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キーワードは「ええ男」 全国常連・東京農業大学北海道オホーツクの指揮官が“プロ野球選手輩出”よりも重視すること

「オホーツクの選手、みんなええ男ですよ」――。声の主は2018年から東京農業大学北海道オホーツク硬式野球部を率いる三垣勝巳監督。柔和な表情と陽気な関西弁で場を和ませる。しかしひとたびユニホームに袖を通せば、表情が一変。眼光鋭くグラウンドを見つめる。選手たちには「辛抱」を課す。すべては「ええ男」になってもらうためだ。

「監督は絶対に間違っていない」の言葉が全国4強の原点

三垣監督はPL学園(大阪府)出身。名門校で主力を張り、1998年夏の甲子園で松坂大輔擁する横浜と延長17回の死闘を繰り広げた一戦には「6番・一塁」でフル出場し安打を放った。

その後、東京農業大学生物産業学部(現・北海道オホーツク)に進学し、卒業後は社会人野球の三菱ふそう川崎と三菱自動車岡崎でプレーして二度の都市対抗野球大会優勝を経験。現役引退後は大学時代の恩師である樋越勉・前監督に誘われて母校のコーチを5年間務め、樋越氏の退任に伴って監督に就任した。

就任1年目の18年こそ春秋ともに北海道学生野球連盟でのリーグ優勝を逃したものの、翌19年春に初優勝を果たす。勢いそのままに出場した全日本大学野球選手権では創部初の4強入りを達成し、快進撃に貢献した当時3年のブランドン大河(元・西武)、中村亮太(現・ロッテ)と当時1年の伊藤茉央(現・中日)はのちにNPBに進んだ。

輝かしい球歴を歩んだのち、指導者の道へ進んだ

「『樋越色』は残しつつ、私なりの色も出さないといけない」とプレッシャーを感じる中、「色を出す」作業の一環として就任当初から徹底したのが「ボール回し」だ。ただ、1年目は結果が出なかったため、選手たちからは「本当に大事なんですか?」「ボール回しのやり直しをする時間があるのならバッティングをしたい」といった不満の声が上がった。

危機感を覚えた三垣監督は当時の主将と副主将を呼び出し、本音を聞き出した。二人が「必要ない。違う練習をしたいです」と言えば、信念を曲げるつもりだった。

「監督は絶対に間違っていないのでやりたいようにやってください。仮に部員が反発して辞めても、10人だけは死守して試合をします」。意外な答えが返ってきた。二人に背中を押され方針を変えなかった結果、翌年全国の舞台で輝いた。三垣監督は「あの出来事が監督生活のターニングポイント。ああやって言ってくれたから今がある」と懐かしそうに言葉を紡ぐ。

「与えられたことを全力でやる」選手だけが集まる場所

一方、樋越氏の「辛抱」や「忍耐」を重んじる姿勢は踏襲し、時間をかけて「与えられたことを全力でやる」風土を醸成してきた。試合前のアップも毎日のランニングも練習中の声出しも、すべて全力。それは社会で生き残るためであり、妥協は決して許さない。

「例えばコーンからコーンへ走るダッシュをする場合、ゴールの手前で緩めるのではなく駆け抜けないといけない。30mのダッシュをする時に28mの時点で抜いていたら、差の2mは20日で40mになる。その差は大きい。こういうことを言い続けて、言い続けて、できるようになるまでに4年かかりました」

大学の所在地は札幌市から約330km離れた極寒の地・網走市。良いとは言えない立地条件ながら毎年、北海道のみならず全国各地から新入生が集まってきている。故郷から遠く離れた場所での過酷な日々に耐えられずドロップアウトするケースも想像してしまうが、入学前の厳重な「確認」でそれを避けているという。

「覚悟」を持った精鋭たちが全国から集まる

「ごめんな。しんどいし、『は?』ってなるで。でも、奮い立たしてやらなあかん」。高校生には包み隠さずリアルを伝える。どれだけ遠い高校の選手でも、オファーをかけた選手でも、必ず一度は網走まで足を運んでもらう。その上で、4年間「辛抱」する覚悟を持った選手だけが門を叩く。

「4年間、網走刑務所に入ったつもりで」と、かつて日本で最も厳しいとされた刑務所を例に出しながら説明することもある。「オホーツクだったら全国大会に出れるっしょ」と甘い考えを持って入部する選手が苦労することは目に見えているからだ。実際、東京農業大学北海道オホーツクは昨春まで7季連続でリーグ戦を制し、全日本大学野球選手権には5大会連続で出場中。だが、中途半端な覚悟では大学で淘汰されてしまう。

昨秋から主将を務める中澤空芽内野手(4年=東海大甲府)も「練習は厳しいですが、自分自身も厳しさを分かった上で、網走という地で勝負を懸けようと入学しました」と話す。

卒業してお互いに「ありがとう」が言えればコンプリート

今年の3月16日、沖縄県名護市の「Enagicスタジアム名護」で青森大とオープン戦を行った。対外試合は昨秋のリーグ最終戦以来、約半年ぶり。選手たちはブランクを感じさせない全力プレーを披露し、試合は初回に奪った虎の子の1点を守り抜き1対0で勝利した。

初回に小林昇一郎選手が適時二塁打を放って奪った1点を守り抜いた

積雪のためグラウンドを使用できない冬の期間は雪の中で外周を走ったり、クロスカントリーをしたりしてフィジカルを鍛える。年が明けて大学のテスト期間が終了して以降は室内で練習し、2月中旬からは大学OBが勤務する山崎製パンの恵庭工場(北海道)、武蔵野工場(東京都)、松戸工場(千葉県)、横浜工場(神奈川県)に分かれて住み込みでアルバイトに勤しみキャンプ費用を稼ぐ。

その後、帰省を挟んで3月中旬に那覇空港で現地集合。ようやく実戦がスタートする。あえて野球と離れる時間を作り不安を募らせることで、選手たちは野球に貪欲になる。長い冬を越えても「駆け抜ける」野球を忘れずにいられる。

「4年間、オホーツクで辛抱して卒業すれば合格だと思っています。プロ野球選手になれなくとも、卒業してお互いに『ありがとう』が言えればコンプリート。ええ男になって巣立てば、社会の荒波にもまれた時も『あの時に比べれば』と考えられるはず」

試合後、三垣監督(右)の話に耳を傾ける選手たち

覚悟を持たなければ来られない場所だからこそ、プロ野球選手を育てることよりも『ええ男』にして社会に送り出すことに注力する。チームが掲げる「全国制覇」はその先にある。「彼らは自分たちでは気づけなくて照れ隠ししたり馬鹿にしたりするけど、あの子らのパワーはものすごい。本当にかっこいい」。人情派の指揮官はまた、屈託のない笑顔を浮かべた。

(取材・文・写真 川浪康太郎)

読売新聞記者を経て2022年春からフリーに転身。東北のアマチュア野球を中心に取材している。福岡出身仙台在住。

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