持っている。でも、それが直結せず、逆にチーム力が薄れてしまった感じすらありました。考え方の違いや世代間ギャップも出始めました」
2022年には主将を任されたが、チームの雰囲気が変わり始めた時期でもあり苦労は絶えなかった。
「2020年以降は予選で企業チームに勝てていません。最初の頃は『切り替えて、次は勝とう』だったのが、『負けるのも仕方がない』という負け慣れの雰囲気も感じ始めました」
主将の大役は1年で終えたが、「チームの雰囲気を変えられなかった責任は大きい」と反省の弁を口にする。

~関西、九州、関東と放浪する野球トラベラー
「最初は、友達や親と離れるのが寂しかった。でも時間と共に、異なった場所で野球をできるのが楽しくなりました」
和歌山県出身だが、中学卒業後は“野球放浪の旅”を続けている。甲子園出場を目指して宮崎・日南学園高へ進学したところから冒険は始まった。
「地元の強豪・智弁和歌山高へ行きたかったのですが、セレクションに合格できませんでした。切り替えて同じ近畿圏の奈良・天理高を目指しましたが、野球だけでなく勉強も必要でした」
中学3年の夏以降、進路探しが始まった。天理高進学が有力になると塾へ通って、家庭教師も雇った。しかし、勉強が苦手の道上少年にとっては苦痛の日々だった。
「少年野球時代の監督が子供向け野球教室をやっていて手伝いに行きました。そこへ来ていた日南学園高OBの方に、『勉強が辛い』と相談したら、『うちに来れば』と声をかけていただいた。学力不問ということだったので即決しました」
宮崎では野球漬けの日々を送ったが甲子園出場はならず。上のカテゴリーで野球を続けたい思いがあり、同校とのパイプがあった神奈川・桐蔭横浜大へ進学する。
「大学野球のレベルが高い関東へ行って野球をすることだけは、早い段階から決めていました」
大学4年春から試合出場機会も増えたが、手応えを掴み始めた時期に大学野球が終了。企業チームから声はかからかったが、ハナマウイと縁があった。

~林弘佑希と本西厚博、2人との出会い
全国を巡って野球を続ける中、2人の野球人との出会いは大きかった。高校からクラブまで常にチームメイトである林弘佑希は、1学年上の“兄貴”とも言える存在だ。
「初めて話したのは高校時代。(林は)ベースコーチをしていた目立たない選手でした。大学で再会した時には別人のように身体が大きくなり主軸を任されていた。『努力をすれば成長できる』と勇気をもらいました」
「大学時代は、野球に関してタイミング良く声をかけてくれました。ミスをした時などは適切なアドバイスをくれました。ハナマウイでは私生活も含め、多くのことを話させてもらっています」
「林さんも入部されるので、安心してハナマウイを選べた部分もあります」と進路にも影響を与えた存在だ。

そして、6年に渡って指導を受けた前監督・本西厚博氏(現KAMIKAWA・士別サムライブレイズ監督)からは野球の奥深さを学んだ。
「野球観(感)がある人だと感じました。初対戦の相手を見て、『あそこに打つぞ』と予言したことが当たるので驚かされました。多くの経験、プロの凄みを間近で感じさせていただきました」
「主将になったのも本西監督の推薦があったと聞きました。プロの世界も熟知している方に、そういった評価をしてもらえたことは嬉しかったです」
「本西監督の退団を聞いた時はショックでした。もっと野球を勉強させてもらいたかったです」と残念そうな表情が印象的だ。

~良いことも悪いことも引きずることなく、切り替えて前進する
新体制となった今季は再び、主将を任された。都市対抗出場と全日本クラブ野球選手権(以下クラブ選手権)優勝という2大目標を掲げた。しかし、都市対抗は千葉県二次予選で敗退という結果に終わった。
「昨年までと比べ、チーム全体のまとまりはあった。手応えは感じていましたが完全な実力不足です。選手一人ひとりがレベルアップする必要性を痛感しました」
今まで勝てなかった企業チームだけなく、同じ千葉県内のクラブチームに敗れたことにも衝撃が走った。
「悔しいですが、現実は受け止めないといけない。クラブ選手権の予選もすぐに始まるので、チーム全体としてやるべきことを明確化して取り組むしかない。引きずることなく、しっかり切り替えないといけないです」
道上が「切り替えの重要性」を口できるのも、経験を重ねたからかもしれない。その中には“4打席連続三振”もあるはずだ。
「そうかもしれません。27歳と年齢的にもいつまで現役でいられるかわかりません。野球をやっていれば良いことも悪いこともあります。1つずつのプレーに一喜一憂することなく切り替えて進みたいです」
「今はクラブ選手権に気持ちを切り替えています」と力強く語ってくれた。2度目の主将として、前回同様の結果に終わるつもりはない。

「今、盗塁がめっちゃ決まるんです。今までは『打てば良い』という考えが強かった部分もあった。クラブ選手権優勝に向け、打って、走って、チームを引っ張ります」
いつまで現役を続けられるかはわからない。しかし27歳で盗塁に覚醒しつつあるように、まだまだ発展途上なのも間違いない。4打席連続三振から学んだ、「切り替えの重要性」が成長、進化を促している。
野球を通じてたどり着いた千葉の地。選手生活の有終の美を目指し、この夏、全てを賭けてプレーに挑む。
(取材/文/写真・山岡則夫、取材協力/写真・ハナマウイ・ベースボールクラブ)