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【源 純夏・後編】水の事故が無くなり、多くの人が水と親しむ社会を目指して

源 純夏(みなもと すみか)、1979年5月2日生まれ、徳島市出身。7歳から水泳を始め、12歳で50m自由形学童新記録を樹立し、14歳の時に同種目で日本選手権制覇。17歳で1996年のアトランタオリンピック出場。2000年のシドニーオリンピック女子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得。2002年に徳島県に帰郷、スイミングスクールでコーチに。2012年に徳島ライフセービングクラブを設立。エフエムびざんやミュージックバードでラジオ番組「純夏のwaterside NOW!」を放送。

地元に戻り、水泳の魅力を再認識

源は大学4年になり、「これまでの22年間より、ここから先の人生の方が長い。水泳以外にも自分にできることがあるかもしれない」と考えた。そして元々メディアに興味を持っていたこともあり、大学卒業後、2002年4月テレビ局に入社。同年9月に家庭の事情で退職し地元・徳島に戻る。

地元に戻った源はスイミングスクールのコーチを始めた。

「コーチは泳げない人を泳げるようにするのが仕事です。泳ぎ方や体の動かし方など、自分がやってきたことを言語化して人に伝えます。私は選手時代、感覚的に泳いでいました。選手は自分でやることを理解して体現します。それが指導者になった途端、人に伝える作業をすることになった。体が感覚で理解している動きを、言語化して人に伝える作業が難しかったですね」

源が水泳の指導を始めた時、最初に自分のコーチに言われたことが「お前はできるかもしれないけど、できないことを『なんでできないのだろう』と思うなよ」と言われた。「できなくて当然。相手を良く見て、相手が理解できるように伝えてあげるのが指導者なんだ」と。

「指導者として一番大切な事を最初に教わりましたね。それから自分がやりたいことをやるんじゃなくて、その人が何を必要としてるのかをキチンと考えるようになりました」

選手として生きていた時は主観で捉えていた水泳を、指導者になり客観的に捉えることができるようになった。

「60歳を過ぎて全然泳げなかった人が、健康のために初めてプールに通うようになりました。指導していたら、クロールができて次に背泳ぎができて、そして全種目泳げるようになった。それを見ていたら『水泳って、こんなに素敵なスポーツなんだ!』と気づけたんです」

人に教えることで水泳の魅力を再認識した源。選手時代とは違う愛情が水泳に対して芽生えた。

源は2007年より徳島県水泳連盟競技力向上委員(現在:一般社団法人徳島県水泳連盟)の理事も務めている。「地元・徳島へ『恩返し』です。選手のレベル向上や環境改善など、徳島県の水泳界がより良くなるように活動しています」

今年7月30日、4年ぶりに「とくしまSUPマラソン」が開催された

ライフセービングとの出会い

2009年8月、源はスイミングスクールの生徒から誘われて「あなんオープンウォータースイム in 徳島」に参加した。

「私は『6.0kmオーシャンチャレンジコース』に出場しました。この種目は6 km もの距離を泳ぐので、安全管理上2人1組での参加が必須。スイミングスクールの生徒さんがパートナーを探していて一緒に泳ぎました。すごく楽しかった記憶があります」

2010年は大会役員として「あなんオープンウォータースイム」に参加。そこで源の人生を変えるライフセーバーとの出会いがあった。源は「オープンウォータースイミング」の安全管理のサポートに来ていたライフセーバーに『あんた泳げるけど、人を助けることできないでしょ』と言葉を投げかけられる。源は「この言葉が衝撃でした。水泳は競技者として取り組むもので『助ける』なんて発想がなかった。でも、たしかに私は泳げるけど、人を助ける能力はない」と痛感した。

「毎年、水の事故のニュースって絶えず起こります。プールもそうだし、川、海、お風呂もそうです。自分はプールで泳ぐことによって、人生が変わった。これをなんとかできないだろうか。『もしかしたら、自分の泳ぐ力がここに貢献できるんじゃないだろうか?』って考えました」

源は競技者として現役を引退したが泳ぎに自信はあった。「私が人を助ける能力を身につければ、誰よりも早く助けることができる」と考え、ライフセーバーを目指す。ただ2010年当時、徳島ではライフセービングクラブがなかった。

周囲の人に相談したら、「海のことは、この人に学んだ方がいい」と、ファンライド徳島の南里尚志さんを紹介された。南里さんはショップ「ファンライド徳島」を運営し、SUPやウインドサーフィンのインストラクターや体験スクールを開校。南里さんと「海の事故、水の事故で亡くなる人をなくしていこう」と思いを一つにし、一緒に活動することに。

