疾患による現役引退も「ポジティブに」~元Wリーグ・外山優子のバスケ人生(後編)
外山優子(とやまゆうこ)さんは、心臓の疾患により1年でWリーグ※でのキャリアを終える。オールスターにも選ばれ、人生で最もバスケを楽しんでいた外山さんにとって、あまりにも残酷な出来事だった。
※国内女子バスケの最高峰・バスケットボール女子日本リーグ
その葛藤は、母校・桜花学園のコーチとなった本人を苦しめ続けたが、周囲からの影響や自身の行動により、引退から3年をかけて乗り越える。
迎えるはコーチとして最後の年、最後の大会。外山さんを待っていたのは、神様のいたずらだった。
現在、外山さんはコーチを退いている。彼女が現役引退を「ポジティブ」と語る背景とは。そして、どのような未来を見据えているのか。
最後に待っていたのは、あのときの相手
桜花学園でのコーチ業は、2020年の12月までと決まっていた。2020年は、新型コロナウイルスの流行が始まった年だ。高校女子バスケにおける三大大会のうち、インターハイと国体は中止。唯一、ウインターカップのみが開催された。コーチ業終了の月にあたる2020年12月に開催されたこの大会が、外山さんにとって最後の大会となった。
「ウインターカップ決勝の相手、私が桜花学園のキャプテンだったときに、最後のウインターカップで負けた相手だったんです」
主要大会が軒並み中止になったこの年。勝ち上がりの予想が難しい中、決勝で相まみえることになったのは東京成徳だった。奇しくも、外山さんが桜花学園のキャプテンとして臨んだ、最後のウインターカップで敗れた相手だ。
「子どもたちには言わなかったけど、決勝の相手が決まった瞬間に『あれ、これ私のリベンジマッチでもあるな』って思いました。だって、10年前と同じ相手、同じ大会ですよ。こんなことあるんだなあって。神様のいたずらですかね」
自身のリベンジマッチ、そしてコーチとして最後の日本一をかけた東京成徳戦。トロフィーを掲げたのは、桜花学園だった。学生時代に苦杯をなめた相手にリベンジし、コーチとして6度目の日本一に輝く。
生徒に伝えたことは「自主的にではなく“主体的に”」
「コーチとして伝えたいことは伝えきりました」
コーチとして6度の全国優勝を経験し、生徒に対して自分が伝えたいことを伝えきった。そうして初めて、自分がキャプテンとして日本一に導けなかった、桜花学園への“後ろめたさ”が解消されたという。では、外山さんは、自身の経験を踏まえて子どもたちにどのようなことを伝えたのだろうか。
「『自主的にではなく主体的に行動して』と伝えていました。自主的は、やることが決まっているときに物事を進んで行う状態。でも、主体的はやるべきことも自分で決めて行動するときに使う言葉。自分の選択に自信を持って人生を作り上げていくためには、主体的な行動が重要だと思います」
「自分で目標を作れば、目標達成のためにどうしたら良いか考えるようになる。そうすれば、自然と自らの意志で決断・行動できるようになる。自らの意志で行動した結果なら、良くても悪くても納得できると思うんですよ。それに、未来は自分にしか変えられないので、子ども達には自分の決断と行動に自信を持って、人生を豊かにしてほしいです」
中学生時代の孤独。桜花学園に対する後ろめたさ。そして、心臓の疾患による現役引退。自らの行動と決断で自分の人生を切り開いてきた外山さんだからこそ、言える言葉だ。
「私が伝えたいことがそのとき伝わっていなくても、大人になっていく中で『そういえば、ミリ※さんはこんなこと言ってたなあ』って思い出してくれれば良いと思ってます」
※外山さんのコートネーム
子どもたちの将来を見据えながら、当時のことを笑顔で語った。
さらに、コーチとして子ども達に何を伝えられるか考える中で、バスケ人生における一つひとつの決断と行動が、今の自分につながっていることに気が付いたという。
「疾患が判明してから恩師に電話をしていなかったら、恐らく私はコーチになっていませんでした。そもそも、秋田から飛び出して桜花学園の門を叩いていなかったら、今の自分はありません」
「人生は決断の連続で、一つひとつの決断が未来を作っている。そして、全ての決断は、自分が起こした行動がきっかけとなって生まれたんですよね。両親が手紙を送ってくれたことなんて、最も象徴的だと思います」
外山さんの物語は、両親が手紙を送った瞬間から全てつながっていたのだ。
今後はバスケで世の中を魅了したい
突然の現役引退を自身の決断と行動で乗り越え、未来を切り開いてきた外山さん。現在は、デザインや動画制作の勉強をしながら、バスケの現場から離れた生活を送っている。
「今後は、バスケを通して世の中を魅了できるような活動をしていきたいです。バスケは人生を豊かにするツールとして私には必要な存在。バスケと共に生きてきて、学びも仲間も経験も、このスポーツを通して得ました。今の私を作ってくれたのが、バスケなんです」
「バスケットボールという競技が、これからも多くの人の人生を作り上げることを願っています。そのために、バスケの魅力が今以上に広まったらうれしいです」
外山さんは、今後はプレーヤー・コーチとはまた違った視点で、バスケ界を盛り上げようと思っている。現在は、そのための充電期間としているそうだ。充電期間に開催されたオリンピック・パラリンピックでは、バスケの全種目(5人制男女・3人制男女・車椅子男女)を見て感動と勇気をもらったという。バスケの魅力を再確認し、今後の原動力になった。
外山さんのコートネームは“ミリ”。「魅了」に由来して付けられた名だ。
「高校時代に先輩が私のコートネーム案をたくさん出してくれて、『周囲を魅了するプレーヤーになりたい』って、迷わず“ミリ”にしたんです。これからは、コートの中だけでなく世の中の人々を魅了したいと思っています」
現在を「充電中」と表現しつつも、アーティストやアパレル関係、さらにはストリートバスケなど、さまざまな人々と接触して視野を広げ続けている。最近は、バスケのアパレルショップに併設されているカフェで、珈琲の入れ方も勉強し始めたそうだ。
バスケのカッコ良さや選手一人ひとりの魅力を画像・動画にするなど、少しずつ行動も起こしている。作成したコンテンツは関係者のホームページやSNSなどで公開されており、バスケの魅力を早くも世の中に届けているようだ。
「現役引退はポジティブ」これからも力強く進み続ける
心臓の疾患により、Wリーグデビュー1年目の終わりにまさかの引退。しかも、心の底からバスケを楽しんでいた矢先のこと。「気持ちを切り替えるのに3年かかった」と振り返るように、相当大きなショックだったのは間違いない。
しかし、現在の外山さんにとって現役引退はポジティブな意味合いを持つ。
「引退後にプレーヤー以外の視点からバスケを見たことは、自分の視野を広げるきっかけになりました。周りに感謝できるようになったのも、コーチとしてのキャリアを歩んだことが大きいと思います。現役を引退していなかったら、“世の中を魅了する”という目標もできていませんよ」
「過去の出来事には一つひとつに意味があって、全部つながっている。そうして今の私がいる。もちろん、当時の私にとって引退が相当なショックだったことは事実です。でも、今の私にとって、現役引退はポジティブでしかありません」
引退後も、自らの決断と行動で道を切り開いてきた外山さん。小学生から始まったバスケ人生はこれからも続く。次なる目標まで、彼女は力強く進み続ける。
(取材 / 文:フリーライター 紺野天地)
(写真提供:外山優子さん)