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逆境をチャンスに変えて、高知ファイティングドッグスの奮闘は続く

 地政学的なハンデを超えて

 
高知県は、東西に170km、四国の総面積の40%近くを占める大きな県だが、人口は四国の総人口の19%、GDPは47都道府県で46番目の2兆円足らず。地理的にも、経済的にも大きなハンデのある地域だ。
 
2005年に西武、オリックスで名内野手として活躍し、NPBでの指導者経験もある石毛宏典氏が四国アイランドリーグ(当時)を創設した際も、高知県は経営的に厳しいだろうと思われてきた。
独立リーグは地域密着が基本だ。
プロ野球は、本拠地球場にお客を呼んで試合をするのが基本だが、独立リーグは地域の球場に出かけていって試合をすることが多い。四国4県の球団は「県民球団」を標榜していたから、県内各地で試合をしなければならない。
東は室戸から西は四万十、土佐清水まで、移動距離が極めて長い。その上に人口は少なく、スポンサー企業は少ない。
 
四国アイランドリーグの4球団は発足翌年の2006年には運営会社であるIBLJから独立し、独立採算の企業になったが、高知ファイティングドッグスだけは経営者が見つからず、なおも1年、IBLJが直営で運営し、2007年オフになって、高知出身の北古味鈴太郎氏の不動産会社が経営を担うこととなった。
 

 

市の施設に県の予算で照明施設が設置された!

 
それでも高知ファイティングドッグスは、経営的に厳しく、戦力的にも苦しかった。
最大のネックは、本拠地球場である高知市野球場にナイター設備がなかったことだ。他の高知県下の球場も含め、ナイター設備がなかったため、主催試合はすべてデーゲーム。平日など観客動員は見込めなかったし、夏季には炎天下の試合は選手にもファンにも過酷だった。
 
2008年に高知県と高知市が高知ファイティングドッグスを支援することを決める。本拠地球場についても移転が検討されたが、高知市野球場に県の予算で照明施設を設置することが決まった。
 
北古味鈴太郎オーナーの弟で、経営面を支えてきた北古味潤副社長は述懐する。
「市の施設に県の予算で照明施設をつけるなんて、普通考えられないですよね。でも、私たちは何としても球団を存続させたかったし、選手たちにも良い環境を与えたかった。その熱意が通じたわけです」

照明設備がついた高知市野球場

 

スポーツ観戦の習慣を根付かせる

 
こうして高知ファイティングドッグスは他の3球団と環境的には肩を並べるようになった。
しかし、いろいろな問題が横たわっていた。
北古味副社長は語る。
「そもそも、高知の人には”金を払ってスポーツを観戦する”習慣がなかったんですね。
高知にはプロ野球はなかったし、Jリーグのチームもなかった。プロ野球はテレビで見るもの。スポーツは自分でやるもの。なぜ、わざわざ金を払って、人がやるスポーツを見に行かねばならないのか、と言う感じの人が多かったんです。
私たちは、いろんなキャンペーンをやって、球場へ来てくださいよとアピールし、少しずつお客さんに”スポーツを観戦する文化”を植え付けていった。
私たちが高知ファイティングドッグスを運営するようになって10年になりますが、それが一番大きな仕事だったと思います」
 
独立リーグは、入場料収入やグッズ販売だけでは営業は成り立たない。地元に密着し、地元企業からスポンサードを得ることで初めて収益が成り立つ。各球団は県内各地の企業や事業所を回り、支援を訴えかける。
高知県は、面積が広いので、移動距離も長い。経営陣は、スポンサードを求めて県内を東奔西走した。
高知ファイティングドッグスは高知市野球場に照明施設が設置された2012年以降、成績もやや向上し、経営的にも安定した。
それでも経営的にも、戦力的にも、見劣りする部分があるのは否めない。しかし、だから思い切った手が打てるという面もある。

 

室戸広域公園野球場、このスタジアムでも高知ファイティングドッグスは主催試合をする

 