そして2011年6月にベーシック・サーフ・ライフセーバーの資格を取得。

「私はサッカー観戦が好きです。2011年8月に元日本代表の松田直樹さんが練習中に突然倒れて心肺停止、2日後亡くなりました。この頃、話題になったのがAED(自動体外式除細動器)。私は『人が倒れた時、どうすればいいのか』を学んだ直後だったので衝撃でした。今後、自分の周りで同じような事故が起きた場合、『私は人を助けれらる人間でありたい』と強く思わせてくれた出来事の一つでしたね」

源は2012年に徳島ライフセービングクラブを設立、代表として活動を開始した。

ライフセービングは社会貢献活動と水の楽しさを伝える側面があると話す源さん

SUPとの出会い、源が考えるSUPの魅力

SUPとは「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」の略称で、ハワイ発祥のウォータースポーツ。その名が示すとおりボードの上に立ち、パドルを漕いで水面を進んでいく。

「ライフセービングは社会貢献活動と、もう一つ『水の楽しさを伝える』という側面があると考えています。例えば、飛行機に乗った時のキャビンアテンダントやディズニーランドのキャストと同じように、海水浴場に遊びに来た人に『ようこそ海にお越しいただきました。今日、波の流れ的に危ない場所はこのエリアです。他のエリアでこんな遊び方をして楽しんでください』と案内するのがライフセーバーの本来の姿なんです。ですから私自身が海を好きになって楽しむことも必要だと感じていました。そこで、南里さんの勧めもあり、2013年からSUPを始めました」

徳島県は吉野川と那賀川水系の一級河川が368河川。また勝浦川をはじめとする二級河川が129河川あり、水資源に恵まれている。

この資源を活用するため、徳島県の吉野川で南里さんが中心となり、「とくしまSUPマラソン大会」が、初めて開催されたのは2011年。今年7月30日に第13回大会が行われた。

「SUPの魅力は『自由度が高いこと』です。海でも川でも湖でも、なんだったらプールでもやることができます。そして泳げない人でもできる。ライフジャケットを着用しリーシュコードでボードと足をつなぎます。陸上で転ぶとケガをしますが、水の上だと落ちても濡れるだけ。ライフジャケットで沈むことはありません。人間は水に対する恐怖心がある。水の中は、人が生きることができない場所。でもキチンと安全対策をしてチャレンジすると楽しい世界が広がっています。運動が苦手な人や泳げない人でも、すぐに楽しめるのがSUPなんです」

自らSUPレースに参加し、海の魅力を伝える活動も行う源さん

ライフセーバー源純夏が目指す社会とは…

2019年、日本財団が「海と日本人に関する意識調査」を実施。「日本人の海離れ」が話題になった。

「これだけ海に囲まれた国なのに寂しいことですよね。自然の海を楽しむために、私は道具を使用することで海や川を楽しめることを提案したい。SUPだったりシュノーケルだったりサーフィンだったり…。コロナ禍で3密を避けるためサーファー人口は増えたと聞きました。キャンプも流行っている。ただ、同時に安全のことも十分に気を付けなければならない。海や川の中は、けっして安全ではありません。『安全に過ごすための方法』を学ぶことで、安全安心にマリンスポーツやマリンレジャーを楽しめる。ライフセイバーとして、そのことはしっかり伝えたいと思います」

「海や川の中は、けっして安全ではありません」。水泳のオリンピックメダリストがいう言葉には説得力がある。泳ぎのエキスパートでも水は安全だと思っていない。だからこそ我々は水の怖さを知り、安全に気を付けて付き合う必要がある。最後にライフセーバーとして源が目指す社会を聞いてみた。

「まず一つは、世界から水の事故が無くなること。それは海、川、プールなど、全ての水域において、不用意に命を落とす人がいなくなる世界。交通事故と違って、水の事故は防げることが多いと思うんです。道を歩いていて、どうしても避けられない事故ってあるじゃないですか。でも、水の事故は事前に情報収集をして、道具をキチンと管理して、『やる時はやる。やらない時はやらない』という判断能力を持って取り組んでいれば、防げる事故はたくさんある。私が担当しているラジオの冒頭で、『徳島の水辺をもっと楽しく、もっと安全に』と案内します。水との正しい楽しみ方を伝えて、正しい怖がり方をしてほしいし、正しく安全な遊び方をしてほしい。水の事故が無くなり、多くの人がそれぞれの楽しみ方で水と親しむ、そんな社会になってほしいなっていう願いがあります。そしてもう一つは、自分のやりたいことだけをやって生きることです(笑)」

小さい頃、敷かれたレールの上を走っていた少女は、オリンピックでメダリストになり、そして今、ライフセーバーとして人々の命を救う役割を担っている。水を愛し、水に救われた源。世界から水の事故がなくなることを信じて、そのリスクと魅力の両面を徳島から発信し続ける。「世界から水の事故が無くなること」を願って…
(おわり)

取材:文/大楽聡詞
写真/本人提供

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