選手から球団社長に、大胆人事が実を結ぶ

2014年には、高知ファイティングドッグスが創設された年からプレーし、四国アイランドリーグ初の「10年選手」になった梶田宙選手を、引退と同時に球団社長に任命した。
梶田社長は10年間選手としてチームを引っ張ったが、この間、多くのファンを得た。出身は愛知県だが、高知は第二の故郷と言ってもよい。
梶田社長はそれまで全く無縁だった経営やマネジメントを一から学んだ。またスポンサー獲得のために県内各地の企業に出向いた。トップ営業もするのだ。
試合中は、球場のあちこちに顔を出し、ファンに笑顔を振りまく。試合途中のファンサービスタイムには、グランドに降りてスタンドのファンにグッズを投げる。
先日の試合では、足をくじいた年配の女性のために担架を手配していた。
球場の隅々にまで神経を張り巡らし、試合運営をサポートしているのだ。球場のあちこちからは「社長!社長!」と声がかかる。今や「チームの顔」になった。

 

試合のファンサービスでグッズをスタンドに投げ入れる梶田宙社長

 2015年6月にはMLBで活躍していた藤川球児が高知ファイティングドッグスに入団。大きな話題となった。
高知出身の藤川は、NPBからオファーがあったが、家族と過ごす時間がほしいと高知ファイティングドッグスに入団。後期の2か月間高知でプレーした。この間には、12年ぶりに先発投手としてマウンドに立ち、完封も記録。日本野球の勘を取り戻し、NPBに復帰していった。
 

マニー・ラミレスも高知が大好きになった

 
2016年からは南海、阪神でエースとして活躍した江本孟紀氏が総監督に就任、2000本安打の大選手、駒田徳広監督のもと、新体制がスタートした。
そして、今年、MLB555本塁打の大選手、マニー・ラミレスが高知ファイティングドッグスにやってきた。
北古味社長は語る。
「うちの選手であるコルビー・ルイスがマニーにコンタクトしたのがきっかけです。具体的な交渉はオーナー(北古味鈴太郎社長)と私がアメリカに赴き、詰めました。
マニーは、野球を学ぶ姿勢があって、謙虚で素晴らしい選手です。
高知の生活も気に入っていて、高知の街を自転車で見物したり、高知のグルメを楽しんだりしています。
彼の野球に対する真摯な姿勢は他の選手にもお手本になると思いますよ」

 

マニー・ラミレスを応援するファンたち

 
マニーは故障で戦線を離脱したが、試合に出られなくても、ファンサービスのグッズ投げ入れをするなど、高知のファンに対してもサービス精神を発揮している。

また、4月23日の室戸での試合後には、子供たちを集めて臨時の野球教室を開いたりもしている。

 

ファンと写真に納まる駒田徳広監督

 
球場では、試合終了後、駒田監督が、ファンの求めに応じてサインをしたり、記念写真に納まったりしている。列が途切れず、30分近くになることもあるが、駒田監督は嫌な顔を見せることなく、丁寧に応じている。

こうした姿勢が高知の人々にも受け入れられて、高知ファイティングドッグスは4年連続で黒字を計上した。
今季は4月28日まで14歳合で9勝4敗1分の勝率.692、2位の徳島インディゴソックスに2.0差をつけて首位に立っている。 

喜びも悲しみも分かち合う県民球団目指し

 
北古味潤副社長は語る。
「そういう形で、地元の方々にだんだんと浸透しているという実感があります。10年間の努力が実りつつありますね。
少し物騒な話をしますが、高知県は近い将来、”南海トラフ”の大地震に見舞われることが確実だと言われています。県内には津波避難ビルがたくさん建設されていますが、そうした事態になったときに、我々には何ができるかを真剣に考えています。
人々の非難を誘導したり、救援活動をしたり。そして復興の際には東北楽天ゴールデンイーグルスがそうだったように、人々の希望の灯になりたい。
縁起でもないと言われるかもしれないけど、そういうこともあらかじめ考えておかないといけない時代になったと思っています。
喜びも悲しみも分かち合う、県民球団を目指して、今後も頑張ります」

 

マニー・ラミレスと北古味潤副社長
 

広尾晃
「野球の記録で話したい」ブロガー、ライター

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